第8話 移動する町


 朝食の後、すぐに一団は本陣へ向かった。家族と、残りの部隊が待っている。私もその中に加わっていた。私は、他の者よりもクリシュナの近くに呼ばれていた。


 新参者が首領の近くに呼ばれるなどということに嫉妬されても困ると思ったがその心配はなかった。


 クリシュナ自身が呼んだのではなく、周囲の者がそうしたようだ。


 双子を除けばこの一団の者はみなクリシュナと十は歳が離れており、みな、若い指揮官を崇拝していたが、それとは別にその関わり方に悩んでいたらしい。


 そこで、歳が近い上に少し若い私が、クリシュナにとってもっとも親しみやすいのではないか、と考えたようだ。私は戦闘員ではないが、クリシュナの近従としてそばにいることになった。


 夕方には本陣との合流ができた。


 そこに集まった人間の数を見て、私は本当に驚いた。


 ナント地方にはいくつか町があるが、これほどの人口の町はないだろうと思った。そしてこれだけの数の人間が拠っているのはクリシュナの私財だということも驚きだった。いったいどれほどの財産を有していれば町よりも大きなものを一人で世話ができるというのか。


 ここにはナント地方最大の町があった。そしてそれは移動する町だった。


 ここに集まっていない者も、話には聞いているだろう。


 クリシュナの軍はナント地方を平定していると言えた。


 それぞれの家族が帰還した者を出迎えた。再会を心から喜び合っている。中には家族がいない者もいたが、その者たちも顔が穏やかに見えた。家族がいなくともここが家なのである。


 その中で一つ、戸惑っている家族がいた。母と幼子たちが三人で立ち尽くしていた。レソトに残った男の家族だと直感した。クリシュナが直接近付いて声をかけ、男の言葉をその妻に静かに伝えた。そして、ここに残ってもレソトに向かってもよい、と告げた。


 左右それぞれに幼子の手を握りながら、母たるその女はうめくように、ここに残ります、と答えた。


 クリシュナが困ったことがあれば遠慮をせずに、と言うと、女は、ここにいて困ったことがありませんから、と答えた。弱々しく笑っていたが、その目に決意が溢れていた。私は自然と母のことを思い出していた。


 次にクリシュナは、私と、レソトで新しく加わった家族を、全員に紹介した。


 みな温かく受け入れてくれた。


 新参者だと蔑む者は一人もいなかった。何故だろうと少し考え、一つの答えを見つけた。


 みな、戦乱と戦災の苦しみや悲しみでつながっていて、ここの安息に満たされているからではないか。この国に長く続く戦乱は、民の心根につながるものを育んでいたのではないか。そしてそれは、クリシュナという目に見える大きな存在によって結集し、大きな力となっていくのではないか。








 その夜、私は眠れずに星を見上げた。


 小さな子どもだった頃を思い返していた。父は、いつの間にかいなくなった。徴兵で連れて行かれたのだ。母は一人で農作業を続け、私を育てていた。そして絵師に会い、絵や他のいろいろなことを学んだ。やがて妹が生まれ、母はますます忙しくなった。隣家と協力し合っていたが、どこも男手はなかった。軍がやってきて山に隠れたこともある。戻ると家も納屋も焼かれ、畑は荒らされていた。絵ばかり描いていた私が、それ以降畑作業を手伝うようになった。


 何年か経って、隣村で徴兵と徴発が行なわれ、少年でも連れて行かれたという話が私の村にも伝わってきた。村人は自分たちで立て直した家や納屋に火をつけ、少ない食糧を運び込んだ山に隠れた。滅んだ村に見せかけようとしたのだ。


 そして、私と同じ年頃の少年を村から逃がした。みな散り散りに逃げた。思えば、食べ盛りの少年たちを養うだけの食糧は山になかった。


 私はいくつかの絵の道具を握って走った。山や森を抜け、街道からは身を隠した。獣のおそろしさよりも、軍のおそろしさの方が上だと感じていた。そしてレソトの近くに辿り着いた。レソトの町はアイステリア国を離れ、それなのにエキドナル軍と戦っていた。私を捕らえようとするアイステリア軍はレソトに近付かなかった。エキドナル軍がいたからである。


 母や妹は無事だろうか。山に隠れて、今まで見つかったことはない。おそらく無事だろう。そして焼いた村にまた戻ったのだろうか。


 村を出て、既に二ヶ月が過ぎていた。よく生き抜いていられたと思う。草、花、根、茸、木の実などで食いつないだ。思えば、クリシュナと双子に連れ去られた時、あの死を覚悟した時に、本当に久しぶりに食事と呼べるものを食べたのだ。死を感じた時、まったく逆の生に満たされた。幸運だったとしか考えられない。


 ああ、ここに母と妹を呼び寄せられないものだろうか。その実現に必要なことを考えてみたが、具体的に実現できそうな手段は見当たらなかった。母と妹の居所どころか生死すら分からない。生きているとは信じているが。


 今はここで、何か、自分の役割を果たそう。


 そう決心して私は木炭と木板を手にした。とにかく、自分の目で見て、感じたことを次々と絵にしていった。どれくらい描き続きたのだろうか、木板がなくなったところで、私は眠った。気が済むまで描いたからだろうか、ぐっすりと眠ることができた。








 翌朝、双子が私を起こした。訓練に参加しろ、と言う。私は戦えない、と答えた。しかし双子は笑って、戦うのではない、と応じた。自分の身を守るのだ、と。


 訓練は昨日見たよりも盛大だった。ここには全軍がそろっているのだ。剣も槍も知らない私は、無我夢中で棒を振るった。何度もその棒は打ち落とされ、ガゼルやロナーが戦い方について助言してくれた。そしてクリシュナが来ると、集団の訓練に移った。


 私は、どの一団に加わればよいのか分からなかったが、どこにも加わらずにいてよいと言われた。その代わり、手の空いたガゼルとロナーに、一人の戦いを叩き込まれた。汗をかき、目が回った。そして腕が上がらなくなってしまった。仰向けに倒れこんだ私の耳に、一隊から五隊のかけ声がいつまでも響いていた。








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