第18話 外征


 クリシュナ軍とホラズム軍は、再びレキサムの平原で合流した。


 エキドナルとの講和は成り、長かった戦争も終わった。それに、アイステリアから自立しようとしていた町を再び王家に従えていた。エキドナル領内の町も新たに支配下となったため、その間にあるレキサムの平原もアイステリア領内となった。


 アイステリア国の状況は、まだクリシュナが正式な王位についていなかったこの段階でさえ、一転したと言える。クリシュナの才覚に対する騎士たちの喜びは増すばかりだった。


 アイステリアの騎士は王ではなく、王家に仕える。聡明な王であろうと、愚鈍な王であろうと、今のように、王が不在で王妃がその代行をしていたとしても、騎士たちの忠誠と精勤に変化はなかった。


 アイステリアではたとえ王であっても、騎士の地位にある者へのいかなる処分も認められていなかった。騎士はあらゆる免責を受けられる立場にあった。もともと法を犯すような者は騎士になれないようになっていた。それが、建国王アイステリア以来の、アイステリア唯一の伝統だった。そして間違いなく、この仕組みが、今の、滅びかけていたアイステリアを支えていたのである。


 建国以来、戦に破れたことはあっても、騎士が国法に反したことはなかった。騎士とは清浄、高潔な人物でなければなれなかった。騎士たちは国法を破ることなど考えることさえなかったかもしれない。


 新たな騎士は、騎士団による試練を受けて、騎士団に認められた者が、騎士団から推薦され、王から騎士として叙勲されるのだ。そして生涯独身で過ごすことを定められていたので、アイステリアでの騎士叙勲は「王家との結婚」と呼ばれていた。口の悪い者の中では、「永遠の童貞」などと呼ぶこともあったらしい。


 アイステリアでは、騎士になるのは王になるより難しい、とさえ言われていた。


 アイステリアの王は、建国王アイステリア以来の正当な血筋に生まれた者ならば、王太子でなくともなれる可能性があった。もちろん王太子が優先なのだが、そういう意味では、クリシュナやその兄弟以外にも、王にふさわしい年齢に達した親戚の者が何人かはいるらしい。その中から王が選ばれていないのは、先王の遺言執行者としての王妃の力にあった。


 王になるには、騎士団の全ての騎士から剣を捧げられなければならない。王妃の子である幼い王子は、騎士団からその年齢を理由に王位につくことを認められていなかった。つまり、今のところ、誰一人として、幼い王子に剣を捧げる騎士はいなかったのである。


 もし王子が複数いる場合、そして騎士団の中で意見が割れて、剣を捧げるとした王子が何人かに分かれた場合、その王子たちは試練を与えられ、その試練を受けた後で、もっとも多くの騎士に剣を捧げられた王子が王となることになっていた。王太子だったとしても、騎士から剣を捧げられなければ、王にはなれないのである。それでも通常は王太子が剣を捧げられていたが、アイステリア歴代の王の中には第三王子や王弟から王になった者もいたという。


 つまり、騎士団には次の王を決めるという権力が与えられていたのだ。しかし、その一点を除けば、騎士団の役割は全て軍務であり、完全に政治からは遠ざけられていた。


「クリシュナさま、王都へ進軍なさるがよい」


 その騎士団の副団長である騎士ホラズムは、クリシュナに向かって、また同時に幕舎にいる全ての人に向かって、はっきりと公言した。「アイステリア騎士の中に、殿下へ剣を捧げぬ愚か者などいるはずがない。この場にいる我ら六人の騎士はみな、もちろん一人一人が自分自身の考えで、もうすでにそう決めております。我らも、王都の騎士団長をはじめとする他の騎士も、この国を救えるものなら救いたいと、騎士の誓いと民の怨嗟の間でずっと苦しんでおりました。殿下のご帰還によって、この国から迷い苦しむ者はいなくなりましょう」


 他の騎士たちもまっすぐにクリシュナを見つめている。


 王家に仕えるとはいえ、その本心では仕えるに値する王を望んで当たり前である。クリシュナはそんな騎士たちの想いを満たす君主として、期待できる存在だった。


 この戦乱は、今、ここに生きてはいない者たちによって始められたものだった。戦争開始当時の王や宰相、騎士は一人として生き残っていない。それでもこの戦乱は続いた。この数十年の間、アイステリアにも、エキドナルにも、名君と呼べる聡明な王が出なかったから、戦乱を終えることができなかったと考えられる。


 それをわずかな期間で、しかもアイステリアに有利な形で、この戦争を終結させたクリシュナの王としての資質は、この数十年の間のどの王よりも優れていた。


「王都へはまだ行かない」


 クリシュナの短い言葉に騎士たちは驚いた。


「何故ですか。もはや時は殿下とともにあります。この機を逃さず、王都に入り、剣誓の儀を行なわなければ…」


 ファーラという若い騎士の発言をクリシュナは手で制した。そうしなければ、王妃への批判が口からもれていただろう。


「騎士は王家に仕え、私に仕えるのではない。それ以上の言葉はそなたの口から出てはならない。その気持ちはありがたいと思う。しかし、私は騎士団の在り方が正しかったからこそ、今までこの国が持ちこたえたと考えている。王と王家と騎士の関係、それは今後も変わることがあってはならない」


 クリシュナはいつもの、静かな口調だった。「剣誓の儀を汚す騎士はいない。私が剣誓の儀を開けなかったとしたら、また、私がそこで王となれなかったら、それは私の運命でしかない。それでも騎士団がある限り、この国にはまだ希望が残る」


 そう言ってクリシュナは微笑んだ。


 騎士たちの心服は明らかだった。中にはクリシュナの言葉に涙を流している者さえいた。私は、クリシュナの近侍としてこの場にいるということが嬉しく、誇らしかった。


「しかし何故、王都へ向かわないのです?」


 そこへ話を戻したのはガゼルだった。


「戦いがまだ終わっていないからさ」


 クリシュナは平然とそう言った。「エキドナルとは終わった。領土の境界も定まった。それに、しばらくは王位を狙うシュライザルドによる国内の混乱で何もできまい。だが、エキドナルと結んでアイステリアを攻めたラテをこのまま許す訳にはいかない。ラテとも戦後を取り決める約定を結んで初めて、この戦争は終わったと言える」


「では、ラテを攻めるのですか」


「滅ぼす間際まで追い詰める。それはそう難しいことではない」


 その場にいた騎士たちが、まさか、と目を見開いた。


 クリシュナは王となることよりも、アイステリアという国の対外関係の行く末を定めることを優先しようとしていた。そして、その戦いで負けることなど微塵も考えていなかった。


「失礼ながら、そのような軽挙は慎むべきかと思います」


 騎士ブランジールが諫言した。「ラテ軍は先日、殿下が一軍を討ち果たしました。それで十分、アイステリアを警戒するでしょう。この長い戦争で国内の混乱は並々ならぬものとなっております。外征より国内の安定を急ぐべきだと考えます」


 それはもっともな意見であった。ブランジールの言葉は、他の騎士たちの気持ちを代弁したとも言える。とにかく、クリシュナに王位についてもらい、国内をまとめることが急務であると、騎士たちは考えていた。それが、王不在というこの国を、混乱の中、ずっと支えてきた騎士たちにとって、もっとも重要なことだった。


 しかし、クリシュナは冷静に反論した。


「国内のことを言えば、エキドナル軍の撤退で、一応の安全は確保できた。


 ナント地方、サルサ地方はすでに我が軍の勢力下にあって、大きな問題はもはやない。王都のあるアリア地方は、エキドナルと接しておらず、他の二地方と比べてもともと混乱の度合は低い。


 民の立場から考えれば、現状はとりあえず生死の境という問題を脱している」


 確かにその通りだった。山賊、盗賊の類がいないわけではないが、町の中にいれば十分に自衛できるはずである。


「内政は確かに憂慮すべき状態にある。


 しかし、王都の軍と我が軍の戦力差は明らかで、王都の軍は我が軍と対決できる戦力をもっていない。それは同時に、政策の実行力に欠けるということでもある。


 どのような悪政も王都とその周囲わずかなところまでしか及ぶまい。実際には、我が軍を怖れて王都の守備ばかりに力を入れて、政策決定は難しいだろう」


「しかし、謀略で命を狙われる可能性がありますな」


 ガゼルが言った。それは王家に仕える騎士たちが言いたくとも言えない一言だった。


「もし、私が義母上から狙われているというなら、その力が及ぶ王都より、ラテという外国の方が安全になる。


 それに、ラテを攻める意義は大きい。


 戦争は始めたからには終わらせなければならないが、我が国を攻めたラテはまるで戦争など何もなかったかのように考え、またすぐに不用意な出兵を企むかもしれない。


 賠償や領土の割譲など、どのような約定であれ、はっきりした終戦の形をつくると同時に、ラテが二度と我が国に逆らわないようにしなければならない。


 ブランジール、私は間違っているか?」


「間違っているとは思いませぬ。しかし、ラテ軍はまだ二百を超える兵を集めることができましょう。我々のように、国土、国民が疲弊してはおりません。それなのに、戦えば楽に勝てる、と考えていらっしゃいませんか」


 クリシュナに問われたブランジールは重ねて諫言した。


「油断は戒めるとしよう。だが、そう心配するな。この近辺の諸国に、私が負けるような武将は今のところ見当たらないから」


「どこを戒めておられることやら」


 ブランジールは苦笑したが、ようやくラテへの進軍に賛意を示した。














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