第2話 出会い



 アイステリア国は北方に位置するエキドナル国と五十年近く戦争を続けていた。


 両国とも国土は荒廃し、人心は王家から離れていた。戦線は押したり引いたり、ほとんど変わらない状況にあった。


 国力はほぼ互角であり、軍事力にも差はなかった。


 自然災害が起こった年には、被害の大きかった国が押されたこともある。また西方のラテ国がどちらかと結んで攻め込むこともあった。八年前にはエキドナル国とラテ国が結んで、アイステリア国領内に侵入し、アイステリア軍が一時大きく後退したこともあった。今はまた、元のこう着状態に戻っていた。




 戦乱は小さな内乱と共にあった。


 両国とも、小規模な一揆は絶えなかったし、町の民衆が蜂起して独立をうったえたこともしばしばあった。


 今、アイステリア国のナント地方で小さな町レソトが独立を叫んでいるが、その町を包囲している軍はエキドナル国の軍だった。


 レソトの民はアイステリアからの自立を叫びながら、アイステリアの敵であるエキドナルと戦っているのであった。


 このような混乱は各地で見られた。








 私は遠く離れた丘の上から、木板に木炭で絵を描いていた。


 題材はレソトの町とエキドナル軍である。




 絵を描いていると不思議なことに気がついた。


 私は遠く離れているのに、外門での攻防を大きくとらえて描いていた。


 絵の中で、レソトの民の瞳は燃え、協力して頑強な抵抗を見せ、エキドナル軍は退いていた。これは私の希望だろうか、と思った。もっともおかしな部分は、レソトの民が町の外壁へ向かってエキドナル軍を攻めているところだった。


 包囲されているレソトの民が、包囲の外から攻撃できるはずがない。また、この距離からそのような姿が目視できるはずはなかった。


 それなのに私の手は自然とそのような絵を描きあげていた。


 実際には、もう二ヶ月もエキドナル軍の包囲は続いていたが、レソトの町は抵抗を続けており、どちらも疲弊し、勝者も敗者もなかった。


 ただ、レソトとエキドナルの圧倒的な数の差は、レソトの暗い未来を感じさせた。




 私はアイステリアに生まれ、アイステリアに育ったが、アイステリア国の民である、と感じたことはなかった。


 この国は今まで私に何の恩恵も与えてはくれなかった。


 私だけではない。


 レソトの民にももちろん何の恩恵も与えていない。


 そしてそれは、エキドナルの民に対するエキドナル国も同じなのではないかと感じていた。




 レソトの戦いには勝者も敗者もなかったが、私の絵にはレソトの民の勝利が描かれていた。


 それは同胞であるレソトの民に対する私の希望が表出したものなのだろうか。


 いや、同胞という意識が我々には希薄であるし、この絵で敵兵が退却しているからといってレソトの勝利を意味するものでもない。


 心のどこかでレソトの勝利を願っているが、それは同胞だからというより、いち庶民としての願いに他ならないと結論付けた。


 しかし、自分の命を賭してレソトの民と共に戦おう、という気概はもち合わせていなかった。


 私はただ絵を描いているだけである。


 絵を描きながらそんなことを考える私は、すでに十五歳となっていた。








 突風が吹いた。


 風の音に驚いた私がふと振り返ると、背後から長身の青年が私の絵をのぞきこんでいた。


 背が高い。


 しかし、大きいというより、「長い」という表現が適切に思えた。


 その青年は痩身だった。長身で、痩身である。




 その絵は。




 青年の声は思ったよりも低かった。


 歳は私よりも上だが、それほど離れていない気がした。


 青年は言葉を続けた。「あそこの、レソトの町の絵なのか」


「たぶん、そうだと思う」




 たぶん?




 青年は不思議そうに首をかしげた。


「自分で描いた絵なのに、どこを描いたのか分からないとは奇妙なことだな」


 私もその不思議さに気付いていた。




 この絵は間違いなく私の手が描いたものだが、描かれている内容は見たことのあるものではなく、ここから見えるものでもない。


 私の手が描いたが、私が描いたようには思えなかったのである。


 しかし、この絵に描かれているものは私の希望に添うものであり、その意味では私が描いたと言えなくもない。




 私は正直にそういった内容を青年に告げた。


「おもしろい問答だ」


 青年は微笑んだ。


「君は見えないものを描くというのか」


「よく、分からない」


 私はあいまいに笑った。「ただ、描きたいものを描いていただけだ」


 それ以上、青年は何も言わなかった。








 しばらくすると少年が二人現れた。


 十歳くらいだろうか。二人とも、まったく同じ顔立ちをしている。体格も同じである。まったく見分けがつかなかった。


 兄弟ではない、双子だ。よく似ている。


 双子は珍しい存在だった。


 通常、双子として生まれた場合、余程裕福でない限り、長くは生きられない。


 もともと生まれた時点で体が小さい上に、二人分の栄養を与えることができる家庭はほとんどないだろう。




 私は初めて双子というものを見た。


 新しい木板を取り出すと、夢中になって双子の少年を描いた。




 腰のところを描きながら、やっと気付いた。


 二人とも腰に剣をさしている。


 少年に合わせたもののようで、一般的な物よりも短い剣ではないかと思った。


 剣をまともに見たことはなかったが、直感がそう教えてくれた。




 なぜ少年が剣をもっているのだろう、と考えてすぐ自分自身の間抜けさに気付いた。


 ここは戦場ではないか。


 そして剣を帯びた者がいるとすれば、たとえ少年であっても軍に関わりのある者である。




 しまった、エキドナル軍の手の者か。


 包囲されているレソトの民であるはずがない。


 ここは包囲の外なのだから。




 ふと私は青年を振り返った。


 青年の表情には何の動揺も見られない。


 それは青年と私の立場の違いを如実にあらわしていた。


 青年は少年たちの仲間、すなわちエキドナルの手の者なのだろう。








「クリシュナ」


 右の少年が青年に声をかけた。「この男をどうするつもり?」


 その声の響きから、この少年はどこかおもしろがっている、そんな気がした。


 そして、それは残酷な響き、そう、冷たい音として私の耳に飛び込んできた。


 二人の少年が同時に剣を抜いた。


 刀身が陽光に輝いた気がした。


 こんな子どもに、と思ったが、私は足がすくんでいて、逆に双子は落ち着いていた。


 年齢とは関係なく、双子には私とまったく異なる経験がこれまでの人生にあったのだろう。


 私は生まれて初めて双子に会い、なおかつその双子からそろって剣を突きつけられるという貴重な体験をしていた。


「斥候や探兵にも絵師は多いと習った」


 双子の剣はいつでも私を切り刻んだり、打ち据えたりすることができる至近距離にあった。


 そして、言葉の響きはやはり冷たい。




 何故双子の絵など描いていたのだろう。


 逃げなければならなかったのに。


 絵に、私の人生はすべて絵に狂った。


 そうとしか考えられない。なんという短い人生だ。


 そう思って目を閉じた。










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