第22話 愛撫

咲の部屋は、懐かしい匂いがした。

慣れ親しんで普段は気付かないようなその匂いが、心の奥底をくすぐるみたいに僕を迎えてくれた。

子供の頃とは違うベッドに洋服ダンス。

見慣れないものはあるけれど、幼い頃から馴染んだ空気は変わっていない。

「さて、勉くん」

咲が冗談めかした口調で言う。

「深夜に年頃の女性の部屋に入った君から、何か言うべきことは無いかね」

「え? お邪魔します?」

「……はぁ」

盛大に溜息をかれた。

僕としては、咲が何のために部屋に呼んだのか判らないのだが。

「ねえ」

「なんだ?」

「勉は、私のことが好きでしょう?」

「なっ!?」

「別に私が自信家とかじゃなくて、判るじゃない。ずっと一緒だったんだし」

そうか……自分自身に幼馴染と言い聞かせていたけれど、言い聞かせなきゃならない時点で、そういうことになるんだな。

大切とか、大事とか、そんな言葉に置き換えていたものの、好きという一言で表現した方が、よっぽどしっくりくる。

勿論、そんなことは今更で、自覚していた感情を誤魔化していたに過ぎないのだが。

「私が、勉を好きなのも判っているでしょう?」

「え!?」

「……まさか、まさかなの?」

「いや、だって、僕といてもドキドキしてる様子なんて見せないし、他の男子と接するときも、咲は咲のままだし」

「はぁ……」

また盛大に溜息を吐かれた。

「私、勉以外にチョコレートあげたことないでしょ?」

「それは幼馴染としての義理で、僕の知らないところであげてる可能性も……」

「耳を見せるときだってドキドキしてたし、他の男子に触らせたりしてないのに」

ちょっとねた口振りになってきた。

ここはやはり、僕が言わねばならないだろう。

「咲」

「何よ?」

「僕が幽霊になったのは、咲と離れたくなかったからだと思う」

「……うん」

「でも、だからこそ言っておかなきゃならない。咲はいつでも、僕を捨て置いていい」

「ちょっと!」

「生きていれば、どんな可能性があるか判らない。僕は咲が好きだ。でも、咲をしばりたくはない。そもそも、生者が死者にとらわれていては──」

「勉、それ以上言ったら怒るわよ」

「あの幽霊の子もそうだけど、幽霊は歳を取らないみたいだ。今はいいとしてもこれから先、何十年か経って、咲がオバサ──」

「それ以上言ったら、はらうわよ」

「……ともかく、触れられないということは、干渉してはならないってことなんだと思う」

「いいわ。干渉できるかどうか試してみれば」

咲はベッドに腰掛けると、髪を搔き上げ、両方の耳を僕に見えるようにした。

どういうつもりだ?

「ほら」

子供に「おいで」とでも言うような、柔らかな口調。

戸惑う。

僕は「咲に触れたい」と言った。

それは単なる要望などではなく、切なる願いだ。

「耳じゃ不服?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「早く」

かされて、耳に手を伸ばす。

当り前のように、何も触れず、何も感じない。

「勉は、頭で考え過ぎなのよ」

咲の意図が判らない。

僕は「触れられない」と言った。

それは頭で考えるとかではなく、厳然たる事実だ。

「頭をでて」

要領を得ないまま、咲の言う通りにする。

手のひらを、咲の頭に触れるか触れないかの距離に置く。

何も感じないまま、けれどいとおしむように優しく動かす。

「そう、そんな感じで、ほほも」

言われるままに、髪から頬へ手を伝わせる。

「輪郭をなぞるように……私の形を感じ取るように手をわせて」

咲の目、咲の鼻、先の唇、僕の好きな咲の形。

僕の指が、咲の唇の上で止まると、咲は心持ち口元を前に出した。

まるでおねだりするみたいに見える。

いや、でも……。

「手で触れるだけでいいの?」

その唇に目を奪われる。

これは疑似的な行為だろうか。

実際に触れはしないのだから、躊躇ためらう必要など無いのだろうか。

僕は咲の肩に手を置いた。

たとえ触れることは出来なくても、特別な行為なのだと思えた。

僕は咲の唇の位置に、自分の唇を合わせた。

触れる感覚は無いから、微妙な距離感がつかみづらい。

それを埋め合わせるように、咲が唇の間から舌をのぞかせた。

舌先と舌先が触れるのは、目で確認できる。

ちょんちょんと、確かめ合うようにつつき合い、やがてお互い目を閉じて、むさぼるように舌を動かした。

咲が考える干渉とは、触れるかどうかなのではなく、感覚を共有することを言っているのかも知れない。

確かに、共有する悦びはある。

そして、物足りなさともどかしさ。

僕の手は、肩から下へとおりていった。

薄手のパジャマをわずかに持ち上げる優しい曲線。

性など意識しなかった頃の近しい咲を、遠くに感じさせ、けれどがれるように悩ませたふくらみ。

僕はそれを手のひらで包み、指先で何度もなぞり、唇を当てた。

触れてはいないのに、僕の舌が胸の先端を探り当てたとき、咲は「ん」と声を漏らし、身体をビクッと強張こわばらせた。

下着は着けていないのだろう、パジャマの上からでもそこは可愛らしく自己主張した。

「ちゃんと、勉を感じるよ」

息を乱しながら、咲は甘い声で言う。

眩暈めまいがするほど甘美で、それでいて脳が焼き切れそうなほど激しい感情に揺さぶられる。

誰にも、渡したくは無い。

僕だけが知る、僕だけの咲だ。

優しく這わせていた手は、やがてまさぐるように激しくなり、ついには咲の大事なところへと伸びる。

ふに。

「あれ?」

未知の柔らかさに触れた……触れた!?

「~~~っ!! どこ触ってんのよ、エッチ!!」

思いっきり平手打ちを食らわされる。

「痛い!?」

「え?」

痛みを感じる頬を手でさする。

自分自身の手の感触も判る。

あれ?

「湿ってる?」

「ちょ、バカ! がないでよ!」

頭をポカポカ殴られる。

イタイ。

でも、痛みがこれほど嬉しいなんて初めてだ。

と同時に、強烈な眠気が襲ってきた。

死んでから一度も眠くなったことなんて無いのに、もしかして成仏するのだろうか。

触れたいと願って、それがかなった。

それどころか、咲の大切なところまで触ることが出来た。

ならばもう、思い残すことは無い……。

……って、んなワケあるかっ!

やっと触れるようになったのに、これで終わってもらっては困る!

未練は寧ろ増幅した。

まだ胸は触れていないのだ。

ちゃんと抱き締めてすらいないのだ。

この先へと、もっとちゃんと、この手で咲を──

だが、この眠気にはあらがいきれない。

ただ眠るだけなのだろうか。

また目覚めはあるのだろうか。

「勉? 勉!」

呼び掛ける咲の声を聞きながら、僕は返事も出来ないまま眠りに落ちた。

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