第10話 月命日

帰り際、僕ら二人に先生は言った。

「これからのことは判りませんが、既成概念きせいがいねんとらわれる必要は無いですよ」

その言葉の意味するところは何だろう。

確かに僕は、固定観念や既成概念といったものから逸脱いつだつした存在だ。

そういう意味では先生の言ったセリフは至極当然のことなのだが、何か意味深というか、言葉以上に大事なこととして先生は言ったような……。

「あの先生、持っていたイメージと随分違ったな。最後なんかご機嫌な笑顔だったし」

先生との会話の内容を咲に説明してから、僕はそんな感想を述べる。

「あー、なんかね、生徒のこんな相談に乗ったー、とか言うと、家で旦那さんが褒めてくれるらしいわよ」

「……持っていたイメージと随分違ったな」

時に柔らかな表情を見せるけど、あの先生が夫に甘える姿が想像できない……。

「勉」

「ん?」

「私、寄りたいところがあるから、今日はこれで」

別にいつも一緒に帰っているわけじゃないのに、咲は視線をらして言う。

咲は当然、男子にも人気があるし、仲良くしゃべっている姿もよく目にする。

男と付き合っているという話は聞いたことは無いが、幼馴染だからって全てを知っているわけでもない。

生前、基本的にはお互い自由だった。

僕は僕の交友範囲があったし、咲には咲の付き合いがあって、登下校なんかも時間が合えばという感じだった。

それに僕は、すでにいないはずの人間なんだから、咲の行動に口出しするべきではない。

「咲」

「なに?」

「耳を見せて」

僕は何を言っているのか。

これは僕にとって、脚を広げろと言ったに等しい。

「勉の方から見せろって言ったの、初めてじゃない?」

確かにそうだ。

あの行為にどこか性的なものを感じていた僕は、自分から見せろとは言えなかった。

「なんか照れるね」

咲にとっては、そんな意味合いなど無かった筈だが、何故か目を伏せ、躊躇ためらいがちに髪を搔き上げる。

まるで、スカートの裾をゆっくりと持ち上げるみたいにらされている気分。

「触りたいんでしょー」

悪戯っぽく笑う。

照れ隠しのようにも見える。

僕はただ、がれるように手を伸ばして、触れられないそれを優しく包むように手で覆った。

「誰かと会うの?」

触れられないもどかしさ。

だけどこれは、口出しなんかじゃない。

ちょっとした話のついで、会話の一部。

「えっと……」

咲がまた目を逸らした。

そのはずみで髪が耳を隠してしまう。

何だか行為の直前に脚を閉じられたような、いや、何を言ってるんだ僕は。

でも、小さな拒絶を感じたのは確かで、それ以上は聞けなかった。

「たぶん、ケンカにはならないから心配しないで」

「は?」

なんか僕が想定していたものとは全く違う言葉が、咲の口から出てきた。

「ちょっと事情を聞くだけ。それに、敵地と言っても部員は少ないだろうから」

「部員? 敵地?」

「じゃ、また明日!」

「おい!」

咲は部室のある校舎の方へ駆けていく。

アイツまさか、文芸部に行くつもりでは……。


咲に依存しない、咲の行動を制約しないとなると、僕は一人にならざるを得ない。

雄介達の遊びに混ざるというのも、それなりに楽しめそうではあったが、友人だったとはいえ勝手に付いて回るのは失礼な気がする。

認識されない存在は、相手に認識されない以上、その言動に対してひかえめであるべきだ。

教室で彼らの会話を聞くくらいならまだしも、プライベートに立ち入るべきではない。

「せめて眠ることが出来たなら、この退屈もまぎれるんだがなぁ」

そう考えて、あの河原で見かけた少女のことを思い出す。

彼女なら、幽霊ならではの時間の潰し方、もしかしたら眠り方なんかも知っているかも知れない。

それに、僕は僕のコミュニティを形成すべきだという気もする。

……幽霊ばっかりのコミュニティなんて何か嫌だなぁ、などと思ってしまうのは、僕にまだ幽霊としての自覚が足りないからなのだろうか。


取り敢えず家に帰ると、玄関が開け放たれていた。

最近は暑い日が多いみたいだし、ドアを開けっ放しなんて田舎では珍しくもない。

お蔭で僕は、自由に出入り出来ない自分の家に入ることが出来る。

二階に上がって右にある部屋、僕の部屋の扉も開いていた。

覗いてみると、のぞみがストリップ──じゃなくて、一人ファッションショーをしていた。

男の部屋ではあるが、質素な姿見すがたみはある。

希はそこに自分を映し、様々なポーズを取ってみせる。

人は他人の目が無ければ、結構、いやかなり恥ずかしい行動をしてしまうものだ。

絶叫一人ライブもしかり。

だから僕は、自分の部屋からそっと離れようとして──

「お兄ちゃん」

妹の声に振り返った。

希は鏡を見たままで、決して僕に気付いたわけでは無さそうだったが、確かに僕に向けて言葉を放っていた。

「この下着、どうかな?」

いや、それを兄に聞かれても困る。

「お兄ちゃんがやたらと見てた胸、少し大きくなったよ」

断じて見てなどいない!

「咲ちゃんと、どっちが大きいかなぁ」

妹の自意識過剰っぷりに恐れを抱きつつ、中学生と比べられる咲にはあわれみを抱く。

実際のところ、いい勝負なのではあるまいか。

咲は耳の大きさよりも、胸の小ささにコンプレックスを抱くべきなのだ。

「よし、これでいいか」

服のコーディネートが終わったのか、希は満足げに頷く。

自分の妹ながら、そこそこ可愛らしいのではないかと思う。

「ではお兄ちゃん、今からお兄ちゃんに会いに行くね」

……何を言っておるのだコイツは。

可愛らしいと思った矢先に意味不明な言動を──って、そうか! 今日は僕の月命日だ。

咲は毎日のように僕と会話しているけれど、希にとっては僕のいない日常だ。

特別な日、節目の日、そういったものをもうけて、人は遠くへ行ってしまった者との繋がりを再確認する。

そしてそれは、咲のように実像ではなくて、お墓や仏壇といったものが対象になる。

「妹、三日会わざれば刮目かつもくして見よ」

三日どころかちゃんと毎日見ているぞ。

兄として妹にカッコいいところを見せたいという気持ちがあるのと同じで、兄に可愛らしいところを見せたいと思うのは、そんなにおかしなことではないのかも知れない。

何より、そんな気持ちでいてくれるのは嬉しい。

「もう、お兄ちゃん急かしすぎぃ。直ぐに行くから待っててね」

……やっばり、妹はオカシイのではないか?

ちょっと度を越した独り言に戦慄せんりつを覚える。

アイツの中で僕はいったいどんな設定になっているのか、考えるとちょっと恐ろしい。

「……何よ」

え?

静かな僕の部屋に、希の息遣いが満ちる。

それは何かの発作ほっさみたいに荒々しく乱れて、やがて、くぐもった嗚咽おえつを漏らし始めた。

……バカだな。

滅入めいりそうになる気持ちを、強引に高ぶらせていたんだろう。

不意に来た反動にあらがえず、希は鏡の前でうずくまった。

僕は駆け寄ろうとして、僕はいないのだと立ち止まる。

「バカ兄貴」

……その通りだ。

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