第10話


 スゥハにパンチされた。


 あ、お、おおおおおおおお。

 なんだこの激痛は? 下腹から内臓へと異物が潜り込んでくるような、名状しがたき激痛は? 痛い、痛いというか、痛い。

 ふー、ふー、ふー、ふー、

 うずくまって手で股間を押さえる。丸めた尻尾を被せてその尻尾を太股で挟む。

 そのまま胎児のように丸まって、僕は痙攣している。

 ピクリとも動けない。痛くて涙が出る。

 拳ひとつで僕を沈めるなんて、凄いよスゥハ。


 ドラゴンは性器を体内にしまえる。弱点を露出したままになんてしない。必要の無いときは身体の中に隠している。

 人間は違う。こんなに痛みに弱い部位が常に露出している。

 弱点が常に身体の外にぶら下がっている。

 そうか、それで服が必要なのか。

 だけどこんなに痛いなんて。今まで感じたことの無い種類の激痛に、精神が集中できなくて治癒魔法も使えない。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ユノン様、ごめんなさい!」


 スゥハが必死に謝っているけど返事もできない。

 ふー、ふー、ふー、


 ドラゴンも油断すれば人に討たれる。生物としてその強さと頑健さに自負のあるドラゴンが人に倒されるとき、そこには油断がある。まさかこの僕がここまでのダメージを受けるだなんて。

 なんとか意識を集中。


 治癒魔法『鎮痛』


 よし、ようやく名状しがたき激痛がおさまってきた。足の感覚が戻ってきた。


「ユノン様! しっかりしてください! ユノン様!」


 横目でスゥハを見るとボロボロ泣いていた。スゥハも僕がこうなるとは予想外だったみたいだ。

 僕は地面に手をついてヨロヨロと身を起こす。


「泣かないでスゥハ。少し休めば、大丈夫だから」

「ユノン様、申し訳ありません……」


 スゥハは地面に平伏して額を地面につけている。


「主人に手を上げるなど、許されません。いかようにも罰してください」


 スゥハにここまで謝られると、なぜか僕が悪いことをした気分になってしまう。

 僕が何をした? スゥハにパンチされた。

 それでなんで僕が罪悪感を感じるんだ?


 平伏してるスゥハの頭に手を置く。スゥハはびくっと身を震わせる。

 そのまま血のような色の暗い赤色の髪を指ですいて、頭を撫でる。


「スゥハ、僕はドラゴンだからこのくらいなんでもないよ。ちょっとびっくりしただけだから」


 そのままよしよしとスゥハの頭を撫でる。


「僕はドラゴンで君は人間だから、いろいろと習慣も考え方も違う。ちょっとしたスレ違いとかもあると思う」

「はい」

「このことで罰とか無いし責めたりしない。スゥハは悪くない。顔を上げて」

「はい」


 スゥハは顔を上げる。その目から涙が流れる。右の黒い瞳から、左の濁った灰色の瞳から。


 スゥハの前で僕はあぐらをかいて座っている。つい防御しようとして、お尻の方から回した尻尾で股間をガードしてしまう。

 その部分が隠れていることに、スゥハは少しホッとしているみたい。


「前から聞きたかったんだけど、スゥハは何がそんなに恥ずかしいの?」

「そんなの、わかりません」

「自分の見られたく無いところを見られて恥ずかしい、というのは理解できる。でも見られてるのは僕で見てるのはスゥハじゃない?」

「そんなに見てません!」

「試してみようか?」


 尻尾を持ち上げようとしたら、スゥハは素早く自分の毛皮のチョッキを脱いで、僕の腰の上にバッと被せる。


「素早いねスゥハ。いい動きだ」

「はー、はー、私をからかっているんですか?」

「ここを隠して見せないようにしとけばいいの?」

「いえ、できれば、あまり肌を見せないようにしてもらえると」

「うーん。ドラゴンのときは素っ裸なんだよ? そっちは大丈夫なんだよね?」

「だって、そっちのときは男の人じゃ無いし」

「人間の男の裸がダメってこと?」

「他の男の人でもこんなにならないんじゃないかと、ユノン様だから」

「僕だから?」

「あの、はい、たぶん」


 ふうん?


 他の人間の男ではそこまで恥ずかしくはならない。僕の裸を見ると恥ずかしい。

 事前に察知できれば逃げる。逃げるのが難しいときは目をそらす。いきなり目の前にあるとパンチする。

 でもきっと嫌いじゃない、んじゃないかな?

 今だってうつむき気味だけど、スゥハの視線はチラッチラッと僕の肩とか胸とか腹とか膝とか腰の上に置いた毛皮のチョッキとか見てるし。


「スゥハ、一応念のために聞きたいんだけど、僕が人間に変化した姿は他の人間の男とどこか違うところある? 今の角と尻尾以外で。そんなに違いはないはずなんだけど」

「え? ぜんぜん違いますよ?」

「あれえ? そうなの? 変化魔法失敗してたの?」


 それがスゥハが僕の裸を見て反応しすぎる原因か? 上手くできたと思ってたんだけど。


「どこが違う? 分かればなおせるから。肌とかは?」

「真っ白で、女の私より白くてまるで透き通るような綺麗な肌です」

「これくらいの白さの人間ならいると思ったんだけど。顔は? 目と鼻と口の位置は人間の顔とそんなに違いは無いよね? 昔に見た人間の顔とか参考にしてきっちりとしてるはずなんだけど」

「ユノン様! 近いです!近いです!」

「あ、ごめん。で、どうなの?」

「もしかして、きっちりしようとして整えすぎたのではないですか?」

「どういうこと?」

「ユノン様の顔はとても綺麗な顔です。まるで一流の彫刻家が造り上げた女神像のようです。白い髪は不思議な光沢があって神秘的です。髪は長いので女性と間違われるのではないでしょうか。顔立ちも一見して男か女か分からない中性的な魅力があります」

「うわ、整えすぎて人間に見えないってこと? それだと人のふりして村とか町とか潜り込むのは無理か。そんな視点は想定外だ」

「いえ、人に見えます。村にも町にも行けます。ただすれ違う人がみんな振り返るような美形で注目されることになるのではないか、と」


 できが良すぎることも問題になるのか、失敗になることもあるのか。むー、勉強になった。


「つまり、僕の裸も他の人間の男とは違うとこがあって、それがスゥハが気になるとこなのか」

「あの、私、男の人の裸をジロジロ見たことなんてありませんから。他の男の人とユノン様の違いとか、わかりませんから」

「そうなの?」

「そうです」

「スゥハから見て、僕はどう?」

「どう、とは?」

「さっきも言ったけど、この姿が怖いとか気持ち悪いとかあればもとの姿、角と尻尾が無い人間型に戻すけど」

「怖くは無いですし、気持ち悪くも無いです。むしろ、いえ、ユノン様の過ごしやすい姿でいてください。私のことなど気にすることはありません」

「そうなの? それならこの姿で素っ裸でいようかな」

「すぱ? あの、すいません。その、できれば服を着てもらえるとありがたい、です」

「んー、分かった。だけど服がね。あの貫頭衣を着ようとしたら角がひっかかって破れそうになったんだ」

「そういうことだったんですね。わかりました。前合わせで着れる服を作ります」

「そうしてくれる? それとあとは尻尾だね。尻尾を出せるようにしてほしい」


 尻尾を見せようと立ち上がってスゥハにお尻を向ける。


「わ、わかりました。尻尾が出せるズボンですね」

「人間には尻尾はついてないからね。ちゃんと尻尾出しズボンが作れるようによく見ておいたらいいんじゃない?」


 スゥハにお尻と尻尾のつけねが良く見えるように、お尻を軽くつき出す。


「ユノン様! 大丈夫です。大丈夫ですから。そんなに見なくても作れます! なんとかなりますから!」


 わたわたと手を振ってるスゥハを見てると、また胸の中からモワンとなにかが溢れてくる。

 赤くなった顔を背けてパタパタ手を振るスゥハを見てると、なんだか楽しい。スゥハかわいい。

 調子にのってお尻をつきだしたら、スゥハの右手が僕のお尻にピトッと触れた。


「ひうっ」


 スゥハは息を飲んで硬直する。僕はお尻をつきだしたまま上半身を捻ってスゥハと目を合わせる。


「……ユノン様。なんで、楽しそうなんですか?」

「楽しそう? 僕が? ……うん、ちょっと楽しい、ような気がする」


 そのまま尻尾を持ち上げて、お尻と尻尾の境目をスゥハに見せようとすると、スゥハは僕のお尻から手を離して振り上げて、


「ばかあぁぁ!」


 僕のお尻をペチーンとひっぱたいて立ち上がり、凄い速さで走っていく。


「スゥハ?」


 スゥハは大樹に上る階段を駆け上がって、大樹寝室に飛び込むように姿を消した。扉が閉まる音がバンと大きく響く。


 追いかけて階段を上る。扉を開けようとしても開かない。二重にした外扉は開いても内扉が開かない。どうやら中から閂をかけられてしまったみたい。


「スゥハ? ちょっと開けてくれない? 話あってみない? ねぇ、スゥハー」


 扉をノックしても応えが無い。


 その日一日スゥハは大樹寝室に閉じ籠ったまま出て来なかった。何度呼び掛けても一言も返事をしてくれなかった。

 スゥハが僕の言うことに応えてくれないなんて。

 これは、どうしよう?

 人間とドラゴン、異なる種族のコミュニケーションって難しい。

 お尻を見るとスゥハの手形が赤くなって残っていた。


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