第13話 ヘンなお兄ちゃん

親父は仕事人間だった。

両親が離婚してから一人の時間が増えたけれど、それでも親父に引き取られて良かったと思えたのは、俺を一人前の男として扱ってくれたような気がしたからだ。

ちゃんと俺の意見を聞き、俺の立場を認識した上で、仕事の重要さを説き、一人にさせることが多くなることをびた。

新しい母親も仕事人間だった。

多分、親父と価値観を共有しているだろうし、放任や放置とは違う。

でも──

「お母さん」

せわしない朝に、言い慣れない呼称で母親を呼び止めた。

「昇也くん、どうかした?」

玄関で靴を履いていた母は、七菜香とよく似た柔らかな笑みで俺を見る。

「今日は仕事、休めませんか?」

判っている。

仕事が大事なことも、その大事な仕事も、子供が大事だからということも。

「ごめんね。でも、あの子も子供じゃないから大丈夫よ」

きっと七菜香も俺と同じように、一人前として扱われることに喜びを見出すだろう。

けれど俺も七菜香も、やっぱり子供で、熱を出せば弱気にもなる。

「じゃ、行ってきます」

「……行ってらっしゃい」

奈良から帰ってきた夜に、七菜香は熱を出した。

翌朝になった今も、熱は下がっていない。

物分かりのいい子供は、大人なのだろうか。

俺は笑って母親を送り出した。


七菜香の部屋に入る。

乱雑に本が散らばった部屋は、紙の匂いと、七菜香の匂いがした。

時刻表、漫画、小説、図鑑、それから、専門書の数々。

女の子の部屋らしく無いよなぁ、なんて苦笑する。

「お兄……」

七菜香が薄目を開けて俺を呼んだ。

いつしか「お兄」が俺の呼称として定着した。

「お母さんは?」

っ!

授業中よりも、頭をフル回転させた。

「お母さんは大事な仕事があって、俺がいるから安心だって任せてくれたよ」

嘘にも誤魔化しにもならない範囲で、俺が思い付く言葉はこれくらい。

でも、七菜香は「へらっ」と笑った。

「七菜香のお兄が、お兄で良かった」

七菜香は安心したように目を閉じた。

お兄も、七菜香のお兄であれて良かった。


七菜香の寝顔は見ていて飽きなかった。

へらっ、と笑ったり、気難しい顔をしたり、どこまでも純真な表情を見せたりした。

寝息が穏やかに安定しているのを確認して、俺はコンビニに向かった。


通勤時間帯は過ぎているし、店内は立ち読みをしてる人が二人いるのみ。

レトルトのおかゆと、オレンジジュース、それから、七菜香の好きなプリンを持ってレジに行く。

「まいど!」

……イトウさんか。

「もう学校始まってるよ?」

「ええまあ、自主休校というか」

「……もしかして、カノジョちゃん?」

イトウさんがお粥を手にして尋ねてくる。

「妹です」

「先日の子?」

「ええ」

「ホントに妹だったの!?」

「そうですけど?」

何でこの人はこんなに驚くんだろう。

「親は?」

「仕事に行ってますけど?」

「……なるほど、禁断の看病っすね?」

禁断の看病って、どんなのだ?

「田神くん、ちょっと待っててね」

イトウさんはそう言って、一旦レジから離れると、何かが入ったレジ袋を手にして戻ってきた。

「これ、賞味期限切れが近い栄養ブロック食品」

「いや、いいですって」

「いやいや、田神くんじゃなくて、あの子にだし」

「七菜香に?」

「七菜香ちゃんっていうんだ?」

「ええ、まあ」

「あの子、このプリン好きだよね」

「え?」

「ちょくちょく一人で買い物に来るよ?」

そうか、アイツは引き籠りといっても、部屋から一歩も出ない引き籠りじゃないし、そういえばプリンやジュースや菓子なんかも、普段から食べたりしてたな。

考えてみれば、このコンビニを利用しているのは当たり前のことだ。

「ペコリとふにゃ」

「は?」

「店に入ってきたときに、いらっしゃいませって言うとペコリ、レジで何か話しかけると、ふにゃって笑うの。目は合わせてくれないけどねー」

ああ、アイツらしいな。

「すいません、アイツ、人見知りなんで」

「なに言ってんの、ペコリもふにゃも、店員にとったら宝物みたいなものなんだから」

それは店員じゃなく、あなたががいい人なだけでは?

「店の男どもの評判もいいんだよ、七菜香ちゃん」

それは単に七菜香が可愛いからでは?

「今、可愛いからだって思ったでしょう?」

「いえ……ええ、まあ」

「店員ナメすぎ。いくら可愛くても綺麗でも、態度の悪い客を良くは言わないよ」

だとしたら、七菜香はいい子なのだろう。

……ん?

店の男どもって、どいつだ?

「田神くん田神くん、顔が怖くなってるよ」

「え? あ、すいません、何でもないです」

「兄妹には見えないなぁ」

「似てませんしね」

「そうじゃなくて、二人の間に漂う雰囲気っていうか」

やはり兄妹とは違う、ぎこちなさみたいなものがあるのだろうか。

「私も兄がいるけど、なんかこう、もっとよそよそしくなる。っていうか、そもそも二人で出掛けたりしないし」

確かに、妹なんか鬱陶うっとうしいだけ、なんて話をよく耳にする。

「ましてや妹の看病で学校休むお兄ちゃんとか、ヘンなお兄ちゃんレベルでしょ」

俺は妹がヘンだと思っていたが、ヘンなのはお兄ちゃんだった!

「あ、お客さんがレジに来る。とにかく田神くん、あんまり触ったり、俺の栄養エキスを飲ませてやるよ、なんてしちゃダメだからね」

何の話!? ってツッコもうとしたけれど、イトウさんは完全な接客スマイルに切り替えてレジ業務に移る。

たぶん見えてないだろうけど、俺はペコリと頭を下げて店を出ようとした。

「あれってマズイし飲みにくいから、熱あるときに飲まされると吐きそうになるからねー!」

店の扉が閉まる直前に聞こえてきたイトウさんの声は、冗談めかした口調では無かった。

接客を中断してまで言ってくれたのだから、実体験に基づいた、大人のアドバイスなのだろう。

……うん、きっと、何か薬の話だ。

良薬は口に苦し、というからな。

俺は家に風邪薬があったか不安になったので、ドラッグストアに寄ってから帰ることにした。

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