6、それを選択するのは誰が何によってなのか

 喧嘩して別れて以来、二日ぶりに会った晃子は大人びて見えた。僕たちの親密な関係が、夢か想像のものだったように思えるほど、晃子と僕の距離は広がっていた。こういうのを世間では〈他人のように見える〉とか何とかいうが、たぶんそれだろう。あれほど緊密だったのが、幻のようだ。

 いや、今までだって職場では他人のように振る舞っていた。そりゃあ当然、ニヤニヤしながら職場にはいない。そんなのは僕と一緒のときだけだ。僕たちの関係がバレないようにしていたし、そもそもここは職場なんだから、職場にいる社会人として、あるべき態度を取らなければならない。晃子はそれを、いつもどおり遂行しているだけだ。そして今日の僕が、過剰に反応しているだけなんだろう……。


 朝礼が終わると、業務が始まる。そうなると、ウジウジ考えることもできない。バタバタ、アクセク…………それでも僕はデスクの島を間にひとつ置いて頭と頭の間から見える晃子の顔を、しばしば盗み見ていた。晃子がやたらクールに見えた。僕は晃子と目が合うのを恐れ、見るのはほぼ一瞬だった。あちらもやはり忙しそうで、僕の視線にはまったく気付いていないようで一切反応せず、目の前の仕事に取組み、一瞥もくれなかった。


 ……それにしても、堂々としすぎている。いつもと変わらないのだろうけど、やたら堂々として見える。僕が動揺しているからよけいにそう感じるのだろうけど、このくらい動揺して当然だ。お互いを意識して当然のはずだ。僕はおかしくない。あれほどの喧嘩をして、それ以来でその相手、しかも恋人である相手と今同じ空間にいるのだから。

 なのに、晃子はクールだ。いや、クールなんて言い方じゃすまない。もはやだ! おかしいのは晃子だ! 僕は晃子に悪びれた気持ちがあるからこそ、仲直りをしたいからこそ、動揺しているのだ。――のか?

 僕は切ない気持ちになった。一度、苦虫を嚙み潰したような(というよくある慣用句を使って、文章としては三流で申し訳ないが)顔をしたあと、晃子のことは打っちゃって、目の前の仕事に集中した――あっちがその気なら、こっちもだ!


 そして昼休み、僕はやけに強い足取りで食堂へ向かった。〈これでいいんだろ、これで!〉と、喧嘩腰の気分だった。こんな気分は晃子のせいだ。食堂デビューは、もっと清々しく飾りたかった。だが、そんな不機嫌さも、食堂の勝手がわからないので周囲をキョロキョロして気後れしているうちに消えていき、むしろ気弱に背中を丸めていた。どうやらお盆を持ち、食べたいものを載せて最後に料金を払うようだった。(ああ、はなまるうどんスタイルか)と思った。はなまるうどんにはそれほど行っていないのに、他にもそういうスタイル(何というのかは分らない)の店はたくさんあるし、むしろ同じ方式の他の店のほうが行くのに(かといって、具体的な店の名前は思い出せない)、なぜかはなまるうどんを思い出したことが不思議だった。

 お金を払って席に着くまでに、(もしかしたらこのスタイルの店で僕が一番たくさん行ったのは、はなまるうどんなのかもしれない)と思った。たしかに、大学時代、一時期ハマっていて、週に2回ははなまるうどんに行っていた。そして……席に着いたあと思い出したのだが、このスタイルの店で初めて入ったのが、はなまるうどんだった‼ たしか……? だから僕は、はなまるうどんスタイルだ、なんて思ったんだと思う。


 そこそこに謎が解けたところで箸を手に取り、いざ食べようとしたら、それはうどんだった――だ。(きつねにつままれたようだ)などと思い、自分でも少し笑ってしまった。(いやあ、まいったな……)

 そんなこともあって、食べているあいだは愉快だった。うどんはカップラーメンより3倍ほどうまいと思ったが、3倍ほどの値段なのだと気付いた。それもまた、愉快だった。

 だが食後、はなまるうどんより先に、に入っていたことを、ふと思い出した。僕は地元の山形で、あの、お盆を持って、少しずつ盛っていくスタイルの洋食屋に入ったことがあったのだ。

 小学生のころで、そのころ地元にはなまるうどんはなかった。30年経った今でも、フードトングでスパゲティをはさみ、ゼリーだったかケーキだったか、何だったか正確に覚えていないが、四角いデザートが載った小皿をお盆に載せたことを覚えている――。

 だが、その事実にも関わらず、僕の中で、あのスタイルはあくまで〈はなまるうどんスタイル〉なのだ。昔の、その洋食屋の名前が分からないせいなのか、はなまるうどんが一番印象的だったせいなのか、その辺は分からない。しかし事実、僕はほとんど無意識に、! システム――同じものでもスタイルと言えば穏健だが、それは実際のところ拘束力、強制力のある、システムなのだ。システムの中で、僕は決まりきった思考、言動をしているのだろう。それこそがこの昼休みが与えてくれた教示だ――。


 そんなことを考えながらオフィスの自席に戻り、高尚でイカれた昼休みが終わった。

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