七、思い出の音色

 無防備のドルジに向かっていく山賊βに弓矢を放つグレイ。

 山賊βはその矢を力任せに殴り破壊した。

 その瞬間、カテナの咆哮が廃墟を包み込んだ。

 パンドラたちの体に痺れるような衝撃が走った。

グレイ「な、なんという力!」 

パンドラ「カテナくん!!!」

 力なく地面に座り込むパンドラの表情は、悲しみに包まれていた。

ラスプーキン「うふふ、ふふふふ。素晴らしいではないか。これなら兵器として申し分ない」

アイグル「“兵器”……やっぱりそうなのね……! カテナくん、その人たちはカテナくんを生体兵器として利用するつもりよ……!」

 アイグルは叫んだが、もはやバーサーク状態のカテナには伝わらなかった。

パンドラ「ラスプーーーキィィイン!!」

 怒りの表情で叫ぶパンドラは、ラスプーキンに向かって剣を全力で投げつける。剣は弓矢よりも速く空を切り裂き、ラスプーキンの肩に突き刺さった。

ラスプーキン「!!?……ふふふ」

 一瞬の出来事に驚いた様子のラスプーキンであったが、すぐにいつもの不気味な笑みをこぼす。

ラスプーキン「“炎の竜姫”とはいえ、所詮は女か。感情に流され力任せに剣を振るう。まったく芸がない」

 ラスプーキンは、肩に深々と突き刺さった剣を抜き、地面に落とす。肩から吹き出た血は止まり、傷口はふさがっていった。

パンドラ「なに!?」

ラスプーキン「多くの人体実験の末に手に入れた禁忌の術だ。私は人間だけでなく狼男や吸血鬼ドラキュラが備え持つ不死の細胞を取り込んでいる。それが私の魔力に呼応して、肉体を瞬時に治してしまうのさ。科学と魔法の融合だ。美しいだろう」

パンドラ「バケモノめ!」

クリメント「ラスプーキン様、血で衣服が汚れてしまいましたね。ザハルに替えを持ってこさせましょうか?」

ラスプーキン「まだよい。今はこの狂宴を楽しもうぞ」

クリメント「さすがは魔王サターナラスプーキン様。その魔力と精神力 、敬服します」

 ラスプーキンに向けられるパンドラの怒りの感情。

クルト「だめ! 憎しみでは勝てないよ!」

 パンドラを強く包む怒りの精霊力を感知し、クルトは叫ぶ。

クルト「どうしよう……カテナと戦いたくなんてないよ……!」

 涙目のクルト。その前衛を守りつつ、ドルジが背中で語る。

ドルジ「クルトよ、心騒がすでないぞ。わしらにはわしらにしか出来ぬ、強力な武器があるじゃろ……?」

クルト「わたしたちにしかできない武器……」

ドルジ「そう。楽芸じゃ」

 クルトは顔に覇気を取り戻し、ぐっと涙を拭うと、フルートを構えた。

 そして奏でられるは、力強くも優美な、ゼバストゥス・アンスバッハ『聖ブリギッドのサガ』序曲。

クルト(パンドラさん……っ!)

 クルトは奏でつつ、力強い表情でパンドラにアイコンタクトを取った。

 パンドラの耳に懐かしい音色が届く。

 パンドラの心から怒りが薄れていく。

パンドラ「聖ブリギッドのサガ……そう、私は、私は踊り子! 炎の竜姫パンドラだ!」

グレイ「!? 今までにないほどに、パンドラさんたちから優しくも力強い思いが伝わってくる! これが彼女たちの本当の力か!?」

パンドラ「グレイさん! アイグルさん! 少しの間だけゾンビたちを足止めして!」

グレイ「任せろ!」

アイグル「任せて!」

 二人の声が重なる。

 そしてパンドラはその場でステップを取り始めた。

 ドルジも、バラライカを取り出して奏でつつ、ふくよかなバリトンで歌い始めた。

カテナ「ぐがぁっ!?」

 いざ攻め込まんと足を踏み込もうとした時、一瞬の頭痛が走る。ちょうどラスプーキンの肩に、パンドラの剣が刺さった時だった。

 すぐにその頭痛は収まり、再びドルジたちを睨む。

 そして、何やら相手が奇妙な連携を取り始めたことに気付いた。

 ──かつて古城ヴァルトベルグで開かれた、大陸中から腕利きの楽人が集まる音楽祭。

 かつて“神童”と称された天才“アマデウス・マースハルト”が率いる宮廷楽団をも差し置き、優勝した楽団。その名は“アンスバッハ楽団”。演目『聖ブリギッドのサガ』を披露し、観た者を魅了させた。

 その楽団員の中に、パンドラ、クルト、ドルジ、そしてカテナの姿もあった。

 大勢の楽団員と共に苦楽を共にし、何度も何度も何度も練習を重ね、掴み取った優勝。それはカテナにとって、かけがえのない経験になった。──憶えてさえいれば。

カテナ「ぐがぅ……?」

 パンドラ、クルト、ドルジによって繰り広げられる、即興の『聖ブリギッドのサガ』。

 カテナは突然の出来事に警戒し、身構え、様子を見ていた。

 今までであれば、ここで何かしら記憶と結びつく現象が起きたであろう。

 が、先程超至近距離でラスプーキンの声を聞いたばかりのカテナの頭の中は、「お父さんのためにやっつける」のそれでしかない。

──心臓のあたりがポカポカする──

──私の踊りは魂の記憶を呼び起こさせる。見たものは大切なものを心に思い浮かべるのさ──

 カテナはパンドラの踊りを見るも、そもそも楽芸そのもの自体には疎く、さらに感動等を受け入れるはずの『心』を、今のカテナは持ち合わせていなかった。今心に伝わるのは、ラスプーキンの支配内容のみである。

 ──数秒様子を見、何かの罠か……? と警戒していたが、彼女らは他に何か仕掛けてくる様子もない。

カテナ「──ぐるるぅあぁっ!!」

 意を決して、三人の中で最前線で踊っていたパンドラの懐に入り込み、その腹部に拳を叩き込んだ。相手が武器を持っていなかろうが、口から血が滴っていようが、一切の容赦はしていない。むしろ負傷者を狙うことによって、数が減ればそれに越したことはないと考えているほどだった。

 溝落ちにカテナの拳打を受け吐血するパンドラだが、にっこりと笑いカテナを抱きしめた。

 しばらくの間、呼吸が整わないパンドラは、声にならない声でカテナに伝えた。

パンドラ「だいじょうぶ わたしたちは かぞくよ」

 パンドラに抱きしめられたカテナは、母から受ける愛情のようなものを感じて一瞬硬直した。

カテナ「……うがぁ! やめろぉ!」

 カテナはパンドラを突き放し、彼女の顔を殴るが、パンドラは倒れることなくその場に立ち止まった。

 カテナを見て笑顔を送ると、パンドラはクルトたちの音楽に合わせて再び踊り歌いだした。

パンドラ「我こそは炎の女神ブリギッド! 我が父ヌァダ神より授かりしこの“不敗の剣”クライディムにて、魔王スルトの魔剣レーヴァテインをも打ち砕いてみせようぞ!」

 踊りは激しさを増し、パンドラはカテナを見つめて歌った。

パンドラ「エリンの荒野の護り手なる野妖精ホビットよ、我が行く手を導き、怪物あやかしの棲まう霧の森をともに分け入る先達となりたまえ!」

クリメント「(カテナには)少し心に迷いがあるか……本気とは思えない力。本来の力を出せていれば致命傷を与えられるはずだが……。どう思われますか、ラスプーキン様」

ラスプーキン「美しい……」

クリメント「?」

ラスプーキン「見たまえクリメント! ヴァルトベルクで見た歌と舞だ! 私が恋い焦がれたものだ! こんな近くで見られるとは素晴らしいではないか! そして、これが彼女たちの生きている最後の音楽となるのだ! そこに立ち会えた感動はバイカル湖よりも深い! 死後も彼女たちの身体は腐らぬよう宮廷に飾っておこうぞ! のう! クリメントよ!」

 興奮するラスプーキンを見て、笑みを浮かべるクリメント。

クリメント(ラスプーキン様は善悪に頓着がない。故に恐ろしく、そして宮廷の者たちを魅了するのだろう。まさに恋人と爆弾を同時に手に入れたような感覚だ)

カテナ「がぅっ……なんでたおれないのさっ!! ホビット……? なにを……なにをいってるのっ!?」

 カテナ自身は容赦したつもりはない。

 倒れないどころか自分を抱きしめ、さらには再び踊り始めたパンドラの行動が理解できなかった。

 その時、嬉しそうなラスプーキンの笑い声が聞こえ、頭を切り替える。

カテナ「おとーさん、これみたいの……? まだとめないほうがいい?」

 ラスプーキンの想いを尊重し、一旦後退して指示を伺う。

ラスプーキン「さぁ我が息子よ! そなたも踊るのだ! 身体は覚えているはず! さらなる感動を私に与えてくれ!」

 歓喜するラスプーキンの横で、冷静に現状を把握するクリメント。

クリメント(まずいですね……生物兵器としての重要な要素に、記憶の欠如がある。記憶の欠如は、経験と知識を失い力を半減させるリスクがあるが、忠実な兵隊を作るためには必要な要素。このままではカテナの記憶を呼び起こしてしまう恐れがある……)

カテナ「が……ぅ? がうぅッ!?」

 予想外のラスプーキンの返答に戸惑うカテナ。何せ今し方、父の命令によってパンドラを殴ったばかり。今度はそのパンドラたちの輪の中に入れと、父は言うのだ。

 だが今のカテナにとって、父からの心の支配は絶対だ。

 カテナは些か重い足取りで、パンドラたちに歩み寄った。

 先程とは異なり、「やっつける」から「共に踊る」へ頭の中が切り替わった状態で、笛とバラライカの音をよく聞いてみた。

 集中して聞くと、やがて自然にリズムを刻むようになり、父の言う通り身体が勝手に動き始めた。

 どう動くべきか識っている、と自覚し始めた時、強烈な頭痛がカテナに押し寄せて来た。

カテナ「がうぁうぅぅあぁうぅッッ!?」

 足を止め、その場に蹲り頭を抱える。

カテナ「いぃいいいたい! いたああぁいッッ!! おとうさッ……ごめんなさいっ……これっ、つづけらんないッ!! あたまがわれそうだよッ!!!」


男「おいおい、いつからここは劇場になったんだぁ?」

クリメント「!?」

 ラスプーキンとクリメントの後ろに立つのは、無法者集団の頭領“レオニード”。

レオ「俺の部下の遺体を操って調子こいてんじゃねぇぞ。権力と他力本願の暴力。気に食わねぇなぁ」

 レオニードは、身の丈ほどある巨大な斬馬刀をクリメントに向けた。

レオ「てめぇらに比べたらまだ狼男のほうが可愛げがあるぜ」

ラスプーキン「クリメントよ、こいつを黙らせろ。ショーの邪魔だ」

 葉巻の煙をクリメントに吹きかけるレオニード。

レオ「ほら、こいよ。相手してやるぜ。それとも死体に守られてなきゃ俺と戦えないか?」

クリメント「私が、私の操る死体よりも弱いと思っているのですか? 死体がなければ私に勝てるとでも?」

レオ「けぇーーけっけっけっ! 死ね!」

 レオニードは笑い声をあげると同時に斬馬刀を振り降ろすが、クリメントは光り輝く左手で刀を抑え、漆黒が渦巻く右手をレオニードの胸にかざした。

レオ「あぁ!?」

クリメント「न करे!」

 クリメントが呪文を唱えると、レオニードの胸に呪詛の文字が描かれた。

レオ「が、がっは……」

クリメント「禁縛の呪詛を打ち込んだ。数秒で心臓は鼓動を止めることになる。それまで己の人生を悔い改めるがよい」

 レオニードの顔は青ざめていき、その場に膝をついた。

 クリメントはそんなレオニードの姿を意に介さず、再びパンドラたちへ視線を向けた。

レオ「どらぁ!!」

 レオニードは自分の胸──心臓の位置を拳で思いきり叩くと、血を吐きながら立ち上がった。止まりかかった心臓を力任せに叩き、肋骨を折りながらも強引に動かしたのだ。

クリメント「なにぃ!?」

ズッ!!

 驚いて振り返るクリメントの胸から腹部にかけて、斬馬刀が貫いた。

レオ「なめんなよ! 術を超えるのは純粋な暴力だ!」

クリメント「がばぁ!」

 斬馬刀を引き抜くと、大量の血を吹き出してクリメントは倒れ込んだ。

ラスプーキン「クリメント!」

レオ「さぁ来いよ! 次はてめぇだ!」

 ラスプーキンを挑発するレオニードの横で、命の灯火が消えたはずのクリメントが立ち上がった。

クリメント「時間にして十分……私自身の遺体を私が操る! 冥府まで付き合ってもらうぞ!」

ラスプーキン「見事だクリメント。そなたの武勇を後世まで伝えるために、その最後の戦いを見届けよう」

 涙を流しながらクリメントを見るラスプーキン。

レオ「しつこい野郎だ。俺は相手が生きていようが死んでいようが、平等に暴力をふるうぜ!」

 斬馬刀が再びクリメントの身体を貫こうとするが、クリメントは紙一重で交わし、右手の五本の指をレオニードの心臓に突き刺した。

レオ「げはぁ!」

 大量の吐血をするレオニード。

クリメント「心臓に直接、禁縛の呪詛を打ち込んでやる! 即死だ、もう逃げられん!」

レオ「……おせぇよ」

 レオニードは斬馬刀を手放し、腰に添えた短刀でクリメントの首を斬り落とした。

クリメント「……見事」

 クリメントの首が瓦礫の上に転げ落ち、身体も力なく倒れた。

レオ「次は、てめぇ……だ……」

 ラスプーキンを睨みつけつつ、レオニードはその場に血を吐きながら倒れた。

 アイグルとグレイが対峙していた山賊もまた、その場に崩れ落ちた。

ラスプーキン「おお! 神よ! クリメントの魂に安息を!」

 膝をつき、祈りの姿勢をとるラスプーキン。


 突然崩れ落ちた山賊のゾンビを、驚いた表情で眺めるグレイとアイグル。

グレイ「はぁ、はぁ……何が起きた?」

アイグル「もしかして、術者が死んだ……?」

 体中に切り傷と打撲の跡が見られるグレイとアイグルの体が、戦いの壮絶さを物語っている。

グレイ「あの少年はどうなった!? ラスプーキンは!?」

 グレイとアイグルが周囲を見渡す。


カテナ「がうぁあぁ……いたがってる、ばあいじゃっ…ないのにッ……! おどー、ざんっがっ…ひとりに、なっちゃっ……」

 ラスプーキンの元に駆け寄りたくても、遠すぎる。普段ならなんてことない距離でも、楽芸による頭痛が邪魔をして思うように動けない。

カテナ「やめっ……クルトッ! ふえ、やめてっ……やめろよおぉおぉ!!」

 近くで奏でるクルトの笛をギロッと睨み、力を振り絞ってクルトに詰め寄り、笛を奪おうと手を伸ばす!

クルト「っ……!!」

 カテナの殺気を感じて、とっさに一歩身を引くクルト。カテナの拳が宙を切る。

カテナ「がはっ……!」

 笛は鳴り止み、カテナは勢い余ってがっくりと膝をつく。息は激しく上がり、脂汗がほとばしる。

ラスプーキン「何をしている!?」

 一瞬の沈黙を破って、ラスプーキンの声が響く。

ラスプーキン「カテナよ、立て! 踊るのだ! 私の命令が聞けないのか!?」

 狂気に取り憑かれたようなラスプーキンの叫びが、憔悴しきったカテナの身を鞭打つ。

カテナ「がぅ…がうぅぅ……ち、ちがっ……いうこと、ききたくない、わけじゃっ……!」

 息を切らしながら、悲痛な表情をラスプーキンに向ける。

カテナ「オイラ、まえのこと、おもいだそーとするとっ……あたま、いたくなって、おもうよーに、うごけないっ……。だからっ、そーいうのじゃ、なきゃ、いうこと、きけるからっ! オイラ、おとーさんの、いいこで、いられるからッ! だから…だから……」


 きらいに、ならないで──。


 膝をついた体勢からゆっくりと頭を垂れ、懇願するように蹲る。最後の声はとてもか細く、もし聞こえた者がいたならば、それはおそらくすぐ側にいたクルトのみであろう。

ラスプーキン「何をしている! 舞え! 歌え! 私に歓喜を! クリメントに鎮魂を奏でよ!」

 涙を流しながら、狂気ともいえる叫び声をあげるラスプーキン。

 その背後にパンドラが立った。

パンドラ「カテナくん、ごめんね……たとえあなたに恨まれることになろうと、今はその苦しみから解放させてあげたい……」

 力なく、どこか寂し気な表情のパンドラ。その手には、レオニードの斬馬刀が握られていた。

ラスプーキン「何をしている。よもやそのような武器で私を倒せるとでも思っているのか? ……早くしろ、さっさと戻って歌い舞い踊らぬかぁ!!」

 ラスプーキンの怒号が飛び交うが、パンドラの表情は変わらない。

パンドラ「Отпусти!アトプスチー(解き放て)」

 大きく振りかざされた斬馬刀はパンドラの力に比例するように加速して、ラスプーキンの右腕を斬り落とした。ラスプーキンの右腕は回転しながら宙を舞う。

パンドラ「くっ」

 斬馬刀は剛力を誇るパンドラでさえ一振りが精一杯の重量であった。ビキビキ!とパンドラの筋肉が悲鳴をあげている。

ラスプーキン「両腕を犠牲にして私の腕を一本奪うか。しかしこの程度の傷、先程のようにすぐに修復される」

 余裕の表情を見せているラスプーキンだが、その腕からは血が止まることなく溢れ出している。

ラスプーキン「……ばかな。なぜだ! なぜ治らぬ!!」

 山賊になってから三十年。レオニードが斬馬刀で斬り伏せてきたのは人間だけではない。数百を超える妖魔を斬ってきた。

 それが幸をなしたか、または呪いか。

 多くの妖魔を斬り、その血と魔力を浴びてきた斬馬刀は、先程クリメントの聖なる血と魔力を浴びた時に、破魔の呪物 “斬魔刀”へと変化していた。

 斬魔刀の魔力が、ラスプーキンの身体を巡る治癒の力を無効化したのである。

ラスプーキン「なぜだ!? 治らぬ! 力が、魔力が抜けていく!!」

 右腕の傷口からドス黒い煙が空に昇ってゆく。ラスプーキンの邪悪な魔力が具現化されたものだ。

パンドラ「すぐに止血すれば命は助かるわ。なんとなくだけど分かる。あなたの魔力はどんどん失われていく。もう今までのような力は使えない」

ラスプーキン「おのれ愚民が!! この私は偉大な指導者ラスプーキンであるぞ!」

 ラスプーキンの怒号の声を聞き、頭を上げるカテナ。

 ──ドクン、と一際大きく心臓が鳴る。

 片腕を失い、狼狽する父。

 傍で巨大な斬魔刀を握っているパンドラ。

 周りを囲む多数の狼男。

 全てが父にとって不利な状況だった。

カテナ「おとーさんッ!!!」

 フルートの音色は止み、ブリギッドのサガを意識していない今、激しい頭痛もなく。疲労はしているが動けないほどではない。

 カテナは脚に力を込めて立ち上がり、今出せる最大の速度で移動し、ラスプーキンとパンドラの間に割って入った。

カテナ「さすがだね…パンドラおねーちゃん……」

 カテナは疲労困憊の顔でパンドラを見据える。

 同時に、周りの狼たちにも気を配るが、一際大きい気配にはあえて直視しなかった。今見たら、確実に他のことに集中できなくなる、と思ったからだ。

 意識だけを向けて、最大限の警戒をする。

カテナ「おとーさん、いまのじょーきょー、さいあくだよ…! オイラがおとーさんをまもるから、ここはいったんにげようっ!」

パンドラ「!!?」

 ラスプーキンの怒号を聞いた次の瞬間、パンドラは周囲の異変に気付いた。

 刻は夕暮れから月明かりが照らす夜へと移る。

 パンドラたちを囲む二十人の狼男たちの目が、闇夜の中で光っていた。

 そして、明らかに他の狼男と異質な気を放つ狼男がいた。身の丈は二メートルを超え、全身を分厚い筋肉が覆っている。

謎の狼男「その男、殺す……我々の同胞を多く殺した……赦さない」

 狼男のボスと思われる男が、ラスプーキンを指差して言った。

アイグル「あの時の狼男!」

グレイ「奴がボスか。確かに他の狼男たちとは格が違うようだ。満身創痍の俺たちでは立ち向かう術はないぞ」

ドルジ「貴殿はもしや……」

 狼男に向かって、ドルジが声をかける。

ドルジ「イザ殿──ですかな?」

イザ「いかにも。俺の名はイザ。なぜ知っている? いや、そんなことは今はどうでもいい」

 狼男はドルジを不思議そうな目で見たが、すぐに視線をラスプーキンに移した。

 イザと名乗る巨大な狼男は、上空に十メートルほど跳躍し、ラスプーキンとカテナの目の前に着地する。と、その勢いで地面の瓦礫が砕け、空中に舞い上がり、雨のようにイザとラスプーキンたちの前に降り注いだ。

 身長220cmのイザ。しかし目の前に現れると、その巨大すぎるオーラからか、三メートルにも四メートルにも見えるほど大きく感じた。

イザ「どけ、小僧! 貴様も獣人ならば分かるはずだ! 我らの怒りを! 人間への深い怒りを!!」

 カテナに対して、全身が震えるような威圧的な声をかける。

 瓦礫の地面、大気、全てが波打つほどの圧倒的な威圧感。

カテナ「うがぅッ…!!」

 風圧が押し寄せ、たまらず腕で顔を庇う。

 パンドラと向かい合う形で立っていたカテナだったが、目の前に着地されてはさすがにイザの顔を見ざるを得なかった。

カテナ「あ…あぁ……ああぁあぁあぁぁ!!!」

 途端にやって来る激しい頭痛。ブリギッドのサガの時と同等、否、それ以上の激しい頭痛に見舞われた。

 皆の言う通り、やはりこの男は自分の本当の父なのだろう。記憶はなくとも、この頭痛が、この匂いが証明していた。

 だが、タイミングが悪すぎる。

 この場には、弱ったもう一人の父がいる。その父が、本当の父に狙われている。

 パンドラは震える体を抑え、イザに向かって言った。

パンドラ「その男に戦う力はもうない。右腕で罪を償ったということにはならないかい?」

イザ「償いは死しかない!! 同胞たち全員がこの男を殺したがっている!! 無論、この俺もな!! その男の心臓が動いている限り、我らの怒りはおさまらぬ! いや百度殺しても満たされぬ!

この怒り! 貴様に理解できるか!!?」

狼男「うおおおーーーーーん!!」

 イザの言葉と共に、周囲を囲む狼男たちが遠吠えをあげる。

 純粋な野生の目。

 そして殺すといえばそれを実行することのできる力を持つイザという狼男。

 パンドラはイザの心音を反響定位エコーロケーションで聞いた。その結果、もう何を言っても通じないことを悟った。

 イザにあるのは、激しく大きすぎる人間への怒り。

ラスプーキン「カテナ君、私を守ってくれるな? お父さんを守ってくれるな!?(ザハルとジーニャはどこで何をしているんだ! 早く来い!)」

 ラスプーキンはカテナを抱き寄せ、イザを見る。

 カテナは、自分のことよりも、今はとにかくもう一人の父を護らねばならなかった。

カテナ「あっ…! がぁうッ……! あぁああっ!! どっ、どかないっ!! だれがっ、ゆーことなんか、きくもんかッ!! お、おとうさっ……!! オイラにつかまってッ!!」

 頭痛に自分が壊れてしまいそうになりながらも、カテナは必死にラスプーキンを背負い、とにかくこの場から遠ざかろうと跳躍した。

イザ「うおおーーーーん!!」

 イザが地鳴りのような雄叫びをあげると、狼男たちがカテナとラスプーキンに向かって跳びかかり、周囲を囲んだ。

ラスプーキン「くそ、こうなったら!」

 ラスプーキンはカテナの首を指で突き刺した。

カテナ「がはっ……!」

パンドラ「頸動脈! まずい!!」

 カテナの首から大量の血が溢れ流れる。

ラスプーキン「この小僧の血を使い魔力を回復させる!」

 指先からカテナの血を体内に取り込み始めること約五秒。カテナの首から手を離すと、ラスプーキンはカテナを放り投げた。

 駆けつけたパンドラは勢いよくジャンプして、カテナを胸に抱え着地する。

パンドラ「カテナくん!!」

 狼狽するパンドラは、自身の手で必死にカテナの首を抑えて止血を試みるが、溢れる血はパンドラの手と顔を赤く染めていった。

パンドラ「ドルジ爺! 回復を!」

 パンドラはイザとラスプーキンのことなど目に入らず、その場から走ってドルジたちの方へ向かった。

カテナ「おとーさん……どうして……」

 パンドラの胸元で大粒の涙を流すカテナ。

ドルジ「命の源、母なる大地よ!」

 カテナに向かってドルジが詠唱すると、掌から白い光が放たれ、カテナの傷口はふさがった。

ドルジ「ひとまず止血はしたが、心身共に衰弱しておる……しばらくは安静にせんとの」

 ドルジは深刻そうな面持ちで状況を見守った。

ラスプーキン「うふふふふ。まだ未熟だが、恐るべき潜在能力を秘めている。それこそお前を超えるほどのな」

 イザを見て不敵な笑みを浮かべるラスプーキン。

ラスプーキン「死ねぇ!!」

 ラスプーキンの左手から放たれたドス黒い玉が、イザに直撃した。

ラスプーキン「終わりだ」

 イザは体に直撃した黒い瘴気を手で払うと、ゆっくりとラスプーキンに向かって歩みを進める。

ラスプーキン「ばかな!? なぜ死なん! あらゆる負の力を含んだ呪詛の結晶! 内臓は動きを止め、身体は腐食していくはず!」

イザ「ぺっ!」

 イザは口から血の塊をつばのように地面に吐き捨てた。

イザ「誇り高き我ら獣人族の力! 貴様に使いこなせるはずがない!」

 血管がくっきりと浮き出るほど膨張した腕の筋肉。そしてその筋肉によって握り込まれた巨大な拳が、ラスプーキンの目の前に現れる。

ラスプーキン「ま、待て!!」

イザ「貴様には死すら生ぬるい!!」

ッズン!!!

 振り下ろされた拳はラスプーキンの頭部を破壊し、その勢いのまま地面に直径二メートルほどのクレーターを作った

 その破壊力は波紋のように地面を伝い、パンドラたちの足元まで波打った。

狼男「ウオーーーーーン!!」

 雄叫びをあげる周囲の狼男たち。


クルト「ラスプーキンさんの命の気配が消えた……」

ドルジ「Господи Помилуйゴスポディ・ポミールィ(主よ憐れみ給え)……」

 ドルジは静かに唱えつつ、胸元で十字を切った。

 カテナの首が止血されると、ひとまず安堵の表情になるパンドラ。

グレイ「ドルジさんの言うとおり衰弱しているな。かなり血も流れてしまっている。どこか安心して休めるところはないか?」

パンドラ「コヴァレンコさんのところへ戻ろう!」

 パンドラはカテナを背負い、一同は廃炭鉱を後にして歩き始めた。

 パンドラに抱きかかえられたカテナを遠くから見るイザ。その場を去っていくパンドラたちを、イザは追うことはしなかった。

イザ「あの小僧、もしや……もしそうだとしたら、いずれまた会う時が来るだろう。それまで死ぬことは許さぬ。俺を超えたければ仲間とともに学び、経験し、強くなれ! カテナよ」

 イザもまた他の狼男たちと雄叫びをあげた。

 イザの雄叫びには、優しさと温かさがあった。まるで我が子の旅立ちを心配し祝福する親のような……。


 廃炭鉱の崖の上からラスプーキンとクリメントの遺体を眺めるザハルとジーニャ。

ジーニャ「私たち以外、全員死んだようですね」

ザハル「ジーニャよ、ラスプーキン様はなぜ民衆に姿を見せず宮廷の一部の者しかその姿を知らないのか、理由はわかるか?」

ジーニャ「姿がわからない故に民衆は思い描くでしょう、神などの崇高な存在を……そしてラスプーキン様は神格化されていく」

ザハル「そのとおりだ。狼男と山賊が蔓延るこの地で、宮廷の猛者たちといえど数人は命を落とすと思っていたが、まさかラスプーキン様やクリメント様まで命を落とすとは……嬉しい誤算であった」

ジーニャ「まさか、ザハル様」

ザハル「察しがいいな。そう、私がラスプーキンになる!」

ジーニャ「なるほど。この狼男捕獲の遠征にはそのような計画もあったわけですね」

ザハル「逆だよジーニャ。狼男の捕獲などラスプーキンの死と賢者の石のおまけに過ぎない」

ジーニャ「そうでしたね。私たち二人が元老院から命ぜられたのは、賢者の石の確保。故にラスプーキン様たちとは別行動をとっていたわけですから」

 ザハルはポケットから黒く輝く石を取り出した。まさしくそれが賢者の石である。

ザハル「ふふふ……本当のラスプーキンを知っているのは、あとは元老院の無能な老人たちだけだ。奴らを始末し、私がラスプーキンとなり、賢者の石の力を利用し、この国を影から支配する。ジーニャよ、そなたの力には期待しているぞ」

ジーニャ「ふふふ、もちろんですザハル様。あの旅の者たちは始末しますか?」

 ジーニャの眺める方向に、廃炭鉱から去っていくパンドラたちの姿があった。

ザハル「放っておけ。小魚が飛び跳ねたところで、川の流れは変わりはしない」

 口角を上げて静かに笑い声をあげるザハル。二人はそのまま廃炭鉱をあとにした。

 数年後、ザハル(ラスプーキン)により、この国の歴史は大きく動くことになるのであった……。

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