第二話 後輩の幸せ

「木下、このシュガーポットはソファ席の方?」

「そうです。カウンターはこっちの少しスリムな方ですね」

「これ分ける必要あった?」

「いいんですよ。女子は、好きじゃないですか。あ、あっちのアレも可愛い、とか」


 なるほどねぇ、と千佳子は妙に感心している。

 カフェは無事に引渡しも終わり、家具を運び入れる事が出来た。今日はこのプロジェクト要員総出で、ホームページなど広告用のディスプレイに追われている。開店までは、あと半月と少し。来週からはスタッフの研修が始まり、店内の手直しを入れたりと、それぞれが忙しなく動き始めることになるだろう。海もインテリアだけでなく、他の担当の手伝いに回る。今年の盆には、実家に帰れそうにもない。九月の頭に開店する店は、夏休みの最後一週間にプレオープンすることになっているのだ。


「海さん、傘立てはどこに収納しますか」

「それは、バックヤードだね。入って直ぐのところが良いかな」

「はぁい」


 いつもと変わらないように見える優奈だが、最近少し綺麗になったな、と感じるようになった。理由は簡単である。春先によくデートしていた彼と、最近付き合うことになったらしいのだ。何処が変わったのかと聞かれると、何と表現するのが正しいか分からない。ただ何をしていても、幸せそうに見えるのである。女の子は恋をしていた方が綺麗になる。花枝がそう言っていたことが確かだ、と実感が出来るほどだ。肌艶も良くなった気がするが、そう言うことではなく、表情が豊かで余裕があると言うことだろうか。本人にこそ自覚はないのだが、アレが溢れ出る幸せなのだろう、と海は考えていた。

 ただ恋をするだけで綺麗になるのならば、海だって御多分に洩れず含まれるのだが。自分に対しては、全く変化を感じたことはない。やはり、幸せな恋愛をしていないとダメなのだろう。




「あ、そうだ。木下、お願いがあるんだけど」

「はい。なんでしょう」


 大方の配置を終え確認をしていた海に、千佳子から声が掛かる。


「プレオープンの前の日に、スタッフの練習も兼ねて、関係者のランチ会しようと計画しててね」

「あ、買い出しですか?」

「いや、そのは発注は担当に任せてある。最後まで聞きなさい」


 こういう時は、いつも買い出しを頼まれていたから今回もだろうと思ったが、見当が外れたようだ。最後まで聞け、と当たり前の事を言われて項垂れる。


「その日、森本さんたちを招待しようと思ってて。声掛けて欲しいのよ」

「え?私がですか?」

「そう。今回は私よりも、あなたの方が彼らと接していたと思うのね。色々意見をもらったりしたんでしょ?」

「そうですね。ご相談させていただきました」


 そう答えると浮かんで来る、あの事務所の面々。当然、一番にチラついたのは朔太郎の顔である。


「だからね、木下が誘うべきかなって。三人を、ね」

「わかりました。決まり次第詳細をメールすればいいですか?」

「いやいや。折角のお祝いじゃない。そこは招待状作るとか、顔を突き合わせてお誘いするとか、そういう温かみを持った方がいいわよ」


 千佳子の言うことはもっともだと思った。「なるほど、勉強になります」と答える海の肩に、優しく手を乗せ、彼女は微笑んだ。


「うぅん、招待状かぁ」


 どうやって作るか。招待状なんて、子供の頃の誕生日会だとかで作ったきりのような気がする。買って来て、日時を書き込めばいいだろうか。


「何ですか、招待状って。まさか、結婚するんですか?」

「は、する相手もいないわよ」


 嬉々とした様子で寄ってきた優奈を素気無く撥ね付けるが、それでも彼女は爛々とした瞳のまま海を見ている。寧ろ結婚に近いのはそっちの方だ。声には出さないけれど。


「プレオープンの前日にランチ会するから、森本さんたちに声を掛けてって頼まれてね。その話」

「あぁ、なるほど。メールで済まそうとしてませんでした?大丈夫です?」

「え?あぁ……してました」


 見透かされると恥ずかしいものだ。用件が伝われば、それで良いのでは。海がそう思ったのだろうと、優奈は読み切っていた。


「いいですか。大きな会社ではないんだし、人情で売らないと。可愛い招待状とかがいいんじゃないですか」


 無駄にやる気を出す優奈を不思議に見つめた。何故急にそうなったのかは、全く分からない。だけれども、彼女の言うことは確かだった。


「まぁ、少し考えてみるよ。買ったって良いんでしょう?」

「そうですね。でも、買うなら手書きがいいと思いますよ」

「そっか。じゃあ帰りがけにでも見に行って来るわ」


 楽しみですねぇ、と言いながら、幸せそうな笑みを見せる。鼻歌を歌いながらバックヤードの片付けに向かう彼女は、スキップをしてしまう位楽しそうだ。恋愛が上手くいけば、あんなにも日々が充実するものか。それを体現しているかのような優奈に、海は感動すら覚えている。


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