第19話


 春になったらスゥハと離れる。

 そう思っていたけれど、これからもスゥハとここで一緒に住めることに。

 なんだか嬉しくて僕は浮かれていた。

 スゥハが僕と一緒にいたい、と言ってくれたことも嬉しい。なんだか前よりもスゥハとの距離が縮まったような気がする。


「ねぇ、スゥハー」


 ガチャリと扉を開ける。中からクッションがひとつ飛んでくる。ポフンと顔に当たる。


「着替えてますから! ちょっと待って下さい!」

 

 扉を閉める。うん、ちょっとしか見えなかったけれど、スゥハの下着姿が見れた。白い下着のスゥハ。スゥハの裸が見たいというよりは、見られて恥ずかしがるスゥハのモジモジするところを見たいんだけど。

 しばらく待っていると、いつもの服を着たスゥハが出てくる。じとっとした目で僕を見る。


「……ユノン様、その、前よりもひどくなってませんか?」

「そう? ……うん、前よりも遠慮しようって気が無くなってきたかも。スゥハ、僕と一緒に着替えるとかどう?」

「ダメです」


 顔を赤くして、もう、ユノン様は、とかブツブツ言ってるスゥハ。うん、いい、かわいい。スゥハの恥ずかしがるところを見ると、もっといろいろとしたくなってしまう。


「ユノン様、もう来てるんじゃないんですか?」

「そうだった。スゥハを呼びに来たんだった」


 大樹の扉を開けて外に出る。玄関からの石の階段の下。そこにフイルと魔狼の一族が集まっている。

 トントンと石の階段を降りてフイルの前に。


「お待たせ」

「うむ、で、話とは?」


 スゥハが魔狼の皆に話がある、ということで集まってもらった。スゥハがその背中に乗れる大きさの白い狼の集団が、ぐるりとスゥハを囲む。スゥハは輪の真ん中に座って、コホンと咳払い。


「村の者から、魔狼にお礼があります」


 キョトンとする魔狼達。長のフイルがパチパチ瞬きして、代表して。


「なぜ、人が魔狼に礼など?」

「春となり、村の者が森に入るようになりました。そして来魔クマが少なくなり、森の危険が減ったと猟師が言ってます。それで森の中の野草を取るにも、鳥や狐を獲るにも少し奥にいけるようになったと」

「ここのクマは美味いからな」

来魔クマと猪が少なくなれば、村の畑の被害も少なくなるのではないか。また、魔狼がその領域を木にキズをつけて教えてくれるので、分かりやすく有り難いと」

「人が我らの領域に踏み込まねば、それでいい」

「それで、村の者から魔狼に何か捧げ物が必要なのでは? と村長が言い出しまして」


 フイルが不思議そうに首を傾ける。その目が僕を見る。うん、僕もそう言われたんだよね。


「スゥハが村の人と話をして、なんだか、僕と魔狼が村を守ってる、みたいなことになってるらしいよ」

「我らとユノンが?」


 スゥハが説明してくれる。


「ユノン様から頂いた野菜の酢浸けに薬。お陰でこの冬、村の餓死者がいませんでした。その上、金属の農具に道具と授かり、村からユノン様に何か貢ぎ物をせねば、という話も出ましたが」

「僕はそういうのいらないから。人と馴れ合うのも良くないし」

「村から娘をユノン様に捧げては? と言う人もいましたが、生け贄は私ひとりで充分と断りました。ドラゴンと魔狼の領域には決して踏み込まぬことを、村の人に約束してもらっています」

「僕の方は、スゥハが献身的に僕の為に働いてくれているってことで、その僕からの褒美をスゥハが村に持っていってる、ということになってる」

「ドラゴンのユノン様の友人である魔狼が、来魔クマを狩ってくれるので、村は守られ助かっています。そのお礼はどうすれば良いのでしょうか?」

「ふうむ……」


 フイルは空を見上げて考えている。というか戸惑っている? 魔狼も互いに顔を見合わせてキョトンとしている。フイルにとっても、僕たちが人の村の守り神みたいになってるなんて、なにそれ? って感じだよね。僕はスゥハが喜んでくれればいいけれど、それで村の人と鬱陶しい付き合いとかは、するつもりは無いし。


「人を守る為にクマを狩っているわけでは無いのだが。なので礼など不要」


 フイルは顔を下ろしてスゥハを見る。


「我らは森で生き、人は村で生きる。互いにその領域を犯さねばいい。我らがクマを狩り、それを人が喜んだところで、互いに目的は違うものだろう。我からの望みはひとつ」

「なんでしょう? 魔狼の長フイル様」

「スゥハが人とユノンの垣根となるのならば、スゥハにはユノンの友である我らと人の垣根ともなってもらいたい」

「もとよりそのつもりです。それがドラゴンの聖女となった私の務めですから」


 フイルはまたもや目をパチクリと。


「スゥハが、ドラゴンの聖女?」

「あの、はい、村ではそういうことになってしまって……」


 俯いてちっちゃくなるスゥハ。僕も最初に聞いたときは、なんで? と思ったけれど。


「村の中で唯一、ユノン様に仕えユノン様と話のできる私が、ドラゴンの聖女、ということになってしまいました……」

「ふむ、人から見ると、そういうことになるのか」


 フイルが僕とスウハを交互に見る。まぁ、あの村から見れば、スゥハは白いドラゴンを大人しくさせて、ドラゴンの作った薬とか野菜の酢浸けとか干肉とか農具を持ってくる、もと僕への生け贄の女の子、だから。ドラゴンの聖女、なんて崇められたりもするのかな?


 スゥハは軽く深呼吸して、コホンと咳払い。


「魔狼の皆さんに伝えておく話があります。この冬、私の村はユノン様の恵みがもたらされました。そのことで村の者は喜び感謝しています。ですが、国の徴税逃れに隠れた村であっても、他の村とも付き合いがあります。そのことで、人が森を騒がせることになるかもしれません」

「ふむ、スゥハ、詳しく、分かりやすく言って欲しい」

「はい、私の村の者はユノン様の領域にも魔狼の領域にも入ることは無いでしょう。ですが、噂を聞いた他の村の者が来るかもしれません。ドラゴンの財宝や、万病に効くというドラゴンの角を求める者が」

「なるほど」


 人と言えばドラゴンから逃げるか、ドラゴンを討伐しようってなるからね。僕がいるって噂がひろまったらまた、ドラゴン討伐隊とか来るかもしれない。


「そういう不心得者は、我らの好きにさせてもらおう」

「はい、それこそ自業自得でしょう。ですが、魔狼の皆さんの迷惑にならぬよう、話が通じれば私が追い返します」


 スゥハがサパッと言う。僕は面倒はイヤだけど、それでスゥハに危ないことはして欲しくは無いんだけどな。


「それと、村の者はこれから畑を広くする為に森を切り開くつもりです。ユノン様から頂いた金属の農具で、畑を大きくしようかと。もちろん魔狼の領域の反対側へ、ですが」

「ふむ、それは好きにすればいいが」

「その為に森を騒がせてしまいます。前もってフイル様には伝えておかねばと。村の者が畑を広げることを許して下さいますか?」

「人の領域のことまで口を出す気は無い」

「フイル様の言葉は村に伝えます。ソルガムの畑が広がれば、魔狼の皆さんにソルガムで作ったパンケーキなど捧げることもできるでしょう」


 パンケーキ、と聞いてザワリとする魔狼の面々。すっかりスゥハのお菓子のとりこ? フイルは、そうか、と言って、


「我らを怖れて人の領域へと逃げるクマや猪がいるかもしれん。人には、それに気をつけろ、と伝えておくといい」

「はい、わかりました」

「しかし、人の方から、森を騒がせるからと予め断りを入れるとは、はじめてのことだ。なにやら妙な気分だ」


 フイルもそう思う?

 スゥハがドラゴンの聖女なんて呼ばれて、僕と人の村の間に立って、奇妙な関係ができたみたい。

 スゥハが立ち上がる。


「フイル様、魔狼の皆さん、お話は以上です。今、クッキーを持って来ますので少しお待ち下さい」


 と言ってスタスタと大樹の家の台所に向かう。クッキー、と聞いた魔狼は目をキラーンとさせて尻尾をわさわさと振っている。

 フイルは、やれやれ、と呟きながらこっちに来る。


「スゥハがドラゴンの聖女とか、妙なことになっているようだ」

「人の村のことは分からないけどね。なんだか僕たちが崇められてるみたいだ」

「森の主とは崇められるか敵となるか、と極端になるらしい」

「あの村の人はこっちに来ないだろうけど、僕がヘンな噂になるのはやだなあ。またドラゴン討伐隊とか、ドラゴンの財宝狙いの妙なのが来たりとか」

「人の娘と共に住むドラゴンとなれば、変わり者と噂になるのも仕方無いのかもしれんな」

「……君たちも僕のこと言えないんじゃない?」


 僕とフイルの見ている前には、大皿に山盛りのクッキーを持ってくるスゥハ。待ちきれないとスゥハを囲む魔狼。スゥハは魔狼の数を数えて、ひとりあたりの枚数を決めて、順番に魔狼の口にクッキーを運ぶ。尻尾をぶんぶん振ってスゥハに群がる魔狼。音を立ててクッキーを食べる魔狼。アーンと口を開けた魔狼。その口の中にニコニコ笑顔でクッキーを持った手を入れるスゥハ。


「すっかりスゥハに飼い慣らされてない?」

「いいや、対等な関係だ」


 フイルはしれっとした顔で言う。


 僕とスゥハがどんな噂で人に伝わっているのかわからない。ドラゴンに仕えるドラゴンの聖女。いったいどんな話になっているのやら。


 だけど、その噂を聞きつけたのか、僕とスゥハの住む家に来客が訪れた。

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