第一章 ⑤

 結果を先に言えば真っ赤な贋物だった。

 そもそも、こんな演劇場を間借りしただけの小さいオークションで、竜の爪が取引されるはずがない。王族や貴族だけに許された地下の特別ステージが設けられるはずなのだから。

 やはり、ロデオの情報はガセだった。次に会ったときは丁重に〝おもてなし〟をしようではありませんか。

 ただ、それでもまだリジェッタは帰路に着いていなかった。二階から一階に降り、エントランスホールのテーブルを一つ占領していた。

 アップルパイに、ガトーショコラ、ブルーベリーソースのチーズケーキ、山盛りのマフィンにたっぷりの蜂蜜。

 そして、紅茶。

 ティータイムだった。

 いつものように神へ感謝を捧げる。

 襟章付きの黒服を纏ったワイバーン騎士団の騎士達が眉をひそめていた。

 それでもやはり、リジェッタにちょっかいをかけようとしない。

「猛烈に美味です」

 リジェッタの顔よりも大きなアップルパイが瞬き一つで半分になっていた。

 しっとりとした林檎の甘さと酸味。

 サックリと歯応えのあるパイ生地。

 上等なバターの豊潤な香り。

 流石、人気店からわざわざ配達させただけのことはある。

「盛大に美味です」

 お上品な笑みだった。

 勝手に菓子を配達させ、勝手に湯を沸かし、勝手にティータイムを始めたリジェッタを誰もが遠巻きに眺めていた。

 皆の目が言っている。

『うわ、またあいつか』

 と。

「リジェッタ・イースト・バトラアライズ様とお見受けしますがよろしいでしょうか?」

こちらへと近付く人影が一つ。

 硝子細工を擦れ合わせたかのように冷たく高い声だった。

 リジェッタが顔を上げると、そこには少女が立っていた。

 高く見積もっても十代前半か。リジェッタよりも頭一つ分は小さい。肌は新雪のように白く、人間らしい赤みがどこにも見えない。本当に、真っ白な肌だった。動かなければ白磁器の人形と区別がつかない。絹製の白い長手袋が、酷く滑稽だった。

 ぱっちりと開いた瞳は燃える炭のもっとも熱い部分と酷似している。静かに、されど鉄さえ融かす熱を孕んでいた。夏に力強さを増す深緑を想わせる髪は右手側を肩まで伸ばし、左手側を腰の半ばまで伸ばしたうえで一つに纏めている。左右非対称の髪型は見る角度によって少女の印象を惑わせた。

 黒いドレスは誰の影を切り裂いて縫い直したのか。

純銀の襟章に刻まれているのは、×印に交差する翼だった。

 可愛い、愛らしい。そんな印象よりも先に、氷に似た凍えを感じさせる少女だった。

「どなたでしょうか?」

「失礼。私、ワイバーン騎士団の副団長であるオルム・イースト・ライギニーネと申します。当騎士団がこの街で初めておこなうオークションに、掃除屋として高名なバトラアライズ様が参ったと耳に挟みましてこうして挨拶に向かった次第です」

 オークションに参加するには名簿への記入と参加料を払う必要がある。顔が割れているのも無理はない。

 また、マフィアの幹部に少女がいてもおかしくない。魔造手術の弊害か。見かけの性別や年齢など、当てにはならないのだ。

「私がリジェッタです。オークションの開催、おめでとうございます」

「恐縮です。リジェッタ様とは良い関係を築けると願う次第です」

 この街ではマフィアを騎士団と呼ぶ。

 マフィアと掃除屋は密接な関係にある。

「花代は、しっかりと稼げていますか?」

 近くを歩いていた黒服がピクッと肩を震わし、足を止めた。なにか言いたげにリジェッタを見詰める。

 ただ、首だけを後ろに曲げたオルムが声なく口だけを動かすと、黒服の男は血相を変えてその場から逃げるように離れた。

「部下の非礼を申し訳ございません」

 深々と頭を下げたオルムの姿に、リジェッタはマフィンを一つ山から消した。

「確かに私は、あの《魔狼》とそれなりの関係を築いていますが、必ずしも歩幅を合わせるわけではありません」

 やや速い動作でオルムが顔を上げた。

 顔は、表情は、驚きのそれだった。

 リジェッタはカップを傾けつつ言葉を続ける。

「なにかお困りでしたら、どうぞ遠慮なく声をかけてください。私が仕事を受ける条件はただ一つ、利益ですから」

 これには、オルムが目を丸くした。

 マフィア同士、無条件で〝仲良しこよし〟というわけにはいかない。

 むしろ、利益のためにどれだけ相手を出し抜けるかが肝心だ。

 となれば、ワイバーン騎士団にとってイーストエリアの管理者にして現・最強勢力であるフェンリル騎士団は目の上のたんこぶだ。

 どうにかして蹴落としたいのが本音だろう。

 そのためには、力が必要だ。

 リジェッタの働きに目が行くのは半ば必然だ。

 ただ、今リジェッタは言外に告げたのだ。

『利益になるなら、そちらにも手を貸しますよ』

 と。

 これには、オルムが動揺を隠せなかった。

 一度静かに息を吸い、左胸に手を当てた。

「これは、大変失礼なことを。申し訳ございませんでした」

「いえ。とくに気にしていませんわ」

 勢力を急成長させている出世株の組織、その副団長に謝られてもリジェッタの態度は崩れなかった。

 山のように積まれていたマフィンが、もう一つも残っていなかった。


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