第20話
ドズン――!!
無支祁の繰り出す如意棒の1撃が土を抉った。大質量を伴って振り下ろされる如意棒の直径は男性の太腿ぐらいの太さであった。そして無支祁はそれを、そのまま横殴りに薙いだ。地面スレスレから腰を狙って、斜めに薙いできたのだ。
しかし真奈は軽やかに如意棒を躱す。むやみに高く跳ぶことなど決してしない。躱せるギリギリの跳躍であった。
無駄な動きは敵に付け入る隙を与えることになるからである。もし高い跳躍などをしたならば、空中にいる間は無防備同然。着地地点が読めるのであるから、着地寸前を狙えば、攻撃は容易であろう。
真奈の得物は剣であり、攻撃を加えるには相手との間合いを詰める必要があるが、無支祁は伸縮自在な如意棒で迎撃し、簡単には近寄らせない。
疾り寄り、距離を詰めようとする真奈に、無支祁は無造作に如意棒を振り下ろす。
長い得物では、間合いを取りながら戦うことがセオリーである。逆に近距離まで寄られれば、その長さが邪魔になり、思うように振ることさえ出来なくなってしまうからだ。
無支祁が振り下ろしてきた如意棒を、真奈は僅かに腰を落とした体勢を取り、剣で斜め下に擦り落とした。
それは今日、初めて剣を扱う者とは思えない行動であった。
渾身の膂力を持って振り下ろされる得物を真っ向から受け止めるなど、剣を叩き折られるのが落ちである。それ故に剣を多少使う者ならば、受け止めるのではなく、擦り落とす。
誰に教えられるでもなく、真奈はそうしたのである。
それは天賦の才と言って良いものであった。
さらに真奈は、如意棒を刀身で擦り落としながら、同時に無支祁に擦り寄っていった。これで無支祁にとっては、如意棒を振り上げるも振り切るも隙を生むことになる。その隙に真奈は懐に潜り込む目論見であった。懐に入り込めば、刀剣の間合いである。
しかし、無支祁は如意棒を横薙ぎにし、真奈ごと、吹き飛ばすという行為で相殺した。それは相当な膂力でなければ出来ない芸当であった。そして、無支祁には自分の腕力に対する絶対的な自信があった。口元には、微笑さえ浮かんでいたのだ。
吹き飛ばされた真奈はしかし、体勢を維持したまま着地した。そして、着地したその瞬間、その左手から何かが飛んだ。
ああ――。
まさか、真奈の手を離れた何かが、無支祁の左目を撃ち抜こうとは――。
それはあの異界の森で、1つ目の異形の猿たちの目を撃ち抜いたどんぐりの指弾であった。真奈は手軽な飛び道具として未だ、これを懐中に忍ばせていたのであった。
「ぐあっ……!?」
左目を押さえた無支祁の手の間から、見紛うことのない鮮血が溢れ出した。
「おのれっ、小娘……!」
無支祁が怨嗟の籠もった目で真奈を睨み付けた、まさにその瞬間、残っていた右目をもどんぐりが撃ち抜いた。
「ぎゃあっ……!?」
真奈は
無支祁にどんぐりを撃ち込むチャンスは数えるほどしかないであろう、と真奈は考えていた。それなら、隙を作り出すしかない。
では、どうするか――?
無支祁の自身の能力に対する、絶対的な自信こそが油断を生み出す、と真奈は考えた。そして慢心は、真奈との力量差が大きく現れたときにこそ生まれる――と。
だから真奈は、自分では無支祁に敵わないように装って見せたのである。近寄ることすら出来ないかのように。
そして、無支祁は慢心した――。
そのほんの一瞬に、真奈はどんぐりを撃ち込んだ。
だが本当の狙いは、2発目にこそあったのだ。
真奈は全て、計算尽くだったのである。
最初の1発が当たれば、その気性から無支祁が自分に怒りの眼差しを向けるであろうことも、そしてその時にこそ、最大の隙が出来るであろうことも。
真奈の読みは見事に的中した。
「グアア……」
そして、次の瞬間であった。
無支祁の発する声と姿に変化が現れたのは――。
カイムは関羽と何十合、打ち合ったかも判然としなかった。もう数え切れないほどに打ち合っている。ただ、関羽の太刀筋を見続ける余裕はあった。
適度な緊張感が身体を包み、集中力を高めていた。
両者共に、決め手を欠いたままの打ち合いが続く。しかし、関羽の打ち込みに疲れは見えず、却ってカイムの方に、ほんの僅かだが疲弊が感じられた。ここぞとばかりに、関羽の剣戟が勢いを増し、カイムは受けに回る回数が多くなった。
だが、カイムは焦ることなく、ジッと勝機を窺っていた。
チャンスは必ず訪れる――。
更に数合の打ち合いが続いた後、右下方から太腿に打ち込まれた関羽の斬撃を、カイムは左手に持ち替えた剣で受け止めた。
(よし――!!)
カイムは関羽の青龍刀を左手の剣で受け止めた瞬間に、右肘の突起を伸ばし、関羽の胴に薙ぎつけた。
カイムは勝った――と思ったに違いない。だが、自らの腹部に違和感を感じ取り、視線を移したカイムは、奇妙な物を見つけた子供のような表情で、そこに突き立った剣を見つめた。
「ちっ……」
それは関羽の右手に握られていた長剣であった。いつの間にか、関羽は腰に
関羽もまた、カイムと同様の機会を狙っていたのであった。
「見事だ、青年。だが、まだ甘い」
関羽は静かにカイムを見やり、長剣を引き抜きつつ、そう言った。
「ああ……、全くだ」
腹部に疾る痛みに、自嘲してカイムは答えた。関羽が長剣を佩いていることを失念していた自分に呆れたのであった。押さえた手の隙間から、血が零れ落ちる。
「よくぞ、ここまで戦った。青年」
関羽は淡々と長剣を左方に構え、真一文字にカイムの首を目がけて振るった。次の瞬間に、カイムの首が宙に舞うのが容易に想像出来るほどの斬撃!!
チィ―ン!!
甲高い音が響き亘った。
関羽の1撃は首筋の直前で受け止められていた。義人の持つ剣に――。
「悪いね。1騎討ちの邪魔しちゃって」
義人は伸ばした右手の剣で関羽の斬撃を止めながら、そう言った。そして、ゆっくりと近付き、体勢を整えた。
「……意外ですな。1騎討ちの意味を理解されておられると思っておりましたが」
闘いに割り込まれた形となった関羽は、そう問い質しながら右手に力を込めたが、剣はビクともしなかった。
「いや、まあ……。僕としても野暮な真似はしたくなかったんだけどさ。彼もまだ先のある若者だしね。ここで死なせる訳にもいかないんだ」
と、義人は済まなそうにほんの少し、苦笑を浮かべながら答えた。
「……何すんだ、親父さん。俺は負けたんだぜ。それも二度もだ。首を討たれても当然だろ?」
こちらも割り込まれた形になるカイムすらも、刺された腹部を押さえながら、義人に抗議の声を上げた。
「そう、君は関羽との勝負には負けたんだ。だからと言って、生命を捨てることはないんだよ。これが
負傷しているカイムをそっと押し離しながら、義人は優しく諭すように言った。そして力強く、こう告げた。
「ここからは、僕が引き受けよう」
その声を聞くが早いか、関羽は一度身を引いて距離を取り、右手の長剣を鞘に収め、青龍刀をしっかと持ち直した。
「おや、二刀じゃないのかい?」
「もとより、このような小手先の技が通じる貴公ではありますまい」
関羽に言葉に、対する義人は静かに右手だけで正眼に構えた。
「参る」
その場に声を残し、突進した関羽が青龍刀を横薙ぎに振るう。切り裂く空気が焼けるような斬撃。それを見たカイムは、さっきまでの関羽が全力でなかったことを知った。
「くそっ……」
つい、口を
「いつか……」
小さな呟きが、口から漏れた。
いつか、全力の関羽と渡り合えるほどになりたい――。
カイムは心底、そう思った。
しかし、義人が出張ってきた以上、それは叶えられない望みであることも、カイムには分かっていた。
唸りを上げる剛剣を義人は軽いステップで後方に退がって躱す。関羽は義人が退がった分だけ詰め寄り、更に剣を繰り出す。しかし、関羽の青龍刀は空を切り、或いは、義人の剣に
何度目かの関羽の一刀を受けながら、義人は関羽に語りかけた。
「関羽。後に関帝として民に祀られる君が、無支祁の配下とは何たる様だい?」
「言うな!」
関羽の剣戟が俄然、勢いを増し、義人を圧した。それは激しい怒りから、発せられた力だったか。
「呉軍に捕らわれたあの時、それがしは恐怖した。……死を恐れたのだ」
繰り出された一撃を受け流しながら、義人が告げた。
「そこを無支祁に付け込まれたのかい? 君の嫡男、
「そうだ。それ故、我は今度こそ、武人として誇り高く死なねばならぬのだ!」
関羽のその怒りは、不甲斐ない自らに対して向けられたものであった。武人として潔く果てる事が出来なかった自分が許せない、と身を焦すほどの憤り――。
「だから、あの夜、ずっと真奈を見ていたんだね? あの娘の力なら、自分を無支祁の束縛から解放してくれるのではないか……と思ったんだろう?」
「……御息女には迷惑をお掛け致した。図らずも、御息女を狙う無支祁の元へ導く結果となり申した」
「いや、それはいいんだ。きっかけになったみたいだしね」
小さく呟き、それまで守勢に回っていた義人が、ツツ……と前進した。
「では、関羽。代わりに、僕が引導を渡してあげよう」
ヒュッ!
鋭い風切り音を発し、義人の剣が関羽の胸前を横薙ぎに奔った。それを関羽は胸を反らして躱す。美髯の幾ばくかが宙に舞った。
「くっ……!」
切り返す義人の1撃を青龍刀の柄で受けた関羽の巨躯がぐらりと揺れる。2撃、3撃と繰り出す義人の剣を受ける度に、関羽の巨体が圧し込まれていく。
関羽が不利な状況を打破すべく、右上方から袈裟切りに大きく振り下ろそうとした青龍刀を、義人の剣が
「くっ……!! ぬおっ!!」
体勢を大きく崩された関羽が、後方に伸びきった状態の右腕を、もう一度振り下ろそうと、渾身の力を込める。
しかし、無理な姿勢から強引に繰り出される青龍刀より数瞬速く、先の一刀を弾いた義人の剣がくるりと翻るや、関羽の胴を右脇から真一文字に薙ぎ払っていた。
「……!」
一瞬、驚愕の表情を浮かべた関羽だったが、すぐに得心のいった顔付きになった。その口元には笑みすら浮かんでいる。
「これでいいかい?」
「かたじけのうござる」
そう言った関羽の姿の端々は、塵と化して、僅かな風に散り始めていた。
「さあ、お行き、関羽。向こうで、
「
懐かしいものに出会ったように遠い
「行った
「はっ……」
一陣の強い風が吹き、
その風に黒髪を靡かせた義人の顔には、それを見た者全てが優しくなれるような、そんな柔らかな微笑が浮かんでいた。
後に残ったものは、地に突き立った一振りの青龍刀。重厚なその一刀を、義人は片手で難なく引き抜いた。
「さて……」
義人は最後に残った闘いの場を、ゆっくりと振り返った。
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