第3話 支払われるべき対価とは?

 結局容疑者との面談は失敗に終わった。

 舐めまわすように知的障碍者の我が子をかばう両親。

――夜道を歩くほうが悪い

――障碍者が自由に出歩いて何が悪い?

――自分たちは間違ってない。

 途中から、さすがに春平も絶句した。

 時間になり退室しようとした時だった。

 その障害者は背中に向かって馬鹿にするようにこういった。

「ばぁか」

 その瞬間、大股で綾子は障碍者に近づくと思いっきり平手打ちをした。

「何をするの!?」

 ヒステリックに叫ぶ母親に対して春平たちは頭も下げず、部屋を後にした。


 面談用にセッティングされた貸し会議室のビルを出て春平はネクタイを緩めた。

 あまりにバカバカしい時間であった。

 横目で見るとうんざりしたような愛弟子が一つ溜息を吐いた。

「悪かったね」

「いいえ、書類作成などは仕事のうちですから気にしないでください」

「そうか」

「まあ、一応とはいえ、事件は……」

 下に目線を下げる。

 由香里は泣いていた。

 さすがにスーツというわけではなく、可愛い服だ。

 それでも、泣いている子供が着れば価値は半減する。

「ご……ごめんなさい」

 大人二人に囲まれながら由香里は顔に手を当てて泣く。

「だいじょう……」

「じゃあ、代価を払ってもらおうか?」

 許そうとした猪口に春平が割って入る。

 驚く猪口。

「別に……」

 弁明をしようとする猪口。

「代価?」

 しゃりくあげながらも春平を見る由香里。

「そう、君の時間をもらう。今から、俺とデートしなさい」

「はい!?」

 上ずった声を出したのは猪口だ。

「師匠、あなたは、ロリコンだったんですか!?」

 春平の耳元で小声だが、明らかに非難めいた口調だ。

「そんな訳ないだろう? ロリコンなのは息子だ」

「本当ですか?」

「お前って本当にそういうところは昔から変わらないね」

 そんなやり取りを数回。

「本当に、本当に、変なことをしませんね?」

「だから、しないって」

 この言葉で猪口は身を引いた。

「万が一のことあったら、まっさきの行きますからね!」

「わかったって……」

 うんざりしたように春平は頷いた。

「じゃあ、由香里ちゃん。デートに行くよ」

 由香里に手を差し出す春平。

 その手を握る由香里。

 雑踏の中に消える二人を猪口は心配そうに見送った。


 まず、和菓子屋さんに行く。

 ブデックなどから見れば小さく地味なものだが、清潔な店内に色々趣向を凝らした小道具があり、店にいるだけで飽きない。

「いらっしゃいませ」

 女性店員が声をかけた。

「あら、平野平さん。お久しぶり」

「おう、久しぶり」

 春平も気軽に返事をした。

「あら、お孫さん? 可愛い」

 店員は由香里を見て褒めていた。

「だろ? ……まあ、ちょっと預かっている娘さんだよ」

「まあ、私はてっきり……」

「てっきり?」

 聞き返す老人に店員は困ったような笑みで視線をそらした。

 春平も店員の意図を汲んでか、苦笑する。

 それよりも由香里はガラスケースの中にある色とりどりの和菓子に興味がそそられていた。

 羊羹などの通年物に加えて桜餅も自分の知っている焼いたものと別に蒸したものもある。

 春平も店員とのやり取りを終えて品物を見る。

「じゃあ、イチゴ大福二つ」

「はい、わかりました」

 店員は商品ケースから白い大福を二つ、トングで取り出すと小箱に入れて由香里に渡した。

「あ、ありがとうございます」

 由香里は頭を下げた。

「いい子ねぇ……平野平さんに似てないわねぇ」

「だぁかぁらぁ、彼女と俺は……」

 そう言いかけて春平は口を閉ざした。

「また、買いに来るから。その時、教えてやる」

 そういうと踵を返した。

「ありがとうございました」

 由香里は慌てて追いかける。


【星ノ宮海浜公園】

 星ノ宮市民憩いの場所である。

 適度に広い園内には、イベント用の芝生に適度に子供を遊ばせられるアスレチックや遊歩道などがあり散歩やジョギングコースも併設されている。

 春平は、そんな遊歩道から外れた、人気のない道に入った。

 由香里は読めなかったが看板には『史跡 鬼伏せ岩』の文字がある。

 舗装された道があるとはいえ、ほぼ森のような場所だ。

 昼間なのに薄暗い。

 小さい虫や、昆虫類が目の間を飛ぶ。

 春平は何度か振り返り、様子を見るが、すぐにすたすたと歩く。

 だんだん、目の前に光が見えてきた。

 思わず、腕を額に当てて影を作る。

 それでも、太陽の光に目の前が一瞬白くなる。

「わぁ……」

 由香里は感嘆の声を上げた。

 そこには、ただ、海と空だけがあった。

 隔てるのは、ただ水平線のみ。

 吸い込まれそうになる。

 手すりがあって、辛うじて、彼女の歩みを止めた。

 海を見たことはある。

 だが、星ノ宮湾は狭く、対岸が見えるので海の広さを実感できないでいた。

 ここは違う。

 海が一望できる。

「いいだろう? あまり知られていない隠れスポットさ。朝方に散歩する爺様が来るぐらいでほとんどの人には知られていないんだ。でも、君に見せたかったのは、風景じゃない」

 由香里が振り返ると大きな岩がベンチの横に、あった。

 下には草がいくらか自生していた。

 ただ、由香里の倍以上あり、春平にしても腕を伸ばして岩のてっぺんに届くかどうかの大きさだ。

 幅や奥行きもあり、由香里のクラスメートを十人でようやく囲える大きな岩。

「俺のライフワークの原点。鬼伏せ岩だ」

「おにふせいわ?」

 改めて岩を見る。

 なるほど。

 確かに少し引いて目を細めれば鬼が身を小さくして伏せているようにも見える。

「とりあえず、座ろうか」

 春平はハンカチを出し、ベンチにふんわり置くと『さあ、どうぞ』と由香里を手招きした。

 少しオドロドロしながら由香里はそこにちょこんと座った。

 来る途中に自販機で買ったペットボトルのお茶の一本を由香里に渡す。

「まあ、食べながら聞いてくれ」

 そういいながら、横に座った春平が由香里の腿に置かれた箱を開けて大福を食べる。

「泣いた赤鬼って話聞いたことないか?」

 春平は大福を一口食べてお茶で流し込んだ。

「えーっと、優しい赤鬼が人と仲良くなりたいのに人間が怖がって、それを見た赤鬼と仲のいい青鬼がわざと悪さをして人間を守った赤鬼が仲良くなって、青鬼が旅に出ちゃうんだよね」

 この答えに春平は口角を少し上げた。

「それは浜田広介の童話版だな……まあ、似てるっちゃあ似ているなぁ」

「違うの?」

「俺もまだ研究途中だが、どちらかといえば、俺が追っている鬼はどちらかと言えば、赤鬼じゃなくって青鬼に注視した研究なんだ」

 由香里も大福を食べる。

 白くもっちりした皮の中にはたっぷりの餡子と大きな苺が入っていた。

「あー、あ。口の周りが白いよ」

 春平はもう一枚のハンカチを出して由香里の口を拭いてあげた。

「あ、ありがとうございます」

 由香里も手で粉を拭う。

「青鬼?」

 口の汚れを取り少女は聞いた。

「青鬼は、まあ、正確には、この鬼伏せ岩の元になった鬼だけど、俺は、お話のその後どうしたのかを知りたかった」

「お話の続き?」

「赤鬼は、たぶんだけど、そのまま人間と一緒に幸せに天寿を全う出来たかもしれない。しかし、青鬼はどうだろう? 安住の地を捨てて旅に出て、何があったのだろう?」

「でも、似ているって言っていたよね。本当は違うの?」

「そうだな、俺の家に伝わる青鬼とは少し違うな」

「どんな話なの?」

 由香里は大福の最後の一口を食べてお茶を飲んで口を拭って聞いた。

 少し春平は、彼女の目を見ていたが語りだした。


 遠い昔。

 天竺、今のインドの森に人を食う悪鬼がいた。

 毎日、森の中で会う人間すべてを平らげてきた。

 薬草を求めてきた怪我人。

 あやすためにやってきた赤子と母親。

 彼らも容赦なく鬼は平らげた。

 だが、ある時。

 ある僧侶が鬼を人間に変えた。

 どんな秘術だったかは未だに分からないが、もう、巨大な体も、牙も、爪もない。

 それどころか、頭にある角もない。

 理解できない鬼は人間に変えた僧侶の首筋に噛みついた。

 うっすら血が出るが、致命傷ではない。

 驚いた。

 だが、鬼はそれを表現する言葉を知らなかった。

 人間を食う。

 消化したものを所かまわず排泄する。

 眠くなれば寝る。

 この繰り返しだった。

 同族の鬼いたかもしれない。

 でも、仲間ではなかった。

 野生動物のようにお互いの縄張りの敵という認識である。

 それがいつも間にかいなくなった。

 獲物は増えた。

 知恵もない。

 以前のような力もない。

 角もない。

 愛される意味すら分からない。

 ただ、葉の緑の間から見える青い空だけが新鮮な驚きであった。

 僧侶は鬼だった男の手を持つと旅に出た。

 ひたすら、東へ。

 その道すがら、彼は鬼に生活の基礎から様々なことを教えた。

 最初のうちは赤子のように駄々をこねていた鬼も少しずつ、物事を覚え、僧侶も根気よく教えた。

 だが、言葉も一通り覚え身なりも整い、立派な男になったが、旅の途中で僧侶が死んでしまう。

 それでも、東へ向かい、やがて、日本に行きついた。

 当時、アメリカ大陸は発見されず、海だけを見て、鬼は絶望した。

――東に進み、安住の地を見つけろ

 その約束が果たされないことへの絶望。

 生きていく指針がない絶望。

 鬼は伏せて泣いた。

 泣きに泣いた。

 その時の悲しみは、人間だった男を元の鬼に変えるほどであった。

 近隣の村人は恐ろしく、何もできなかった。

 それでも、泣いた。

 やがて、体中から水が無くなった。

 すると手足の末端から石になり始めた。

 何度目かの夜明け。

 急に静かになり、村人が近くによると鬼は岩になっていた。


「その末裔、子孫って意味だけど、それが俺らしい」

 ペットボトルのお茶を飲む春平。

「じゃあ、鬼になれるの?」

 由香里の言葉に春平は珍しく声をあげて笑った。

「ないない……子供の頃に親父から聞いて色々したけど角なんてちっとも生えやしない」

 目じりの涙を拭いて春平はもう一度ペットボトルのお茶を飲んだ。

「でも、鬼に興味を持ってね。昭和・平成の市町村合併で町の名前もだいぶ変わった。調べてみると、この豊原県、とりわけ星ノ宮は鬼に関する町名が多かったんだ」

 そう言って春平は肩にかけたカバンから手帳を出した。

「ここに来るとき、橋を渡っただろ? あの橋の名前は鬼渡橋。大福を売っていた場所は鬼洗町という場所だし、ここは鬼泣き岬。で、この岩は鬼伏せ岩」

「今さっき言っていた鬼?」

「そういうこと。俺の親父とお袋がよく鬼の話をしていてな。子供ながらに『それなら、自分も調べてみよう』と調べ始めたのが切っ掛けだ」

「すごい」

「でも、話はそう簡単じゃない。市の図書館や昔を知る人の言い伝えを聞いたり調べたり大変なんだ」

 春平は由香里の顔を見た。

「だから、言えることがある。君に巣食う鬼を殺しなさい」

「え?」

「今さっき見ただろ? 君のお姉さんを殺した奴はクズだ」

 老人ははっきり断言した。

 周りの大人は「ジンケンが……」などと小難しいことを言っていたが、目の前の老人は違う。

 はっきり、彼女の胸の内の言葉を言い当てた。

『奴はクズだ』と。

 だが、それは周囲から非難される言葉であった。

 両親の前で言っても平手打ちをされ、その後泣いた。

「だから、君は幸せになりなさい」

「嫌だ!! お姉ちゃんはあんな奴に……あんな奴に……」


 退室する間際。

 もう五十代である男は父親の膝の上で甘えながらこう言った。

「けけけ、バーカ」


 怒りと悲しみと憎しみが涙になって溢れかえる。

 老人は、その両肩を抱いた。

「君の鬼を殺しなさい。その命をもって、俺は鬼に頼む」

 老人の腕の中で由香里は顔を上げた。

「だって鬼は……」

「俺がいつ、『いない』と言った?」

 由香里は困った顔になり、再び春平の胸に顔をうずめた。

「私が死ぬしかないのかな?」

「死とは何も肉体的な意味だけではないよ。言っただろ? 『君に巣食う鬼を殺しなさい』って」

「わからない」

 少女は素直に答えた。

 老人は問うた。

「大福、美味かったか?」

「……美味しかった」

「ここまで来る途中、色々話したけど楽しかった?」

「楽しかった」

「それは、君の『楽しい』という気持ちが鬼に勝ったということだ」

「勝った?」

「鬼の好物は人の恐怖心、怒り、恐れ、悲しみ……その心さ……それら一切を無くすことは出来ないが意識して小さくすることは出来る」

「でも、それじゃあ、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……」

「だから、君は生きてお姉さんの分までいっぱい、色々なことを見聞きして勉強して悩んで強く生きないといけない」

 春平は両肩を持って由香里を諭した。

「それが『君の中の鬼を殺す』ということだ」

「私にできる……かな?」

「『できるかな?』じゃない、君自身がやらないといけないんだ。これは、君自身の人生なんだから」

「私の人生?」

「そう、君が都会で働くキャリアウーマンになろうと、家庭に入ってお母さんになるのも、他の道に進むのも君の自由だ。でも、世の中には、様々な誘惑や罠がある。そいつらは、君の人生を乗っ取ろうとする。それは嫌だろう」

「うん、嫌だ」

「だから、そいつらに頼ろうとする鬼を殺しなさい。ただし、全ての人が言うことを、俺も含め、聞き入れるのも大事だ。その人間が信じるに値するかどうか、見定める必要がある」

 由香里は春平を見つめる。

 見定めているのだ。

 そして再び泣いた。

 春平は優しく受け止めた。

 分からない部分もあった。

 だけど、自分が生き続けなければならないことを知った。

 老人の言ったことが分かるのは、もう少し先の話。

 その厳しさと長い道のりを知る。

 少女は泣きに泣いた。

 春平は由香里が泣き止むまで、茜色に染まるまで彼女を抱いていた。


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