第1話 スクールカースト


 彼女が転校してきてから一週間が経った。


 才色兼備とは、正に彼女のためにある言葉だろう。この一週間彼女を覗き見し続けた結果、分かった事だった。


 俺を椅子ごとひっくり返させた爆発的な美貌は言わずもがな。勉強もスポーツも、音楽や美術さえも彼女はパーフェクトにこなした。


 特に体育の授業で拝めるジャージ姿の彼女は、制服着用時を桜吹雪く春のような命の根源的な美しさだとするのなら、青葉繁る夏の瑞々しさ、生命の躍動を感じさせるそれとはまた違った趣の美さがあり、小振りな胸を紺のジャージに忍ばせ、長い髪を一つ結びに、額に汗を滲ませ競技に励むその様子は、俺の嫌いな授業を一つ減らしてしまう程の魅力をもっていた。


 朝のホームルームが終わると、忽ち彼女の周りには人だかりが出来る。昨日も一昨年も目にした光景である。


 彼女の美貌の噂は学校中に広まり続けているようで、教室前の廊下に集まる他クラスの生徒達の人数は日増しになっている。


 教室の中央付近、彼女はそんな状況に少し戸惑った様子を見せつつも、次々とぶつけられる質問へ笑みを浮かべて丁寧に答えている。


 俺はこの一週間してきたように、そんな様子を窓際最後尾にある机から眺め、至福の一時を過ごしていた。


「気持ち悪いよ、ノボル。ニヤニヤして」


 そこへ無礼な言葉を吐きながらやって来たのは筑波明彦ツクバアキヒコ。素直に認めるには多少抵抗があるが、俺のただ一人の親友と呼べる男である。


 アキヒコと出会ったのは高校一年の時。つまりまだ一年程度の付き合いであるのだが、コイツとは妙に馬が合うようで登校初日から意気投合し、今では互いの知らない事はないと言える程の間柄になっている。


 鬱陶しく伸びた長い髪に黒縁のメガネ。痩けた頬と目の下の隈を除けば容姿はさほど悪くはないように見えるが、その評価を覆えして尚余りある程重度の美少女アニメオタク。その特殊な偏愛を隠そうともしない振る舞いから、女子生徒はおろか男子達からも敬遠されている。


 そんなこの男と毎日行動を共にできているのは、俺の器の大きさがあっての事だろう。持ち前の人見知りを遺憾なく発揮し、未だにこの男以外の友人を作れずにいるからというわけでは、ない。


「高嶺さん、相変わらずすごい人気だねぇ」


 教室の人だかりを眠たそうな目で見つめながら、アキヒコは言う。


「高嶺様と呼べ。お前のような下賤な輩が気軽に下の名前を呼んでいい方ではないのだ」


「下賤な輩って……武士じゃないんだから」


 奴はそうツッコミを入れた後、


「確かに三次元のわりには、崇高な雰囲気はあるけどね」


 と相変わらずの偏見にまみれた言葉を口にする。


 高嶺さんを低く言うような口振りは癪に触るが、奴には奴の信念がある。二次元の女の子達を愛する事へ恥じらいを感じるという事自体が、彼女達への冒涜なのである、なとどと公然と言ってのける強者と、敢えてここで論争を繰り広げる必要もないだろう。


「アキヒコ。俺は決めたぞ」


 俺は彼女の笑顔を見つめたまま口した。


「え? 何を?」


「俺。あの子に告白する」


「ええぇ!?」


 大声を上げた親友の口を、慌てて押さえる。


 近くにいた数人のクラスメイト達がこちらに目を向けたが、愛想笑いをしてペコペコと頭を下げると、彼らは興味を失った様子で友人との雑談を再開した。


「ほ、本気で言ってるの!? それ」


 顔を近付けたまま、アキヒコが小声で話す。


「当然」


 この一週間。思い続けてきた事だった。どれだけ熟考を重ねても、彼女への想いはそれ以外の答えを許してくれなかったのだ。


「告白なんかしてどうするつもりなんだよ?」


「どうするってそりゃ、勿論付き合うのさ。相手が認めてくれたらな」


「無理だよ、無理無理。止めときなよ」


 そうまで必死になって否定されると腹立たしい。俺はムキになって奴へ尋ねる。


「なんでだよ?」


「だって僕達のようにスクールカーストの最下層にいる人間が告白に成功するなんて事があるわけないじゃないか」


「はぁ? やってみなきゃ分かんねぇだろ」


「分かるよ。じゃあ聞くけどノボルは一度も話した事のない彼女に突然告白するつもり? それで成功すると思ってる?」


「いや。それは流石に難しだろうけど。だから、これから少しずつ仲を深めていってだな……」


「だからさぁ、僕らにはそれすらも出来ないじゃないか。この一週間を見た限り、高嶺さんがスクールカーストの頂点に立つ人である事は明白。僕らからみたらエベレストの頂上にいるような存在さ。そんな人に容易に話し掛けられるとでも? 仲を深められるとでも? これまで学生生活を思い出してごらんよ。カーストに支配された世界。その中で僕らがどんな思いをしてきたかを」


 奴の言葉に俺は、はっとなった。


 スクールカースト。それは学校を支配するピラミッド。交遊関係。権力の強さ。人間としての価値。学校ではその全てがピラミッド状の階級によって決められている。上の階級に人間には逆らわない。友達になるなら自分に近い階級の人間と。それがこの世界での理である。


 きっと、俺は彼女への熱に浮かれて忘れてしまっていたのだろう。人見知りというハンディキャップのせいで友達作りに出遅れ、気がつけばアキヒコ以外のクラスメイトと殆んど話した事のないまま二年生に進級。陰ではアキヒコと恋人関係にあるのではないかと噂されている、ピラミッド最下層にいる自分の事を。


 ショックを受ける俺へ、アキヒコは追い討ちをかけるように更に続けた。


「それにさぁ、考えてごらんよ。万が一にでも高嶺さんがノボルと仲良くしてくれたとして、周りの人間達はそれをどう思うかな? 『あんな人と関わるのは止めなよ』なんて言ってくれるのは親切な方。場合によっては『あんな人と友達だなんて』と高嶺さんが悪者にされてしまう事だってあり得る。それを分かっていてもノボルはまだやってみなきゃ分からないなんて妄言を吐くのかな?」


「そ、それは……」


 粘着質で陰鬱。アキヒコの口撃こうげきに俺のヒットポイントは限界寸前のところまで追い込まれていた。


 しかしこれで諦めきれる程、俺の彼女への想いは些細なものだったのだろうか?


 否、断じて否である。


 俺は女神の横顔を覗き見る。そして拳を握り締めた。


「……だったら。だったら俺が彼女の元まで行ってやる」


「え?」


「スクールカースト最上位と底辺の恋なんてありえねぇ? それなら俺が成り上がるまでじゃねえか。彼女がエベレストの頂上にいるというなら、その標高8000メートル、登りきって俺のこの想いを伝えてやる!」


 鬼気迫る様相で言った俺に、アキヒコは顔をひきつらせた。


「え? マジ?」


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