5-2

 王は冷たい石の上でひとり絶命した。今まで吸い取ってきた時間が王妃の元に戻ったのだ。

 逆に王妃は今頃本来の年齢を取り戻していることだろう。


 少女は指をもう一度鳴らして幻術を解いた。飛び回る虫、迫る民衆の声、フクロウ面に刻まれた文様を用いた精神錯乱、更に周囲の景色。このすべてが、任務を通して練り鍛えた幻覚魔法によるものであった。術の解けたその部屋は、明かりのない霊廟ではなく、ただの王宮の地下──これまで数々の死体の秘密を暴いてきた地下室だった。


 しかし、暗部の諜報員たちの反乱はこれで終わりではない。



「ご苦労だった、オウル」



 背後の陰から鷲面が音もなく現れた。

 少女は驚かず、目礼を返した。



「いいえ。こちらこそ、国内のことをすべてお任せしてしまって」

「この作戦はお前あってのものだ、負担が一番多いのはお前なのだから、他のことを請け負うのは当然のこと。気にすることはない」



 イーグルは王の残骸を見下ろした。面の向こうでどんな顔をしているのかは見えない。が、オウルはその横顔にどことなく哀愁を垣間見た気がした。



「……愚かな王だった」

「そうですね」

「見届けたのが我々だけとは、何とも寂しい死に方だ」

「…………」



 失言だったな、とイーグルは小さく息をついて苦笑した。

 イーグルの、仕事の染みついた手が杖を受け取る。のちのち周辺国の技術者に解析を頼む予定なのだ。



「では、私は行くとするよ。各地の仲間からそろそろ何かしらの伝達があるはずだ。クロウ」



 イーグルの一声で闇の奥からクロウが姿を現した。いつものように黒ずくめの彼は、真顔だと本当に不気味な男だ。普段ならば一言二言の冗談も飛ばすところだが、クロウは何も発さない。



「彼女を頼む」

「承知」

「うむ。……オウル」



 鷲面に隠れていない初老の口元が言葉を探して迷う。長年愚王のもとで仕事一筋だったイーグルは、気に掛けている少女をおもんばかる一言がいつも出て来ない。

 そして今日も上手い言葉が出て来なかった。これで最後だというのに。



「……すまなかった」



 それだけ言い残し、イーグルは陰に溶けるようにして姿を消した。

 その陰に向かってオウルは一礼した。言葉はなくとも、深く。




 顔を上げた少女がひとつ、深く呼吸をする。

 そして床から面を拾い上げ、被り直した。〈梟〉としての、彼女の最後のひと仕事だ。



「検死官、始めます。記録をお願いします」

「了解しました」



 オウルの呼び掛けに暗がりから手術着の男が歩み出る。オウルと馴染の、あの検死官だ。

 クロウはこの男も反乱チームに組み込んでいたのだった。最初こそ驚いていた検死官だったが、「王の検死などなかなかできるものではないですね!」と興奮気味に参加承諾を示したのだった。異常なテンションは睡眠不足のせいもあったのだろうが、クロウが引いたのも無理はない。



「クロウ」

「……おう」



 ようやくクロウが声を発した。

 いつもはからかうように端が上がっているその口は、今はキュッと真一文字に結ばれている。



「見ててね」

「ああ。見届ける」



 面から伸びる羽飾りを揺らして、オウルは死体に向き直った。

 そして唱える。



「──『死人に口有りネクロ・メモリア』」



 青白い光がまばゆく通路を満たし、風が巻き上がる。

 黒いフードが払われ、オウルの艶やかな髪が露わになる。

 死体の上の宙に王の長い一生が青白く映し出される。脳内に流れ込む映像を解析し、彼女が紡いだ言葉を検死官が記録用紙に書き留める。



 カラス面の奥の視線は、王の死体でも、記録用紙でも、まして映像でもないところに向けられていた。


 風に遊ぶ見事な黒髪は、赤い髪飾りでくくられていた。

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