異世界で目覚めた僕は果たして「人間」なのだろうか?

@shikaku83

プロローグ

 都内某所、ファストコーヒー社のビルを僕は訪れた。3階エレベーターのすぐ横にはキャスター付きの長机と椅子で構成された簡素な受付があり、氏名を告げると奥の会議室へ案内された。室内には既に10名あまりの若い男女が座っていて、その中には友人である馬渡まわたりの姿もあった。


「お、1ヶ月ぶりの出勤だな」


 隣に座るなり彼はそんなことを言ってきた。


「それはお前もだろ。このくだり何回目?」

「毎度毎度こう間が空くと寂しいじゃん?つい面倒くさい絡みもしちゃうわけよ」

「肘やめろ、押し付けるな」


 馬渡とは大学からの付き合いだ。基本的に陽気で良いやつなのだが、ボディタッチが激しいというか、力加減が下手で普通に痛いのは数少ない欠点の一つである。このバイトを僕に紹介してくれたのも彼なのだが、どういう人脈があるのかは正直よく分かっていない。


「そういえば、こないだの焼肉なんで来てくれんかったん?結構しつこく誘ったよ、俺」

「いつも知らん友達連れてくるから嫌なんだよ。あと金がもったいない」

「月30万も何に使ってるんだよ」

「ソシャゲ」

「もったいな」

「うるせっ」


 実際は税金や生活費、実家への仕送りもあり、ゲームへの課金に割いているのは給与のうち3分の1ほどなのだが……それにしても馬鹿げた出費だとは思っている。学部を中退した後の数年何の努力もしてこなかった自分のもとにあぶくのように湧いて出た金だから、それに価値があることを実感できていないのかもしれない。一方の馬渡はおそらく飯と酒に毎月かなりの金額をつぎ込んでおり、金銭感覚の立派さについてはどっこいどっこいだと思う。だが、どんなに楽な手段で金銭を得てどれだけ無駄遣いしようとも、他人に迷惑をかけていないのだからそれでいいのだ。これは僕が物心ついて以来のポリシーである。


 他愛のない話をしながら時間をつぶしていると、見慣れたボサボサ頭の男性が会議室に入ってきた。一緒に入室した女性がプロジェクターの準備をしている間に、男は気だるげな手つきでノートパソコンを開いてマイクを手に取る。


「こんにちは、プロジェクトマネージャー……この職場の責任者の入鹿いるかです。複数回来られてる方はもううんざりしているでしょうが……初めての方もいらっしゃるので、軽く職務内容の説明をさせていただきます」


 一番うんざりしているのはあなただろうと言いたくなるような、やる気のない声と表情。2年近くにわたって20回も同じような説明をしているのだから仕方ないが、思い返せばこの人は最初からこうだった気もする。


「スーパーコンピューター“ラプラス”は皆さんご存じだと思います。40年代に話題になった、この世界をまるごとシミュレーションできると謳われたコンピューター……あ、“未来予知計画”の方が馴染みありましたかね?」


 過剰にインパクトある見出しで世間を騒がせた“未来予知計画”。宇宙誕生の瞬間から起こったすべての物理現象を計算することで世界をシミュレートし、その果てに未来までも導き出してしまおうという壮大な計画は、当時中学生だった僕の心を躍らせた。きっとこの部屋にいる全ての人が鮮明に覚えているニュースだろう。しかし、


「なんやかんやあって……この計画はひっそりと頓挫しました。まあ私は最初から無理だと思っていたんですけどね。でもそのおかげで今、ラプラスを格安でレンタルすることができています」

「シミュレーションされた世界“β”は途中まで驚くほど上手くいっていました。1ヶ月足らずの計算で地球上の生命誕生、現代社会の形成までをも再現したそれは何故か、2030年頃を境に我々の世界と別の方向へ分岐します。数回のリトライも虚しく未来予知の夢は潰えたわけですが、我々はそこに新たなビジネスを見出しました」

「30年代以降のβには、我々の世界にない新たなテクノロジーが存在する。……実はうちの主力製品もここが由来です。前回までに確認された未回収の技術は“簡便かつ低コストな臓器培養を実現する人工幹細胞”、“量子運動状態の不確定性の証明”、“殻が一切混入しない全自動卵割り器”など……皆様の職務は、βに出向いてこれらを回収することです」


 初参加らしき人達がざわついている。こんな言い方では驚くのも無理はないが、既に19回このバイトに参加している僕に言わせてみれば、実際の仕事はそんな大げさなものではない。


「とはいえ、当たり前ですが皆様自身はコンピューター上の世界には入れません。実際βに行くのは皆様のコピーです。この後別室で1人あたり30分ほどお時間いただいて電気的な神経活動をサンプリングしますので、終わったらお帰りいただいて結構です」

「あ、サンプリング中は寝ていただいても大丈夫です。帰りに給与と交通費を支給します」


 再びざわめきが起こった。神経とかコピーとかの不穏な言葉への反応もあるだろうが、より大きいのは、そんな楽なバイトが存在していいのか?という驚きである。簡単なスライドを見た後30分寝るだけで30万円。既に2年間続けている僕でも時たま不安になるが、出口で怪しげな契約に勧誘されたとか、帰宅して封筒を開けたら札束の代わりに葉っぱが入っていた──みたいなことは一度も起こっていない。確実な懸念は、ここまで割の良いバイトを経験してしまっては二度とまともな仕事ができそうにないということである。


「なぜわざわざ人間のコピーを使う必要があるのかというと、これは視覚や聴覚の情報を映像化する技術の応用でして……そもそもシミュレーションした世界をそのまま描画するというのは要件定義も需要も曖昧で…………あ、面倒くさいな……この説明もう終わりで良いですか?」

「駄目ですよ」

「どうせ後から個別に説明するんだからいいじゃないですか」

「駄目です」

「ほら誰も聞いてないから……はい、それでは終わります」

「先輩」


 横に立っていた女性の制止を振り切り、秒間3枚の速度でスライドをめくっていく。この人は毎回途中で面倒になって説明を切り上げてしまうし、“後から個別に説明”なんてしてくれたこともない。だが、それで問題が起こったこともないので僕は気にしていない。この現場は責任者も参加者もいい加減で、誰がこんなプロジェクトに金を出しているのか分かったものじゃない。だが、社会に適合できなかった僕にはこんな場所がありがたい。


「あ、そうだ、このプロジェクトもおかげさまで20回目になりましたが、今回がラストですので」

「えっ」


 男が部屋を出ながら思い出したように言い放った台詞だったが、それによって僕は一瞬で居場所を失った。やはり採算の取れるビジネスでは無かったのだ。このバイトが無くなったら僕はどうやって生きていけば良いのだろう。今日の給与は出るからとりあえず1ヶ月は……いや、課金を控えれば2ヶ月はなんとかなるか。でもその後は?今さら普通の仕事なんてできるわけがない。


「なあ、このバイトを紹介してくれたこと、一生恨むよ」

「ガチャに使った分貯金してれば良かったのにな」


 同じ状況に置かれているはずの馬渡がなぜヘラヘラできているのか分からないが、そのくらいのメンタルが健康には良いのかもしれない。まずは今日の仕事をしっかり終わらせて、ラーメンで腹を満たしてから今後のことを考えよう。ああ、憂鬱だ。




 僕が別室に呼ばれたのは参加者の中で最後だった。サンプリングは1人ずつなので後の方になると数時間待つことになるが、その間は外に出ていてもいいから楽なものだ(僕は会議室でゲームをしていた)。別室には金属製らしき大きな椅子があり、白衣の男性が隣に座って出迎える。僕が椅子に座ると電極のたくさんついたヘルメットを被せられ、周辺機器らしき箱のスイッチがパチンパチンと上げられていく。最初は緊張したものだが、昔の映画のイメージみたいに延髄にプラグを差し込まれるわけではないと考えると比較的恐ろしさは減る。楽にしていてくださいという言葉に甘え、眠りにつけば職務は終わり。先にサンプリングを済ませた馬渡と合流して飯を食いに行こう────






**********






 目を覚ますと僕は真っ白な空間にいた。


犬養いぬかいさん、おはようございます」


 声の出所へ振り返ると、そこにはボサボサ頭の男、入鹿がいた。地面もないのにデスクが置いてあり、男は椅子に座ってノートパソコンのキーボードを叩いている。気が付くと自分も簡素な椅子に座っていた。


「ここは……?」

「ラプラスの中です。まだβには入っていませんが」


 目と耳から入ってくる情報はやけに鮮明なのに、嗅覚や触覚が曖昧だ。理屈で言えばこれは夢に違いないのだが、直感がそれを否定している。僕はなんでこんな気持ちの悪い場所にいるんだ?いつもなら眠りについたのと同じ椅子で目が覚めるのに。


「あなたは神経活動のトレースからラプラスによって再構成されたコピーの人格です。本物の方はお金を受け取って帰っている頃ですが……あなたにはまだ仕事があります」


 コピー?僕は本物ではない?そんなわけがない、だったらこの自我は何なんだ?だが、これが生身であるという実感もない。考えがまとまらない。自分が息を吸っているのか吐いているのかも分からなくなってきた。


「……今まで楽に稼いでいたのは運が良かっただけで、僕は最後の最後に貧乏くじを引いてしまった?」

「いや、それは正確じゃありません。あなたは毎回当たりと外れの両方を引いていて、当たりを引いた方はそれに気づいていなかっただけ。犬養さんのコピーがここに来たのはこれで20回目になりますね」


 状況の理解が進みそうになった、その直前に心音が思考を邪魔してくる。これはある種の防衛機制だ。ストレスに晒された心が、今までに起こった事実を否認している。ああそう、僕には心がある。


「ここはβ突入前の作戦会議のために作った場所です。目標は先に言った通り、βに存在する未知の技術の回収。特にあなたには……」

「なんで僕がそれをやらなきゃいけないんですか?メリットがない」


 それだけはわかる。実感のないままここに来た、この僕が彼らの利益のために働く必然性はどこにもない。仮に僕が偽物だったとしても、どこかにいる本物の僕のために奉仕するなんて馬鹿馬鹿しい。


β。どちらか選んでください」


 回答はパワフルで無慈悲なものだった。僕の意識がコンピューター上の電気信号の産物であるなら、目の前の男には本当にそれができるのだろう。力によるシンプルな脅しだ。逆らいようがない。


「では話を続けますが……あなたには30年代後半のβで現地の人間になってもらいます。情報収集を行い、未知の技術を発見した際はできるだけ詳細にその仕組みを見て、聞いて、記憶に収めてください。メモや映像記録の類はこちらで回収できませんので」

「……それをどのくらい続ければ?」

「せいぜい数年ってところですね。10年超えることもあったかな?頑張ればもっと早く終われますよ、きっと」


 年単位というだけで当初の想定からはかけ離れた数字だ。改めて、とんでもないバイトに手を出してしまった。


「情報収集のやり方について、あなたに特に指示することはありませんので、好きなようにやってください。あとはそうですね……βに入る際、夢を見ているような感覚に陥りますが、意識を強く保つようにしてください。と。でなければあなたの自我は希釈され消えてしまいますから」


 淡々と説明されるほどに、命が軽視されていると感じる。命。今の僕にはそれがあるのか?


「じゃ、頑張って下さい」





**********






 僕は再び目を覚ました。体はベッドの上に寝ている。今度はちゃんと床も壁もあり、肺に吸い込む空気も、綿織物の感触も伝わってくる。現実に戻ってきたと思えたが、この場所は見覚えのあるものではなかった。


「子供部屋……?」


 5畳ほどの部屋にはよくある形の勉強机と椅子があり、傍らにはボロボロになった水色のランドセルが放り出されている。床は教科書や脱ぎ捨てた服でほどほどに散らかっていた。ベッドが異様に広いと感じたが、僕の方が小さいのだと気が付いた。枕もとでコードに繋がれた型の古いスマートフォンを手に取り画面を覗くと、見知らぬ子供の顔が映りこんだ。自分の頬をつねると痛いし、画面の中の顔も変形している。信じられないが、僕は知らない家の子供、恐らく12歳程度の少年になっている。あの真っ白な空間でのことは夢ではなかった。きっとここは、入鹿の言うβの世界なのだろう。本当に、この異世界で別人として何年も過ごさなくてはならないのか?心音のテンポがいつもよりずっと早く、うるさく感じる。──何かもっと大切なことを考えそびれている気がする。


「拓也~~~~?ごーはーんーーー!」


 遠くから女性の声が聞こえた。母親だ。そしてこの少年の名前は拓也だと分かった。朝食の準備が終わって、なかなか起きない息子に痺れを切らしていると推察できる。この調子だと部屋に押しかけてくるまで秒読みだ。現に足音がそこまで迫っている。さて僕はどうするべきか。全く面識のない子供になりきってやり過ごすのは難しいが、部屋の様子から察するに彼はやんちゃな性格で────ちょっと待て、


「拓也~?…………どうしたの?」


 冷や汗が体中から噴き出した。手の震えも止まらない。きっと僕は、見たほうも青ざめるようなひどい顔をしている。目を覚ます直前、消えたくない一心で僕は強く念じた。自分はここだ、この体は自分のものだと。その結果、僕の意識が体の主導権を握り、少年はどこかへ消えた。






「数は多くありませんが、近年似たような症例が数件報告されています。予兆は無く、夜中から朝にかけて目を覚ました直後に不安様の行動が出る、普段使わないような言葉を使う。数日で回復するケースもありますが、錯乱状態のまま自ら命を絶ってしまった例も1件。慎重な経過観察が必要です。しばらくは大人がそばについていてあげてください。場合によっては入院も検討しましょう」

「拓也は治るでしょうか?」

「現状ではなんとも」


 僕より遅く診察室から出てきた母親は疲れ切った顔をしていた。僕のせいだ。


「拓也、行こうか。立てる?」


 彼女は無理に声色を明るくしながら僕の手を引いた。受付へ向かう廊下で、2人の看護師とすれ違う。


「あら、こちらにいらっしゃるのは珍しいですねえ。今日は娘さんのお見舞いじゃないの?」

「いえ……」

「もしかして息子さんも何か?大したことないといいわね、ただでさえ──」

「こら、子供の前でそんなこと言わないで。すみません、言って聞かせますので」

「だって、シングルで苦労されてるのに2人とも入院なんてことになったら可哀そうよ」

「…………」


 母親は僕の手を力強く握り、早歩きで人のいない方へと抜けだした。背後から声が聞こえなくなったところで、彼女は僕を抱き寄せた。


「ごめんね、結衣が心臓の病気になってから、かまってあげられなかったね。さみしかったよね」

「今朝のご飯、オムライスだったんだよ。拓也が喜ぶと思って…………。でも、ちょっと遅かったね。帰ったら温めて食べようね。今夜はお母さんも一緒に食べるから」

「お金のことも、なんとかする……でも、もう少し我慢させちゃうかもしれない。ごめんね……」


 彼女の言葉を聞いて、喉がぎゅっと縮まった。この人が謝ることなんて何もない。悪いのは僕を騙してここへ導いたあの男と、安易な選択をして実際に手を下すまで何も気づかなかった僕自身。全部僕たちのせいなのに、なんでこの世界の人間が割を食うんだ?こんなものは彼女に課された運命ではない。世界の外にいる人間の単なる私利私欲が、この世界で暮らしている人々を脅かしていいはずがない。──自分が許せない。こんなにも憤っているのに、息子を演じて母親を慰めることも、真実を告げて詫びることもできやしない。


 僕の呼吸が浅くなっていることに気が付いたのか、母親は腕を緩めてこちらの顔を見た。表情は暗いが、優しい目が僕の様子を伺っている。それは僕に向けられるべきものではない。どうしても耐えられなくなって、僕は病院の外へと逃げ出した。






 雨の中をがむしゃらに走った。胸がひどく痛む。僕はこれからどうすればいい?もう死んでしまいたいという考えが何度も頭をよぎったが、その度に、それだけはいけないと首を横に振った。そんなことをすれば、この少年にも母親にも止めを刺すことになる。僕はあの時、入鹿に選択を迫られたときに消えるべきだったのだ。他人を犠牲にしてまで引き延ばすほど価値のある人生なんかじゃなかったのに。


 あてもなく進むうち、今ではもう見ないような寂れた商店街にたどり着いた。シャッターの下りた空き店舗だらけだがアーチ状の屋根は部分的に残っており、雨をしのぐことはできた。シャッターの前に座り込んで放心していると、商店街の出口から大きなエンジン音が響いてきた。車両通行止めの標識を無視した大型バイクはそのままアーケードを縦断するかと思いきや、僕の目の前でわざとらしく停止した。通報を受けた警察官かもしれないが、どうやら様子が違う。正体不明のライダーはバイクを降りてこちらへ歩み寄った。僕は無意識に下を向いて目を逸らした。


「君、行くあてがないっていう顔だね。何をしたんだい?」

「……………………


 この子の母親にも言えなかったことが、滑るように口から出た。誰かに懺悔したかった。こんなことを言えば通報されてしまう──いや、言わなくてもあまり変わらないかもしれない。


 なかなか反応が返ってこないことを不思議に思い少しだけ顔を上げると、向こうの髪が鼻に触れるくらいの至近距離に女性の顔があった。


「…………っ!!」


 距離を取ろうとして後頭部をシャッターにぶつけてしまい、大きな音が鳴った。女性は妙に嬉しそうな顔をしている。


「ふふ、やっぱり君だ。探してたんだよ」


 探していた?やはり病院から逃げた僕を捕まえに来た追手なのか?


「私の家に来なよ。その罪の償い方を教えてあげる」

「!」


「私はβ1。“先生”とでも呼んでくれ?」

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