忍び寄る影

 ――1920年4月20日。ドルージュ町、ドルー小学校。


「きり~つ、礼」「ありがとうございました~」


 やる気の無い声が教室内に響いて、今日の授業が終わった。僕はふと、教卓の前の席に座る女の子を見つめる。綺麗な黒髪に陶器の様な肌を持った、まるで人形の様な女の子。


(結局あの日以来、何も話してないな)


 何かを期待していた訳では無い……けど、あんなにも近寄られて、それっきり何も無いというのも、なんだか……。なんだか……。


 はぁ、思い出すだけでドキドキしてきちゃうなぁ。


 僕の席は教室の窓側で一番後ろ。いわば、部屋の隅っこだ。でも、あの子は教卓の前に席がある。それだけじゃない。あの子は基本的に無口で無表情だけど、持ち前の美しさと可愛らしさ、そしてミステリアスな雰囲気で周りを魅了して、いつもクラスメイトに囲まれてる。つまり何が言いたいかっていうと、僕とあの子、マリーでは釣り合わないんだ。まさに、高嶺の花って感じだ。


 ……でもやっぱり不思議だとは思う。何で、手を上げなかった僕をあの子は選んだんだろう。手を上げなかった僕を面白がって? いや、違うと思う。あの子は僕と夢の中で会ったことがある気がするって言っていた。そんな事、あり得るだろうか。初めて会うはずの人を夢で見るだろうか。正夢? いや、そんな非現実的なことがある訳ない。何か、理由があるはずだ。


 キーンコーンカーンコーン。


 僕の意識を現実に引き戻すように学校のチャイムは鳴った。


「さぁ、放課後だ。さっさと帰ろ……う……?」


 …………机の中に何か入ってる? 何だろう。


 中から出てきたのは――ノートだった。ノート、何で入れっぱなしに……あ!


 そういえば今日、帰りの会で家庭学習のノートを集めるって言ってたような……でも、丁度その時に僕は考え事をしていて……。あぁ~やっちゃったなぁ~。何で集める時に誰も声を掛けてくれなかったんだろう。


 ……。


 …………うん、自分の交友関係の無さを改めて実感したよ。


「仕方ない。届けに行こう」


 僕は肩掛けバッグを持って、とぼとぼと教室から出て行った。


 職員室で先生にノートを提出する際、先生からは何も注意されなかった。日頃の行いだろうか。でも、友達がいないということを、改めて実感させられた。


 僕が職員室を離れて昇降口に辿り着いたとき、僕の目の前で見覚えのある子が佇んでいた。夕日に照らされた黒髪に陶器の様な肌を持つ女の子。マリーは僕を見るなり、真顔で(というか普段から無表情だが)僕に話しかけてきた。


「ウォルダ、今日ノートを提出し損ねていましたよ?」


「……うん。もっと早く言って欲しかったかな」


「ウォルダ今日ノート」


「うん、早口で言ってって事じゃないよ」


 マリーは首を傾げてこちらを見つめてきた。う~ん、今日は何だか疲れたし一人で物思いに耽りながら帰る気分でもない。どうせ今だけの付き合いなんだ。だから――。


「マリー、もし良かったら一緒に帰らない?」




 夕日に照らされる大通りとレンガ造りの家。そして夕日によって生まれるそれらの大きな影。オレンジと黒の絶妙なバランスによって生まれる景観は、やっぱりいつ見ても綺麗だ。こんな田舎町でも唯一誇れるところは、僕が思うに、自然によって生まれるこの景観だろう。


 今僕の隣には、あの子がいる。今は僕たち二人だけ。隣を少し見れば、夕日に照らされた綺麗なあの子が、僕と一緒に足並みを揃えているんだ。それはとても嬉しい。嬉しいんだけど、よく見たら、マリーの瞳はどこか悲しげに見えた。今にも消えてしまいそうな、そんな瞳をしていた。夕日に照らされているせいでそう見えるのかもしれないけれど、どこか悲しげだった。


「ねぇ、マリー?」


「はい、何でしょう?」


 「何かあったの?」って聞こうとしたけど、すぐに止めた。何だか、触れてはいけない気がして。僕にとっての母さんがそうであるように、マリーにも触れられたくない話題があるはずだ。


 マリーは首を傾げて黙り込む僕を見つめてくる。僕はとっさに頭に浮かんだ話題を口に出した。


「この前の案内の時に『夢の中で僕と会ったことがある』って言ってたけど、それはどういう事なの?」


 とっさに浮かんだ話題ではあったけど、別にどうでもいい話題では無い。寧ろ、ずっと気になっていたことだ。マリーは少し考える素振りを……見せることなく率直に答えた。


「そのままの意味です。貴方とは夢の中で会ったことがある気がするのです」


「でも、そんな非現実的な事があるのかな?」


「そうですね、確かに非現実的です。ですが事実です。一度や二度の夢では無く、私が意識を持った頃からずっと見ている夢です。貴方とこうして出会い、共に様々な場所を歩く夢です。そして、最後の別れのタイミングで目が覚める夢」


「でも、そんな事……」


 決してマリーを疑いたい訳じゃない。彼女とは正直なところもっと親しくなりたいし、こんな事で距離を置きたくも無い。でも、こればかりは疑わざるを得ない。


 「では、証明して見せましょう」とマリーが言った瞬間だった。


 ――バン!


 大きな銃声だった。身が縮まる様な銃声。こんな田舎で殺人事件なんて起こるはずが無い。何かの聞き間違いだ。でも、あれはやっぱり……。


「聞こえましたか、ウォルダ」


「う、うん。でも、きっと何かの聞き間違いだよ」


「いえ、聞き間違いなどではありません。疑うのでしたら、音の発生した場所へ向かってみましょう」


「え? あ、危ないよ!」 


 マリーは僕の忠告も聞かず、何の躊躇も無く音の聞こえた路地裏へと向かって行った。小さな女の子が一人で危ない場所に向かって行ったんだ。流石の僕も見過ごして帰る訳にはいかない。「行きたくない」という僕の想いに反して、僕はマリーを追いかけて暗い路地裏へと入って行った。


  薄暗く、曲がり角の多い路地裏。僕の嫌な予感は見事に的中した。路地裏の曲がり角の先に、その光景は広がっていた。青色の服を着た綺麗な……綺麗だった女性が無残に撃ち殺されていた。地面には血が滴り、身体には何発もの銃弾が撃ち込まれていた。そして女性の元には拳銃を持つ老紳士と、マリーにそっくりな背丈と服装の少女が立っていた。二人は死体を眺めるなり、まるで瞬間移動の様にその場から消えてしまった。


 僕たちはゆっくりとその現場に近寄る。頭、胸、足……全ての個所に銃弾が撃ち込まれたその死体は、あまりに無残だった。僕はすぐに目を逸らした。けれど、マリーはどんどん死体に近寄り、まじまじと眺めていた。


「マ、マリー、早くここから逃げよう。犯人もいるかもしれないし、警察を呼んで早くここから……」


「君たちは……!」


 その声は僕たちの真後ろからだった。振り返るとそこには先程の老紳士と全く同じ人物が立っていた。けれど、先程の少女の姿は見当たらない。


 驚き、困惑していると、老紳士は徐々に僕たちに近寄り始めた。明らかに現場にいた人物と同じ人物。捕まれば僕たちがどうなるか……それは容易に想像できる。


「マリー! 逃げるんだ!」


 そうして路地裏の奥に走り始めた瞬間だった。


「っう! うぅぅぅぅぅ……!」


 マリーが頭を抱えて苦しみ始めたのだ。けれど立ち止まることは出来ない。後ろを振り返れば、先程の老紳士が瞬間移動を繰り返しながらこちらに近づいてきている。


「マリー、失礼するよ……!」


 僕は自分よりも明らかに小さいマリーを抱え上げ、そのまま走り始めた。老紳士は徐々に距離を縮めて来る。同時に、マリーの苦しそうな声も大きくなっていく。


 その時だった。辺りに青い光の粒が漂い始めたのだ。


「1920年……1月、6日……」


「マ、マリー?」


「マリオネット……町……」


 そして世界の時が徐々に静止し始めた。散る桜の花びらは地面に近づく度にその速度を遅め、大空を羽ばたく鳥たちは徐々に空の上で止まっていく。そうして世界は完全に時を止めた。


「ウォルダ、私を、離さないで下さい!」


「マリー、何を……」


『タイム!』


 その瞬間、僕たちの周りを漂っていた光の粒は僕たちを包み込み始めた。それはとても、目が開けられない程に眩しく。そしてそのまま僕たちを飲み込んだ。




 老紳士がマリー達に追いついた時、彼女たちはすでに姿を消していた。老紳士はため息を吐くと、空を見上げた。


「またこの時が来たか。今度こそは……これが、最後のチャンス……」


 老紳士はマリー達と同様に、その場から姿を消した。

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