第8話

 二人は再び新たな湯気を求めて歩き出した。

 街の様子は食事処が並ぶ区画から、小物や装飾品が並ぶ区画に移り変わりつつある。

 すでにお腹がいっぱいの蓮花は、ついつい店先の首飾りや髪飾りに目が向く。ふっとバラ色の珊瑚の髪飾りが目に留まった。とても美しい。


「あれが欲しいのか?」


 朧月が蓮花の肩越しに商品をのぞき込む。


「いらっしゃいませ。お兄さん方、贈り物ですかい?」


 その言葉で蓮花は自分が男装をしている事を思い出した。朧月も玉葉が遣わした護衛とはいえ、蓮花が皇女だとは知らされていないはずだ。そうでなくとも同じ適性検査を受ける者同士である。女である事がバレたらまずい! そう思った蓮花は、慌てて低い声を出した。


「う、うん! 贈り物。ほら。女の人はそういうの好きだろ。玉葉……様にね! あの方の黒髪には、この紅珊瑚の髪飾りがよく似合うって思ったんだけど……」


 口から出まかせではあったものの、見れば見るほどこの見事な紅珊瑚の髪飾りは玉葉の滝の様な黒髪に良く映えそうだ。


――そうだ後宮から出るのにも、街に抜け出すのも、それに朧月を護衛に付けてくれたのも玉葉だわ。お礼に買っていこうかな?


朧月は髪飾りを手に取って首を傾げた。


女子おなごは、こういうものが好きなのか?」

「そりゃそう……。あ、もしかして女性に贈り物をしたことはないの?」

「うむ」


 白皙の美青年ではあるものの、朧月はどうやらあまり女性とは縁遠かったらしい。


「そっか……。じゃあ、覚えておくといいよ。女性はこういう綺麗な物をもらうと嬉しいんだよ」

「なるほど。覚えておこう」


少し先の路地で、何か騒ぎがあったようだ。その声が誰のものか分かり、蓮花は思わず鼻にしわを寄せる。


「……孫家のバカ息子だ」

「ああ……。確かに」


 朧月も蓮花と同じような表情になっている。


「何を揉めているんだろう?」


 聞こえる声がバカ息子――金餅だけならば、蓮花は近寄ろうとは思わなかった。しかし、聞こえるもう一つの声が半ば悲鳴のようであり、あの隼という使用人のものだと気がついたからには、このまま見捨てるには忍びないような気がしてしまったのだ。

 角からこっそり蓮花と朧月が並んで覗くと、予想通り孫金餅と隼がいた。金餅は四人の男に担ぎ上げられた日傘のある輿こしに乗っており、その輿を担いでいる男の足に隼が抱きついている。


「どうかお止めください、金餅様!」


 必死に輿の上の金餅を見上げる隼だが、金餅の方はあさっての方を向いて鼻をほじっている。苛立った声を上げたのは、輿を担いでいる男の方だ。


「ええい、しつこいぞ!」


 隼は足蹴にされる。検査開始の時点で、ふらふらになっていた隼は簡単に吹き飛ばされてしまった。しかし百足むかでのように這い、再び輿を担ぐ男の足に張り付きながら、隼はバ金餅に懇願を止めない。


「お、お願いいたします! どうか、どうかあんは、妹の杏だけはお助けください!」

「しつこい!」


 輿を担ぐ男は再び隼を蹴る。今度は吹き飛ばされた方向が悪かった。路地の側溝に隼ははまり込み、身動きがとれなくなってしまったのだ。

 金餅は、その様子を見て愉快そうに声を上げて笑った。


――ひどい!

 思わず出て行こうとした蓮花の肩を、朧月が引き戻す。


「あやつとは顔を合わせたくないのであろう?」

「で、でも!」


 蓮花が金餅に顔を見られないように顔を伏せたのは、最初の時だけである。あの時に朧月はいなかったのになぜ知っているんだろうかという疑問が浮かんだが、金餅が輿を降りて隼に近づいたのを見たからにはそれどころではない。

 再び飛び出そうとした蓮花を、朧月が後ろから抱きしめた。


「は、放して!」

「ダメだ。そなたを危険な目にはあわせぬ。悪いようにはせぬ。黙って見ておれ」

「でも……」


 朧月は「ダメだ」と腕に力を込めた。

 金餅が輿にあった酒瓶を隼の頭の上でくるりと返す。


「頭を冷やせ!」


 ジャバジャバと隼の頭に酒がこぼれる。いくら酒とはいえ、冬の最中である。隼はたちまち歯をガチガチと鳴らし震え始めた。酒瓶が空になると、金餅は隼の襟元をグッと引き寄せた。


「杏は最低最悪の遊女宿に売りつける。お前が龍騎士隊に入っても決して見つけられないような場所へな。そうだ。お前はもう孫家の使用人ではない。春になるまで路上ででも穴倉でもどこででも暮らすがよい。しかし孫家に押し入れば、その場で打ち首にしてくれるぞ」


 金餅は、妬みと嫉みで土色になった顔でニタリと笑った。そして自分自身の足で隼を蹴る。狙いの定まらないひょろひょろとした蹴りだったが、底に鉄鋲の打ってある靴の衝撃は大きく、また打ち所が悪かったようだ。隼はとうとう気を失ってしまった。


「ふん」


 再び輿に乗った金餅は、手が汚れたというようにパッパと手を払い、「行け」と命じた。

 金餅が見えなくなってから、蓮花はやっと朧月の抱擁を離れられた。二人で隼を溝からすくい上げると、体を横に長らえる。痩せ細ってはいるが、ずいぶん背が高い。


「う……」


 隼のまつげが揺れた。


「大丈夫? 気がついた?」

「うん……。あ、杏! 杏を助けなくちゃ!!」


 ガバッと飛び起きようとする隼は、とたんに顔をしかめて頭を押さえた。


「衰弱しているのであろう……。少し休んだ方が良い」


 朧月の言葉に、隼が苦しそうに首を振る。


「妹が……、妹が危ないんです」


 壁に手をつきながら、なんとか立ち上がる。このままでは再びさっきの場面の二の舞だ。いや、もっと悪い事が起こるかもしれないと蓮花は思った。


「妹さんって、さっき日傘を持っていた下女?」

「え……? あなたは?」


 隼は蓮花に虚ろな目を向ける。そして急に焦点があったようだ。驚きに目を見開いた。


「あなた様は先程の! あの節は……」

「そんなのいいから。理由を話して! 何か力になれるかもしれないから!」


 最後の言葉は自分でも言ってビックリしていた。それ以上にビックリしたのが隼だ。


「でも……。見ず知らずの人に……」

「僕は蓮。それでこっちは朧月さん。それに君は隼だよね。これで見ず知らずじゃないよ!」

「で、ですが……」

「いいから話して! 急いでいるんでしょ⁉」


 隼は、わずかに瞳を揺らして、「分かりました」と呟いた。


「じゃあさ、あのバカ息子と二人で龍騎士訓練所に入ってから、何があったか教えて。さきあのバカ息子が、君が『龍騎士隊に入る』って言ったような気がしたんだけれど……」


 隼は苦いものを口にしたような顔になった。


「それが実は……」


◇◇◇

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