第17話 先輩は帰り道で俺の名前をささやく 2


「う~ん、名字のほうは正宗や橋村が使っているからなあ……もうちょっと特別感が欲しいというか」


 俺としては、自由に呼んでもらって構わないのだが。正宗先輩のように呼び捨てでもいいし、先ほどの『朋人』でも。


 かれぴっぴはさすがに勘弁してほしいが。バカップルどころの騒ぎではない。


「なあ、後輩は、これまであだ名とかで呼ばれ」


「ないです」


「食い気味!」


 あだ名とかで呼ばれたことはないか?


 ない。愚問である。そういう人間関係を構築できていれば、ここまで面倒くさい人間にはなっていない。


 最近になって橋村から『ミッシー』と呼ばれているが、あだ名については、それが初めてのことである。


「じゃあ、なおのこと私があだ名を呼んであげなければな。上のほうの初めては橋村に奪われちゃったから、下のほうの初めては私がきっちりいただいて……」


「言い方」


 ともあれ、方針は決まったようだ。であれば、候補は自ずと絞られてくるだろう。


「トモ君……は、もう言ったし感触も悪かったから……それじゃあ、」


 神楽坂先輩は再び俺の耳に息を吹きかけるようにして優しく囁いた。


「トモ?」


「……」


 妥当な呼び方だが、俺の中では一番しっくりくるあだ名だと思った。


『トモ』そして『美緒さん(もしくは先輩)』


 先輩後輩の上下関係の線引きはしっかりとしつつ、気の置けない関係であることを自覚できる。


「ん? どうしたトモ? 顔が赤くなってるぞ?」


「いや、俺は別に、そんなこと」


「……トーモっ」


「っ」


「あはは。ほら、赤くなった」


 耳元でくすぐられるように甘く囁かれて、俺は思わず身震いしてしまう。


 気持ちいい。


 神楽坂先輩にそう呼ばれて心地いいと思っている自分がいて、それが悔しい。


 彼女のことはもうなんとも思っていない、あくまで俺が『今』好きなのは正宗先輩のはず。


 なのに、こうして先輩にベタベタとウザ絡みされても、うっとうしいとかはなく、むしろもう少しこのままでもいいかな、と感じる自分がいる。


 やっぱり、俺はまだ、神楽坂先輩のことを引きずっているのだろうか。


 振られたのに、まだ先輩に対してワンチャンあると欠片でも思ってしまった未練たらたらな自分が情けない。


「……み、美緒先輩」


「ん。なんだい、トモ?」


「どうして先輩は俺と必要以上に仲良くなろうとしてくるんです? 先輩は……俺のこと、なんとも思っていないのに」


「……なんとも思ってない、か。そうだよな。私はトモのこと振っちゃったんだよなあ……」


 雲一つない夜空を見上げつつ、神楽坂先輩は呟く。


「トモ。君はあの時のことって、覚えているか?」


「……いえ、正直なところ。あまり」


 ごめん、と神楽坂先輩に言われた後の俺はまさしく抜け殻だったので、後のことはまったく思い出せない。振られた精神的ショックから身を守るための本能が働いていたのか、その後一日二日の記憶すら曖昧なのだ。


「奇遇だな。実はそれ、私もなんだ」


「……美緒先輩も、ですか?」


「意外です、って顔してるな~。あのな、私だってあんなふうにストレートに告白されたのはトモが初めてなんだぞ? そりゃあ、テンパったりだってするさ」


「初めて……」


 神楽坂先輩ぐらい綺麗な人であれば、幼いころからそういう経験も豊富だと勝手に思っていた。


 一見完璧に見える先輩でも狼狽えたりするのか……ちょっとだけ、親近感がわく。


「なあ、トモ……これはさ、友だちの……そうだ、香織の話になるんだけど」


「……九条先輩の」


 そうだ、とまるで今思いついたみたいに言ったような気がするが。とりあえず続きを聞いてみる。


「一度親しい友人に告白されたらしいんだが、その時はまだ付き合うってことにイマイチ想像が出来なくて、勢いで断ったらしいんだ。でも、その後、色々考えてみるとやっぱりその子のことが忘れられないらしくて、でも、一度こっぴどくふってしまったから悩んでいるんだと」


 九条先輩にそんな話があったとは。しかし、九条先輩の周りにそんな人いただろうか。いたとしても大和先輩ぐらいのものだが。


 ちなみにあの二人の間からは、そんな空気は微塵も感じない。


「なあ、トモ。トモなら、どう思う? 一度振ってしまったのに、やっぱり好きでしたって言ってくる女の子のこと」


「……そうですね。もうちょっと考えてから結論を出せばいいのに、とは思います」


 いきなり拒絶するのではなく、友だちから初めてみたり、一週間でも二週間でも気持ちが落ち着くまで待ってからでも、遅くはない。


 少なくとも、俺はしっかりとした答えを出してくれるまでは待てる。それだけ真剣に考えてくれての答えなら、すっぱりとあきらめることもできる。


「うっ……や、やっぱりそうだよな」


「でも、もしそれで自分の気持ちを自覚できたんだとしたら、それは相手にきちんと伝えるべき……だと思います」


 振られたからといって、そう簡単にその人が好きだった気持ちはなくならない。たとえ忘れていても、どこかのタイミングで再燃する可能性だってあるのだから、そこと上手くかみ合えば、改めて恋人同士になれるかもしれない。


「そ、そうか……トモは、そう思ってくれるのか」


「はい。まあ、俺みたいな非モテの意見なんて参考にならないでしょうけど」


「い、いやいや、そんなことはないぞ。貴重な意見、どうもありがとう。今後の参考にさせてもらうよ。……すまない香織、君の犠牲は忘れないからな……」


「……」


 やっぱり九条先輩の話ではなさそうだが……しかし、それなら一体誰になるのだろう。構図が微妙に俺と神楽坂先輩にそっくりな気がするが……いや、まさかな。

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