優曇華の花

高草木 辰也(たかくさき たつや)

第1話  優曇華(うどんげ)の花


   


 皆さんは、優曇華うどんげの花と言うのを聞いたことがあるだろうか?


 この優曇華とは、伝説上の植物、実際の植物。そして実際には植物ではなくクサカゲロウが木の枝に産みつけた卵の姿が、花に見えるのでそう呼んだとされる3つの説がある。


 実際上の植物としては、フサナリイチジクや芭蕉ばしょうの花を「優曇華の花」と呼ぶことがあるようだ。

 

 そして、伝説上の植物とは幾つかの仏教経典に登場するらしく、3000年に一度咲く花で、その花が咲いたときに金輪王きんりんおうが現れ人類は繁栄すると言ったような、誠に縁起の良い言い伝えである。



 私は昔ある村で、老婆から優曇華の花の話を聞いた事がある。だがそれは上述した話とは全く別の言い伝えであった。 


 昔の田舎の古い家は天井からはりが、柱と同様にむき出しになっている造りの家も多かった。そんな昔の家でごくまれに、梁の部分にキノコの様な植物が生えることがあると言う。これをこの村の人たちの伝承では「優曇華うどんげの花」と呼んでいたそうだ。

 そして、この花には二種類の色がある。 



老婆の話では・・・。



「白い花が咲くときは、その家が絶える、全滅する。 紫の花が咲いたときはその家のあるじ一代いちだいは守られるがその子孫は全滅する。そういう言い伝えで、とっても不吉な花なんだよ・・・。」  老婆はそう話してくれた。


 そもそも、そんな話をするきっかけになったのは私がこの村を通りがかったときに、トイレを借りようと立ち寄った場所、今で言うなら「道の駅」と言った感じの寂れた物産センターの様な所で、幽霊を見たからである。


 私がトイレから出てきて、しばらく土産物売り場を見ていた。 干しシイタケや豆類、漬物に大根、白菜と言った野菜などお決まりの商品の隣に、[イノブタの味噌漬け]と言うのがあり、手に取って説明文を読んでいた時だった。


 私の斜め右前方に何やらもやの様なものが現れ、次第に灰色がかった人の形になって行く。 その人は昔の病院のパジャマの様な格好で、やせ細った中年男性だった。

 

 年は40代半ばくらいかと思われ、背丈は170センチ弱くらいで、いかにも病弱そうな感じだ。この人は戦時中の人で、病気が原因で徴兵ちょうへいされなかった人だ!!  私は時折ときおり、幽霊が見える事があり、見え方は様々だが、瞬間的にその人の素性すじょうまで感じる事がある。この時はそうだった。


 この男性は私に敵意や悪意があるわけではなく、客として入って来た私を見物しに来ただけであった。


「えッ、誰?」


 思わず私が声を出してしまった。するとその人はスーッと目の前を横切り、壁の中へと消えて行った。



「お客さん、イノブタ食べたことあるかい?」店番の老婆が私に声を掛けてきた。


「あ~、前に一回食ったことがあるよ。けっこう旨かったよ」私がそう答えてから話始めた。


「俺、さっき幽霊見たんだよ‼」 私がそう話すと老婆は薄笑いを浮かべてこう言った。


「お客さん、もうすぐお盆だからってよしとくれ。ハハハ、こんな婆さんを脅かしてどうするんだい? それで、どんな幽霊だったんだい?」


 完全にくだらない冗談だと思われたらしいので、私が先ほどの詳細を話してみた。すると老婆は一気に顔色を変えた。

 

「え、本当かい? 病気で徴兵されなかった人かい?」 


 老婆はそこに食いついてきた。


「うん、病気だったみたいだよ。たぶん伝染病みたいで隔離病棟かくりびょうとうに入院してたみたいな感じだったよ!」 


 俺は感じたままを老婆に伝えた。 すると老婆は、ため息をつきながら椅子に腰をおろして話始めた。


「ハぁ~ッ、 間違いないよ、IさんちのYちゃんだよ・・・。あそこの窓を見とくれ、その先に川が流れてるだろ。その川向うに一件家が見えるだろ、あそこがIさんちだよ。   あ~、Yちゃん、まだここにいるんだねぇ~!」老婆はしみじみと言うとうっすらと目に涙を浮かべた。



 老婆は事の顛末てんまつをしみじみゆっくりと私に話してくれた。




 老婆がまだ少女だった頃、日本が“大東亜戦争だいとうあせんそう”を戦っていた頃の村社会である。その家にはIと言う一家が暮らしていて、その家の息子にYさんと言う人がいた。戦時中で次第に戦況も悪化してゆき、物資や医療技術も乏しい中でYさんは結核けっかくわずらい、隔離病棟かくりびょうとうに入院を余儀なくされた。体は次第にやせ細り、いかにも“病人”と言ったようなやつれた姿になっていたため、40代半ばに見えたのだが実際はもう少し若かったらしい。


 Yさんは数年間、隔離病棟で入院生活を送ったのち、家族に看取みとられることもなく一人、ひっそりとこの世を去った。

 

 当時の日本の状況と、山里の村社会と言う環境を考えればI一家いっかがどういう心境であったかが想像できる。 村の若い男たちは次々に徴兵され、「名誉の戦死」をげた者も多かった。そんな中でこの家の息子は結核のため徴兵もされず“伝染病”と言う不名誉な病死だった。このためIの家では、ろくな葬式もせずこの家の墓にもれず、まるで焼却ゴミでも扱うように墓地の隣の小さな空き地に埋葬した。物の無い時代に仕方が無いのだが、墓石も立てず卒塔婆そとばだけの墓にされた。


 やがて戦争も終わり、時がたち日本が復興を始め、いよいよ高度経済成長の波に乗って、次第に世の中が安定し発展して行く頃それとは対照的に村社会はどこも過疎化が始まって行く。村の若い者たちが仕事を求めて、村を捨て街へと出て行ってしまう。このままではいつか自分たちの村が無くなってしまうと心配し、どこの村役場も皆、過疎化の問題に頭を悩ませていた。そんな頃だった・・・。

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