Ton.14 娯楽は振り回してなんぼ

 アルフィナは扉を軽くノックした。


「お待たせして申し訳ありません。〈十二騎士〉のアルフィナです。リュシアン・ヴェルブレシェールを連れてまいりました」

「入りたまえ」


 返ってきたのは老人のようにしわがれた声だった。

 許可を得たアルフィナは扉を開くと中に入る。リュシアンも後に続いた。

 取調室にも見えなくない、狭い部屋に男の聖火騎士が幾人か立っている。年齢は、みな五十代ぐらい。刻まれたしわの数は、年相応の苦労の証というより、貫禄めいたものすら感じさせる。

 部屋の中央には、古びた木のテーブルが置いてあった。

 大きめなテーブルの上には、昨夜リュシアンが殺害した男の所持品と思われるものが並んでいる。

 ハンカチ、身分証明書、家の鍵、財布、以下エトセトラ。

 一通りテーブルの上に並べられた私物に、特に目立った点は見当たらない。

 否。リュシアンの視界の端に一つの瓶が目に止まる。

 飲んだくれの男には似合わない可愛らしい小さな香水瓶。それを手にとって蓋を開け、匂いを嗅ぎ、眉をひそめる。


「何か、気づいた点でも?」


 壮年の聖火騎士に声をかけられ、リュシアンは首を横に振った。


「いえ、女性が所持していそうな香水瓶を男性が持っているなんて珍しいな、と思ったのですが、どうやらこれは薬のようですね」


 答えながらリュシアンは瓶の表に貼られたラベルをしっかり記憶した。ラベルには小さな蕾がたくさんついた細長い植物が描かれている。

 ほどなく男の荷物検査が終わり、部屋の外に出たところでリュシアンはアルフィナに耳打ちした。


「アルフィナ、ちょっと……」

「え?」


 リュシアンはアルフィナの腕をつかむとそのまま歩き出した。

 途中、文句のようなものを口にする彼女を、半ば強引にリュシアンが寝泊まりしている部屋まで連れていく。

 部屋にやってきたところで、彼女はリュシアンの腕をばっと振りほどいた。


「もうっ、なんなのよ、一体」

「……アルフィナ。さっきの瓶の中身。多分、あれ麻薬だ」

「なんですって?」


 アルフィナが疑わしげに眉を寄せた。


「確証はねぇけど」

「……よくわかったわね」


 アルフィナの様子は感心というより、不審の方が強い。

 リュシアンはさらっと暴露した。


「昔、寝床確保のために転がり込んだ女の家で、あんな匂いのする麻薬を見た気がする」

「転がり込んだって……、あなたねぇ」


 呆れと苦々しさを混ぜ合わせたような、なんとも形容のしがたい顔のアルフィナが口の端を引きつらせている。


「別に珍しくともなんともねぇだろ。寒さしのぐのに女のところに行くのは日常茶飯事だったし」

「全然日常茶飯事じゃないわよ。よく平然とそんなことを口にできるわね」

「あ、言っとくけど、先に誘ってきたのはあっちだからな。ったく、純情な少年を弄ぼうとしやがって」


 反撃のつもりだろう。アルフィナが嫌味ったらしくせせら笑った。


「……てっきり、あなたのことだから、傷ついたか弱い少年のフリして、震えながら相手にすり寄ったのかと思ったのだけど?」


 リュシアンは素直に驚いた。品行方正のアルフィナがそのようなことを思いつくとは。


「オマエよくわかったなぁ」

「わかりたくなかったわよ!」


 怒っているのか嘆いているのかよくわからない叫びを上げながら、アルフィナは顔面を手で覆った。


「今更あなたの女性遍歴にとやかく言うつもりはないけれど、次にそんな卑猥なことを口にしたら即刻ニンフェア宮殿に閉じ込めて通路の床磨きさせますからね!?」


 リュシアンは大仰に驚いて見せた。


「オマエに監禁趣味があったとは。さすがの俺も驚きだ」

「……なんですって?」


 リュシアンは反射的に両手を上げた。アルフィナはすでに臨戦態勢に入っている。今にも手から飛び出しそうな鎖に注意を向けながら、ちらりとアルフィナを見やる。

 聖火騎士だというのに、悪魔も真っ青になりそうな形相だ。相手が子供なら多分泣いている。

 しばしの硬直状態。

 ややあって、アルフィナがゆっくりと得物を下ろしながら言ってくる。


「でも、あなたさっきの瓶の中身を薬みたいなこと言ってたじゃない」

「薬と毒は紙一重ってな」


 調合方法や使い方次第ではいくらでも薬は毒になるし、逆に少量の毒が薬になることもある。


「まさか、こんなところで手がかりが手に入るなんてね」


 今、十三街区をひっそりと騒がせている事件がある。

 ティアと出会った聖堂でアルフィナがリュシアンに言っていた「例の件」。

 麻薬らしきものを服用した人間が無差別に人を襲い、最後には死亡してしまう、という奇怪な事件だ。

 被害のほとんどは王都の管轄から外れている十三街区で起きていたため、犯人や被害者については深追いはせず、一部の聖火騎士が事件が起こった背景だけを洗っていたのだが、十二街区で被害が出たのが運のつき。


「で、さっきの昨日俺が殺したやつ、身元は割れたのか?」

「ええ。住所がわかるものがあったから、すぐに判明したわ」

「そいつが薬物持ってんなら一気に調査短縮できんだろ」

「そうね、経歴もある程度割れたことですし」


 言いながらアルフィナが胸元のポケットから小さな紙を取り出す。そのまま中身を読み始めた。


「ヴィルヘルム・ヘーゲル。十二街区の外れにある店で、銀細工を売っていた職人よ。商売が繁盛した後、社員の不正がきっかけで信用を失い借金を背負った挙句に会社は倒産。身内からお金を借りて生計を立て直そうとするも、うまくいかずに家庭内暴力沙汰。つい二年ほど前に妻から離婚届を出され離婚したらしいわ。子供が二人いたみたいだけど、両方とも母親が連れて行ったそうよ。現在は酒と賭博に明け暮れた挙句にアルコール依存で精神科に通院中」

「うわぁ、なんだそのお手本みたいな人生の下り坂」

「堕落しているあなたに言われたくないと思うけれど」

「娯楽は振り回してなんぼのもんだろ。酒にしても女にしても賭博にしても、娯楽に振り回されるなんて馬鹿げてる。そうやって人生棒に振るような奴らと一緒にすんな」

「はいはい」


 反論するも、あっさり聞き流されてしまう。


「……ってことは、そいつの痕跡を辿ろうと思えば辿れるのか。となると……アルフィナ、オマエ私服持って来てる?」

「私服? そんなものないわよ」


 リュシアンは文句でもいうように口を尖らせた。


「んだよ。ってことは、俺がやんのかぁ。釣れっかなぁ。見た目、虫も殺せないような儚げな美青年とはいえ、男が引っかかってくれるかどうか微妙だなぁ」

「ちょっと、一体なんの話?」


 部屋から出て行こうとするリュシアンの肩を、アルフィナがつかんで振り向かせる。


「そりゃ、囮作戦。一人で無防備にその薬物について嗅ぎ回ってれば、それを見かねた連中がのこのこやってくるだろ。女なら油断誘えそうだから、囮役を頼もうと思ったんだが、私服持ってないんじゃ仕方ねえな」


 それを聞いたアルフィナは得心がいったようにうなずいた。


「なるほど。そういうことね。それはさすがに聖火隊の制服でやるわけにもいかないわね」

「そういうことだ」

「じゃあ、やはり私が本部から私服持って来て囮になりましょうか?」

「いや、時間が惜しい。このまま俺が探りに入るから、オマエ仮眠でもとっとけ。なんかあった時すぐ動けるようにな。あと目の下」


 とんとん、とリュシアンは自分の目の下を指でさした。


「後で鏡見てみな。せっかくの美人がクマでぶさいくになってるぜ」


 真実を口にしたら殴られた。

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