第13話



 赤坂を抜けた真奈は、やがて永田町へと至った。

 皇居沿いに疾り、桜田濠辺りで立ち止まった。そして、桜田門のほうを向いたきり、突っ立ったままだ。

 やっと追いついてきた孝史と大野がその姿を認めた頃に、大野のスマートフォンが鳴った。


「はっ、はっ……。……はい?」

「大野か? 俺だ。あのガキ、まだけてるか!?」

「あっ、速水さん。ええ……、やっと追いついたトコです……」

「場所、教えろ。すぐに行く」

「あっ……、は、はい。場所は……桜田門の手前の……。あっ、おいっ!?」

「あなたが速水さんですかっ!?」


 真奈の場所を伝えていた大野のスマートフォンを引っ掴んで、孝史が速水に突っかかった。


「……んだ!? てめえは!?」


 当然、速水の訝しんだ声が流れてくる。


「いったい、真奈……ちゃんに何の用があるって言うんです!?」

「ああ!? てめえにゃ、関係ねぇだろがっ?」


 速水は怒鳴るわけではないが、その語調は脅しだった。

 だが、今の孝史にはそんなことに気がつく余裕など、これっぽっちもなかった。


「……殺すつもりじゃないでしょうね?」

「何言ってんだ、てめえ!? 大野に代われっ!」

「嫌です。質問に答えてからです。どうなんですっ!?」


 一瞬の沈黙の後に、速水が言った。


「……だったら、どうだってんだ?」


 今度は孝史が沈黙した。問い質しはしたが、実際にそんな物騒な言葉を耳にすると、どうしていいのか、わからなかった。

 やめろ――と言っても、聞き入れる相手ではなかろう。

 だからと言って、黙って指を咥えて見逃すわけにもいかなかった。捨て置けば、真奈の命に係わる問題なのだ。


「……警察に言うぞ? それでもいいのか?」


 孝史は思いついたままに、速水に脅しをかけてみた。

 だが、相手は極道者である。そんな脅しは常であった。速水は鼻で笑って、


「はっは! ……好きにしな。警察が動くより先に、あの女ぁ、死んでるぜ?」

「……」


 孝史はまたも沈黙した。確かにその通りだ。孝史の言うことを真に受けて、警察が動いたとしても、果たして間に合うかどうか?

 それよりも孝史の言を、警察の大人たちが信じるかどうか、それすらも怪しい。

 言葉に詰まる孝史の手から、大野がスマートフォンを奪い返し、


「速水さん、俺です。場所は……」


と、真奈の居場所を告げた。

 その横で孝史は、己の無力さを否応なしに実感させられていた。



 桜田門の近くで立ち止まっていた真奈の付近に、いつの間にやら乳白色の霧が漂い出していた。見る間に、辺りが霧で視界を失っていく。

 だが、こんな季節に霧とは――?

 霧の発生条件としては、今日は決して悪くはない。

 今日は風が弱く、梅雨特有の湿度の高さもある。しかし、どうしても不可欠なものが1つ足りなかったのだ。

 何らかの冷却作用がなければ、霧というものは発生しない。大気中に飽和していた水蒸気が、冷やされることで、飽和しきれなくなった分の水蒸気が〝〟となって現れるのである。

 東京の――都心の6月ともなれば、そんなことは到底望み得ない。山間部や河口付近、海沿いともなれば気温が下がることもあるし、条件次第で霧の発生する可能性もあるのだが、深夜でも街が眠りに就くことのない都心部では難しい。

 それがこの霧とは……。

 自然発生の霧ではあり得なかった。だが、真奈は訝しむでもなく、また不安がることもなく、白く視界の悪い夜の街にただ1人佇むばかりであった。


 と、真奈が顔を左手――皇居側へと向けた。

 それと同時であったか、桜田門の重く分厚い扉が内側にゆっくりと、そして軋み音1つなく静かに開いていった。

 それもまた、あり得ないことであった。

 すでに時刻は午後9時を回っている。

 皇居という場所柄、警備などの問題を鑑みれば、こんな時間に門が開くことはない。更に、この霧を見通す眼があるならば警備員の姿が、そして、あるべき所にあるはずの詰め所そのものがないことに気が付くだろう。

 まるで大きく開けられた巨大な生物の口腔にも似た門の内側――皇居内を、こちらから窺うことは出来なかった。この霧のためである。

 霧は門の内側から吐息の如く、無限に湧き出してくるようにも見えた。

 真奈は黙々と歩を進め、橋を渡り切り、門の真下に立った。傍から見れば、中に入ることを躊躇っているようにも見える。

 が、実際には、真奈は何も迷ってなどいなかった。

 ただ、門の内と外とで空間が歪められており、違う空間同士を繋げているのを感じ取ったのである。


 例えば――。

 江戸城をその基とする皇居に植えられている木々は広葉樹・針葉樹を交えながらも、桜・梅・松などの古くから親しまれてきた種類が多いが、白い霧の奥に垣間見える木々の多くは、樹齢100年以上、樹によっては1000年を数えようかという巨木ばかりが大半を占めていた。

 皇居……もとは江戸城が今の様相に改城されて400というのにである。

 真奈の瞳は、闇夜の中にそれを見て取っていたのだ。

 やがて、真奈は1歩を踏み出し、乳色の霧が満ちる門の内側へと消えた。



 都会では珍しい突然の霧の発生に驚いていた孝史と大野だったが、真奈が門を潜り抜けたのを見て、慌ててその後を追った。門の手前まで来た2人だが、真奈の姿はすでになく、暗い闇だけがぽっかりと口を開けている。2人にはそれ以上、奥までは見て取れなかった。


「どうする……? 入んのか?」


と、大野が胡散臭そうな顔で聞いた。今し方、速水には真奈が桜田門から皇居に入っていった――と伝えた。いずれ、追いつくだろう。

 だから、これ以上深入りする必要は大野にはなかったのだ。速水が真奈をどうするのかに興味はあったが、速水が真奈にはっきりとした殺意を抱いていると分かった今、ここが引き際だと大野は思った。


(問題はこいつだ……)


と、大野は隣の孝史について考えていた。


(御子神の奴に惚れてるこいつなら、迷うことなく入ってくだろうな。……ったく、面倒なことンなったぜ……)


 そんな大野の思考を遮るように、孝史はきっぱりと言った。


「入るよ。真奈ちゃんを放っとけないし……」

「ああ!? まだ、ンなこと言ってんのか!?」


 大野が呆れ返った声を出した。

 

「そンうちに、速水さんだってやって来るぜ!? 俺ぁ、巻き添えなんてごめんだぜ」


 両手を広げて抗議する大野に、孝史はこう言った。


「ああ、わかってる。だから1人で行くよ。じゃあな」


と、大野に背を向けて、孝史はさっさと歩き出し門に向かった。


「お、おい……」


と、大野は自分でも意外と思うほど、うろたえた声を上げた。そして、つい、孝史の後を追った。

 そのときである。

 橋の途中まで来た孝史と大野の目の前に、夜空から突然、人が降ってきたのは――。


「何だ、お前ら……?」


 軽やかに着地してのけて、そう問いかけたのは、カイムであった。驚きで二の句が告げない孝史たちに、カイムが言った。


「こっから先は、ガキ共の来るトコじゃねぇ。けえんな」


 な物言いだが、そこに義人がいたならば、以前とは違って、どこか柔らかな響きがあることに気が付いただろう。仇敵を倒したことでカイムにも余裕が生まれたのかも知れない。


「入っちまったら、こっから出れるたぁ、限らねぇぞ」

「でも、女の子が入っていったんです! だから、行かなきゃ……」


 カイムの忠告に、孝史が状況を説明した。


「……俺も知り合いの娘っ子を捜さにゃならねぇ。ついでに捜してやる。どんな娘だ?」


 思い詰めた顔をしている孝史に、妥協案としてカイムがそう提案した。


「え……!? でも……」

「こっちも急ぐんだ。さっさと特徴を言え」

「あ……、白い髪の娘で……」


 急かすカイムの剣幕に戸惑いながらも、真奈の特徴を告げる孝史の言葉に、


「ああ? 白い髪ぃ……?」


と、カイムは眉を寄せた。


「あ、ホントなんです。脱色とかじゃないから珍しいと思うんですけど……。あと、眼が紅いんです」

「はああ!? 紅い眼だとぉ……!?」


 カイムは更に眉間に皺を寄せて、言った。


「もしかして、お前らの捜してる娘……ってなぁ、〝真奈〟ってんじゃねぇだろな!?」

「真奈ちゃんを知ってるんですかっ!?」


 今度は孝史たちが驚く番であった。


「ああ、そのクソ親父とも……な」

「あ、僕、真奈ちゃんのクラスメートの島本……って言います。こっちは大野です」


と、孝史は自己紹介をしたが、


「……俺はカイム……っつんだ。まぁ、そんなこたいい。手間が省けるってもんだ。真奈は俺が捜して連れ帰ってやる。お前らは帰れ」


 相変わらず無愛想なカイムはそう言い残すと、孝史たちが止める暇もなく門を潜り抜け、闇に消えた。

 後に残された孝史たちは、しばし呆然としていたが、気を取り直した大野が孝史に聞いた。


「おい……、どうするよ? あいつに任せんのか? お前も行くのか?」

「……行くよ」


 静かな決意を秘めて、孝史が言った。


「しゃあねぇなぁ……。……俺も行くぜ」

「えっ……!?」

「見届けるぜ、最後までよ。御子神の奴がどうなんのかも気になるし……な」

「大野……」


 ニッ、と笑う大野に、孝史もつられて微笑を浮かべた。クラスの嫌われ者の大野にも良いところがあるのだ、とも思った。

 実際には大野は、ただこの件の結末が知りたいだけであったが、孝史はそう思い込んでしまった。

 そして、2人は肩を並べて、門を潜った。



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