第2話



「……どったの? たかっちゃん。じゃん」


 孝史が授業前の騒がしい1―Bの教室に入ってきたのを見つけた同級生の岸田きしだ武生たけおが挨拶がてら、手を振ってきた。


「オスっ、武生。……先生、まだ?」

「ああ? まだまだ。西村あいつが朝礼もない日に、んなに早く来るかよ」

「……ま、そりゃ、そうだけどな」


 確かに今日は月曜日だが、朝礼のない日だった。それでもホームルームはあるのだが、担任の西村教諭はいつも遅くやってくる。

 そのことを思い出して、何となく納得しながら孝史は、武生の隣の自分の机に鞄を放り投げて、椅子に座った。


「よお、それより今度、転校生が来るってんだけど、知ってっか?」

「転校生?」

「ああ。それがどうも、ウチのクラスらしいんだ」


 それでみんな騒がしいのか、と周りを見回した孝史の頭を、ふと過ぎるものがあった。


「なあ、それって女の子か?」

「そこまでは、さすがの俺でもわかんねぇけど……」


 武生はクラス一の情報通だが、今日はまだ、そこまでのは仕入れてなかったようだ。

 そのうちに、多数の立ち歩く奴や、友達と喋っている生徒たちで騒々しい教室に、のんびりと西村教師が入ってきた。途端に、蜘蛛の子を散らすように生徒たちが席に着いていく。


「あれ……? 西村の奴、えらく早いじゃねぇ?」

「……だな」


 武生の指摘に孝史も同意する。


「はいはい、ほら、みんな座れぇ~。ほら、谷口、さっさと座れ」


 名指しされた生徒が慌てて自分の席に向かう。


「あーっと……、よーろこべ男子!! 今日はウチに女子の転入生が来たぞ。……っと、御子神みこがみっ」


 廊下で待っていたのだろう。名前を呼ばれた女生徒が入ってくる。

 その姿を見た途端に、教室がざわめきとどよめきで埋め尽くされていった。武生もその1人だった。


「何あれ!? 気持ち悪ーい」

「脱色してんじゃないの……!?」

「あの眼、見ろよ。……真っ赤だぜ!?」

「やだ……、血みたい」

「……スッゲ可愛い……けど、こりゃあ……」


と、これは武生だ。

 確かに、その転校生は美少女であったのだ。だから男子生徒の一部は口笛を吹いたり、嬌声を上げたりもしていた。

 その中で孝史だけは、やはり、と思いながら転校生を見つめていた。


「あの娘だ……」


と、小さく呟いた。

 それはさっき学校の外で出会った、だったからだ。

 それにしても……と、孝史は考えていた。

 少女と出会った直後に、予鈴の鐘が鳴った。それから教室まで疾った孝史は先程、やっと着いたのだ。それを物差しにすれば、少女がこんなに早く来れるはずがない。

 生徒たちが、ざわざわと一頻り騒ぎ終えるのを待っていたのか、西村教師が教卓を出席簿でバンバンッ、と叩きながら、


「ほーらぁ、静かにしろっ!! こらっ、他人ひと身体からだのことをとやかく言うんじゃない!!」


と、一喝した。それから続けて、


「あー……、御子神みこがみはいわゆる『白子アルビノ』だ。生物学的に言えば『白変種はくへんしゅ』だな」


 いかにも、生物の科目が担当である西村教師らしい説明であった。


「先生……、それって、身体の『色素』がないってヤツですか?」


 生徒の1人がうろ覚えの記憶を辿って、本か何かで聞きかじったことを西村教師に聞いた。


「おお、柴田。よく知ってたな。そうだ。それ以外は普通の『』だから、そんなことで虐めたりするんじゃないぞ!!」


と、生徒たちに念を押した。

『ヒト』というのも、生物学での分類上の言い方である。普通なら『』と言うところだ。


『はぁ~い』


 少しだらけ気味の返事を生徒たちは返した。


「じゃ、御子神に自己紹介してもらおうかな」

「……はい……」


 御子神と呼ばれた少女自身は、それまでの騒ぎなど一顧だにしていなかった。

 自分の容姿で注目を浴びることなど、どこ吹く風――と、いった趣である。


御子神みこがみ真奈まなです。よろしく……」


と、相変わらず、抑揚のない声で挨拶した。それを聞いて、西村教師が苦笑しながら言った。


「おいおいおい、それだけかぁ? もうちょっと何かあるだろ。どこから引っ越して来た……とか、どんなことが好きだ……とか」

「……はぁ……」


 真奈は眼だけをちらりとそちらに動かして教師を見た。それから、


「5丁目の洋館に引っ越して来ました……。よろしく……」


 改めて、ペコリ、とだけ頭を下げた。

 しかし、それを聞いた途端に、一部の生徒たちが小声で囁き出す。


「5丁目の洋館だってよ……」

「そこって……お化け屋敷じゃない……」

「あの古い建物のトコ……!?」

「げぇっ……マジかぁ!?」


 生徒たちが騒ぐのも宜なるかな。

 真奈の引っ越して来た住所は、付近一帯でも『お化け屋敷』などと呼ばれ、近所の人たちも近寄りたがらない古く大きな洋館が建つ所であった。

 洋館がそう呼ばれるようになったのも、ひびの入った塀と錆びた鉄格子、鬱蒼と立ち並ぶ木々に囲まれて、建物自体にも蔦がびっしりと張り付き、ただならぬ気配を醸し出しているからであった。


「他に質問があれば、聞いていいぞ?」


と、西村教師が言うと、女生徒の1人が手を上げた。


「ほい、緒方」

「はい。御子神さんって、ホントにあの洋館に引っ越して来たんですか?」

「……ホントよ……。……それが……?」


 真正面を向いたままの真奈の、冷たく響くセリフに、緒方という女生徒はたじろいだ。


「えっ……!? い、いや、怖くないのかな……って……」

「……別に……」


 真奈に素っ気なく言われた女生徒は、不貞腐れて席に着いた。それを見ていた武生が、孝史にそっと耳打ちした。


「なぁ……。顔と違って可愛くねぇな、あの性格」

「ははは……」


 孝史は苦笑した。自分もつい先ほど、あんな返答をされていたからだった。

 どうも、あのは、〟なんだ――と孝史は考え始めていた。


「他には?」

『はいはいっ!』


 生徒たちが各々手を上げ、声が重なり合う。


「おし、村田」

「はい。……ええっと、御子神さんは彼氏はいますか?」


 村田という男子が問いかけた。少し頬が赤らんでいるようだ。真奈は少し、きょとん、とした顔で問い返した。


「……どうして……?」

「村田が、『付き合ってくれ』ってさっ!」

「……なっ、何言ってんだよっ!! ……んなんじゃねぇよっ」


 当人が答える間もなく、他の男子がちゃちゃを入れてきた。それを聞いて村田という男子生徒が慌ててごまかす。そんな年頃の高校生なのである。

 だが、真奈に気があるのは傍目にも明らかだった。


『いいじゃねぇかよ』

『どうなのォ!? 真奈ちゃーんっ!』


 複数の男子が声を揃えて、真奈に聞いた。


「……。いないけど……」


 さして気にした風もなく、真奈が答えた。


「ヒューッ!! フリーだってよぉ!」

「俺、立候補しよっかなぁ!!」

「バーロぉ。お前なんか、話になるかよ!!」


 やいのやいのと、男子生徒たちが盛り上がっていくのとは対象的に、女生徒たちはすでに白けていた。

 真奈の白い髪と紅い瞳、透き通った白い肌――。

 それら全てを引っ括るめた美貌が、女子生徒たちの反発を買っていたのだ。


(何よっ、男子たちったら……)

(ちょっと可愛いからって、ナマイキ……!!)

眼をしてるくせに……)


 ……等など。

 自分より美しい者に嫉妬する――というのは人のさがだから、それも止むを得ないところだろう。


「あー、他に質問がなければ席に着いてもらおうか。っと、そうだな……。とりあえず、1番後ろに座ってくれ」

「……はい……」


 指定された座席へと歩き出した真奈が通り過ぎる度に、溜め息や、嫉妬の篭もった視線が投げかけられる。それらを受け流し、席へ向かう真奈の前へ、〝〟をする足があった。

 それは金色に近い茶髪、耳にはピアスをチャラチャラ付け、ニヤニヤした薄笑いを顔に浮かべた、クラスの悪振った連中のリーダー格で大野という男子のものだった。

 ただし、他の生徒と違って、この大野だけは実際に怪しげなところにも頻繁に出入りしていた。暴力団の事務所にも出入りしているのを、他の生徒が見た――との噂もあった。大野の日頃の行動は、教師たちの頭痛の種であった。


「……何……?」

「へっへ。通りたかったら、跨いで行きな。みんなにてめぇのパンツ見せて、な」


と、大野が言った。それを聞いた周りの取り巻きたちも、へらへらと笑っている。


「ちょっとっ……、 やめなさいよっ!!」

「るせえっ!! 委員長さんは、だぁってろっ!!」


 女子学級委員の高山範子のりこが注意したが、大野が机を蹴っ飛ばして怒鳴ると、ビクリ、と身体を震わせて黙り込んだ。

 学級委員らしい細い金属縁フレームの眼鏡の奥の瞳には、脅えの色すら混じっている。

 範子は元々、暴力沙汰は苦手だった。それなのに大野を諌めようとしたのは、委員長としての義務感からであった。

 担任の西村教師も大野には弱いらしい。苦虫を噛み潰したような顔をしてはいるが、それ以上は怒るでもなく、注意すらしようとしない。いや、出来ないようだ。


「こちとら、転校生サマに〝礼儀〟ってもんを教えてやってんだよっ!」


 そう言った大野は、真奈が怖じ気づき、立ち尽くしているばかり――と思っていたのであろう。酷薄な微笑えみを浮かべて、真奈を見上げた。


 しかし、彼はそこに何を見たのか――。

 余裕すら見せて真奈を見上げていた大野の薄ら笑いが、見る間に引き攣っていく。

 眼を見開き、何かに脅えているようにさえ見えた。それなのに、その頬は紅潮していた。


「……足……けてくれない……?」


 真奈の冷たい視線を受けて、大野も、


「あ……ああ……、悪かった……」


と、素直に足を退けた。咽喉に張り付くような乾いたその声は、微かに震えを帯びていた。

 それを感じたのか、周りの生徒たちがどよめく。

 だが、そんなことなど関係ないとばかりに真奈は後ろの席へ向かった。教師としての体裁を整えようと西村教師は、ゴホン、とわざとらしい咳払いを1つして、


「さあーて、……じゃあ、授業を始めっぞ」


と言った――。



 1時限目が終わり休憩時間になると、真奈の白い髪と紅い瞳が気になるのか、生徒たちが何人か、周りに集まってきていた。


「ねねっ。それって、ホントに自分の髪?」

「その眼が赤いのは、血管の血が透けて見えるから?」

「肌白ーい、透き通るくらいじゃん。羨ましー」


 捲くし立てるように聞いてきたのは順に、七瀬ななせ綾子あやこ平野智恵子ちえこ野島やじまめぐみの3人だ。他に男子も数人いる。その全員の頬が、赤く染まっていた。真奈の美貌のためだった


「ねねっ、ホントに彼氏いないの?」


と、聞いたのは武生だ。


「そんなに美人なのにぃ。勿体なぁーい」

「どんな男の子が好みぃ?」

「家族は? カッコいいお兄さんか、弟さんがいたら紹介してっ。ねっねっ?」

「昼休みになったら、学校、案内したげる」


と、これは委員長の範子だ。


「あ、それなら俺が……」


 などと、口々に言っては騒いでいる。

 孝史も遠巻きながら、その輪の中にいた。やはり、真奈への関心は隠せなかった。

 当の真奈自身は、どうでもいい、といった感じでいるが、転校生――しかも、それが美少女となると、口喧しい女子だけでなく、男子も気になろうというものだ。


「……いい。知ってるから……」


と、真奈はやんわりと断った。

 実際、真奈は学校内の位置取りは全部把握していたし、生徒たちの相手もいい加減、ウンザリしていたところであった。他の質問にも、曖昧な返事でと躱していたが、さすがに面倒くさくなっていたのだ。

 そんな折、真奈が何気なく、


「……授業……始まるわよ……」


と、呟くように言った。その言葉通り、次の授業を知らせる鐘が教室に鳴り響いた。


「ちぇっ……。また後でねっ」


 そう言って、生徒たちはそれぞれの席へ戻っていった。



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