第6話 なりたいものは洋裁師と建築家。

「じゃあ、洋装店に入ればいいのに。お金稼げるし、勉強もできるじゃない」

「簡単に言うからなあ。このお嬢さんは。あたしの様に身元がはっきりしない奴をそうそうそういうとこが入れてくれる訳無いだろう? 今の所だって、紹介してくれるひとが居なかったら、今でもあたしはカフェーで働いていたさ」

「カフェーで? ってあなた今幾つよ」


 いいのかしら、と多希子は思う。

 「カフェー」はただ珈琲を出す「喫茶店」とは違うのだ。女給が居て、酒も出すところが、この時代の「カフェー」だった。そういうお仕事なんて、と多希子はつい思ってしまう。


「あんたと一緒ぐらいだろ。あんた幾つだよ」

「今度卒業よ」


 だけど十六、七には見えない。


「だけどあれが一番てっとり早い稼ぎ口だからね。ああ、あんたはああいうとこに出入りするんじゃないよ」


 そう言ってハナはぽん、と彼女の肩を叩く。


「別にいじめるつもりは無いんだからさ。ただ、ちょっとね。ちゃんと習うとこで習って、洋裁師になりたい、ってのは、あたしにとっちゃあくまで夢なんだよ」

「ううん、私も何も知らなくて」


 そう自分で口にはしたが、口にした言葉は、そのまま多希子の胸にちくりと刺さった。


「私は――― 私にだって、したいことがあるのよ」


 そして思わず口を開いていた。どうしてそこでそう言ってしまったのか、自分でも判らなかった。


「建築家になりたいの」


 建築家? とハナは問い返す。


「って、あの、ビルヂングとかの」

「設計して、建てるひと」

「だよな。またずいぶんと、とんでもない夢じゃないのかい?」


 まあね、と多希子はうなづいた。

 ふうん、とハナは橋の欄干に背をもたれさせ、空を仰ぐ。


「何でまた」

「聞きたい?」

「聞きたい」


 空を向いていた瞳が、自分の方を向くのが判った。


「震災の時のことは覚えてる?」

「ああ。あたしはまだガキで、横浜の方に居たけど」

「あっちもひどかったって聞くけど」

「まーね。そん時、母さんも父さんも亡くしたし」


 あ。多希子は思わず口を押さえた。


「別にいいよ。それはそれ。それより続けて。聞きたいんだから」


 ぶっきらぼうだったが、その口調には逆らえない何かがあった。


「あれで東京は思いっきり焼け野原になってしまったでしょう? それで、うちのお父様の会社も、ずいぶんと仕事が舞い込んできて――― だから、うちは、あの地震のおかげで今のようになったってことだけど」


 話がそれそうになる。そういうことを、言いたいのじゃない、と慌てて多希子は軌道修正をはかる。


「ええと、そうでなくて、私よく、お父様に連れられて、そういう現場に行ってたのね」

「現場? 建設現場にかい?」

「そう」


 物好きな親父だね、とハナは呆れた。

 実際女の子を連れていく所ではない。だがまだその頃は、現在の夫人に慣れるか慣れないか、という所で、一ノ瀬氏も、小さな多希子に気を使っていたのかもしれない。


「私、それまでの東京なんか、正直何も知らないようなものなのよね。物心ついた時にあれ、だから。で、自分の目の前で、どんどん新しい建物が建って行くのよ。何か、もう、すごい、って思ったの」

「すごい、ねえ」


 まあ判らないだろう、と言っている多希子自身も思う。

 おそらく言っても誰もこの気持ちは分からないだろう、と思っていたから、級友にも、皐月にもそう言ったことは無かったのだ。


「現場で働く人達も、まあ私が社長の娘だから、でしょうけど、可愛がってくれたし、やってくる設計した建築士のひと達は、アメリカ帰りらしくって、時々英語交えて話してたりするのよね。うん、確かアメリカから来た建築家のひとも見たことがあるわ。柄の悪いひとも居たわよ」

「ああ、それであんたあの時、度胸座ってたのか」


 ははは、とハナは笑う。


「お姉様はさすがに全く来なかったし、お洋服が汚れる、って感じだったし、確かその時にもうお輿入れ先が決まってたようだったし…… お兄様はもう妹と外で遊ぶのなんかつきあってられない、って感じだったから、余計に、そこが楽しかったのかなあ」


 ハナは何も言わずに、片方だけ眉を上げた。


「でもそれだけじゃない、と思うのよ」

「ふうん。でも何か作りたい、って気持ちは、何となく分かるよ」

「判る?」


 思わず多希子はぐい、と彼女の方へ身を乗り出していた。


「そりゃああたしだって、こういう服じゃなくてさ、もっと色んな形のものが作れるようになりたいと思うしさ。でもただ腕が無いから、腕を磨けるものだったら磨きたいし。あたしの作った服を誰かが銀座の街とか着て歩いてたら爽快じゃん」

「そうよね! そう思うわよね!」


 うんうんうん、と多希子は大きくうなづく。


「だから、そういう感じなのよ。通りに私が思い描いた建物がどん、と建っていたらいいわ、と思うのよ。もちろん今ある建物だって、素敵よ。だけど、それだけじゃない、って感じがするよのね。まだまだ、街には建てるだけの場所があるし、街が駄目ならもっと外がある…… 見てみたいのよ。私の頭の中にある、そういうものを」


 そうだね、とハナはうなづいた。

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