第15話 有念(うねん)

 

 土屋長安は、石見いわみ国の石見銀山へ赴いていた。

 後世大久保長安となる土屋長安は、イスパニア人からアマルガム製錬法で純度が比較的高い金を製錬する事になるが、長安の官位名である石見いわみかみ

 石見銀山は世界有数の銀山であった。17世紀初頭の世界の銀の3分の1を産出する事になる大森銀山は、今の島根県大田市に存在した。

 16世紀中ごろ、朝鮮半島から灰吹法が伝わり、純度が高い銀を鋳造出来るようになった。




真宙まそら、腹は減らぬか?」


 土屋長安が薫育くんいくしている少女に訊くと、真宙は首を横に振った。


 二人の目の前に広がる銀山の光景は、壮大なものであったが、10万人規模の金掘り夫が居住する位、この石見銀山には活況があった。


 関西は銀本位制。関東は金本位制。


 関西の貨幣経済流通の要である銀を産出するこの大森銀山を抑える事は、関西地方を掌握するに匹敵する。

 嘗ては尼子あまこ氏、毛利氏が支配。

 尼子氏は毛利氏によって滅亡した。毛利氏は学問の血筋であり、大江おおえ氏、菅原氏と共に、貴族階級の子弟教育に重要な役割を持っていた。

 尼子氏再興を彼岸とした山中鹿之助は山鹿流の兵法の祖となったが、戦国の兵法にとって、戦い方を学ぶという事が、合戦勝利の為に必須であった。

 兵法書を学ぶ為には、漢字が読めなくてはならない。


「真宙も漢字を勉強したか?」


「殆ど書けるで―」


「ほうか―」


 長安は呟き、視線を落とした。


 峠から俯瞰ふかんする銀山に、金掘り夫が張り上げる声が響き渡る。

 

 長安の耳に飛び込んできた金切声に、真宙は小柄な体躯をビクっと震わせた。


「旅の旦那! この辺りに逃げてきた男を見なかったか?」


 数人の男衆が、槍を持ち、長安と真宙を恫喝どうかつしながら、周囲を睥睨へいげいする。


 彼らが見渡す辺りには、樹々が鬱蒼うっそうと生い茂っていた。


 彼らが捜していたのは、朝鮮半島からの渡来人だった。石見の沖合で兄弟で難破した舟の漁師だったが、金掘り夫として先に強制労働させられていた方は兄の方だった。

 兄は強制労働の中、行方不明になった。

 弟は、兄が殺害されたと思い、兄の遺骸いがいを探す為、銀山の宿場から逃げ出した。


 金掘り夫を探していた男衆に、


「あ、その男らしいモノは、川縁かわべりで水を飲んでいた」


 長安の言葉に男衆は、金掘り夫の水浴び場になっていた方へ向かったが、長安の言葉ははっきり言って戯言ざれごとだった。


「真宙、急ぐぞ」


「おいちゃん、嘘ついたやろ?」


「嘘ではないぞ。逃亡する時、まず水を飲むやろ? この暑い最中さなか、逃げおおせるものでもない」


 真宙は竹筒の中の水を一口呑んで、喉をゴクリと鳴らした。


 他人を冒涜する言葉を吐いた喉は呪われる。アダムの喉仏をアダムの林檎と言うが、喉に宿る言霊ことだまが、悪いバイブレーションだった時、念仏宗は、南無阿弥陀仏と唱え、その喉を治療する。

 浄土宗、浄土真宗。

 西の世界の教主である阿弥陀如来。

 西行法師は、死者を復活させる事が出来るとされた僧侶だが、彼は西へ向けて骸骨を並べ、その生前の姿を観想する有念うねんを持って、殺された恨みを持つ存在の無念むねんを晴らす存在だった。

神から命じられ、被造物全てに名前をつけたアダムがその喉で神を呪ったせいで、アダムに名付けられた被造物全てが神を呪う原因になってしまったアダムの原罪-。


  



第15話 了

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