24、混沌から秩序へ

 休みの日こそ、人生だ! ――いや、仕事に嫌気が差して(そんなのはずっと前からだろう)、休日にしか楽しみを見いだせないというような、ヤケっぱちな意味ではない。生活を振り返り、現在の自分の改善点を見つけ出し、対策を練るとなると、一定の孤独な時間が必要だ。休日にしか、人生を大きく前進させることはできない気がする。

 僕は、瞑想も筋トレも午前中にやった。あいかわらず、2つやっても15分程度だが、日課を片付けたということが重要だった。今日こそ、混沌とした状態に秩序を持たせなければならない。迷える旅人に、しっかりと方向指示看板を掲げなくてはならない。

 だから、今日は美紀には会わないことにした。アイツだって、しっかり講義に出なければならない。美紀は、というか女というものは、恋愛をすると男以上に活力が湧き、様々な能力が向上する。美紀は僕と会うために、僕の休みに合わせて講義をサボっていたが、単位を取れるようにうまくやっているらしい。僕が心配になって訊いたときに、そう言っていた。実際に取れるのかどうかは、学期が終わって評価が出ないとわからないが、自信に満ちている美紀を見ると、たぶん大丈夫なのだろうと思った。

 そんなふうに頑張っている美紀に、昨晩、「自分だけでやらなきゃいけないことが、ちょっとある」と伝えた。僕は、会社に欠勤の連絡をするのと同じぐらい緊張した。だが美紀はすぐに理解してくれた。だいたい、これまで充分に会ってきた。週に二回は会った。週の半分一緒にいることもあった。会いすぎなくらいだが、美紀はまだ若く、限界を知らないようだった。そんな美紀に対して、〈独りにしてほしい〉と言うのは、たった一日でも申し訳なかった。だが、美紀がそれを理解してくれたとき、僕はあらためて美紀を愛おしく思った。


 そんなわけで、僕は昼前に『バイロン』に入った。平日なので、これからサラリーマンがランチを取りに来るだろう。その前に奥の席を確保した。僕はここで、方針を定めようと思った。イヤホンを耳栓代わりにし、思考の邪魔にならない程度に音楽をかける。意外とポップスは聞き流せるのだが、マイルズ・デイヴィスやスタン・ゲッツのあの管楽器の音には意識を奪われることがあった。それでも僕の思考はだいぶ進んだ。

 まず、美紀とのことだ。僕の混沌状態を美紀のせいにしたくなかったし、実際、美紀のせいではない。日に日に愛おしさが募っていた。別れたくなかった。その分、別れが来たら……と考えると恐ろしく、別の混乱を引き起こすが、それもこれも僕自身の問題だ。美紀ではない。少なくとも僕のほうから美紀と距離を置くことはない。だが必要なときは、今日のように独りになる時間を持とう。美紀に関しての僕の方針は決まった。

 店内はスーツ姿のサラリーマンのほか、主婦や高齢者で満席になった。若い客は数人で、みな一人客だった。こんな渋い喫茶店は、今どきの若者の好むところではないのだろう。僕は幼いころから、こういう雰囲気が好きだった。丸太が丸見えの山小屋なんかは、憧れだった。今やそういう田舎っぽさやレトロ感を好む人も増え、雑誌などでよく特集されるが、現実を見ると純喫茶やロッジ風のレストランは少しずつ街から姿を消し、味気ないチェーン店に取って代わられている。それは僕にとって、やはり悲しいことだった。

 店内がその昼一番の賑わいを見せているあいだ、僕はすでにカレーライスを平らげ、コーヒーを飲みながらノートに思いつくことを書き出していた。美紀のことは少し書いただけで解決した。それから、『心のブレ』と書き出し、これを改善するための策を思いつくだけ書いた。結果、『サボりがちだった日課を、短時間でも毎日きちんと行うことが、ブレがちな心の改善につながるだろう』という結論が出た。そうだ、何かそういったが必要なのだ。

 その結論が出たことでかなり満足し、ウェイターにブレンドコーヒーのお代わりを頼んだ。次に対応を考えるべき改善点は何か、と探したが、思考力が低下していた。食後の眠気のせいか、年のせいで簡単に脳が疲れるのか……? 僕は思考をいったん放棄して、そのときイヤホンから流れていたユーミンの『ハロー、マイフレンド』に聞き入り、ずっと昔に付き合った女や、晃子のことを思い出した。彼女らと過ごした記憶は、まるで夢のなかで起きたことのようで、ほとんど感触がなかった。そして、二杯目のコーヒーを飲みながら、美紀とのことは、そんなふうになってほしくないと念じていた。

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