方法その1 毒殺

 うるさい犬に黙れと言うことは出来ても、実際に黙らせることは出来ない。不本意だが、毒殺することにした。


 犬を中毒死させることができるものは多々あるが、最も手に入りやすく人間に安全で素人にも扱いやすいものはスーパーマーケットで購入することが可能だ。タマネギやチョコレートである。


 犬にタマネギを食べさせると、タマネギに含まれる有機チオ硫酸化合物により赤血球が破壊され、溶血性貧血を引き起こして死亡する。また、柴犬はタマネギに強い感受性を持つとされている。※1つまり少量でも死に至ることが期待できる。これは有効である。


 チョコレートに含まれるテオブロミンというカフェインと似た物質は犬の体内で大脳や呼吸器、心臓や筋肉に強い興奮作用を持ち、重症例では昏睡から死に至る。※2


 タマネギもチョコレートも一般家庭に存在していて何ら不思議のないことから、食べさせても毒を盛られたと考えずに誤食と判断されることが期待できる。そもそも死因を追及されなければそれが一番良いに決まっているが、仮に死因が判明したとしても事故と判断されて終わるのは好都合である。


 こうして完璧な作戦を考えている間にも、隣家の犬は吠え続けている。


許さない。


 タマネギとチョコレート、どちらにしようか…などという生ぬるいことは考えない。両方与える。相乗効果をもたらすわけではないが互いの作用を打ち消し合うわけでもないし、そもそも既に両方買ってあるのだ。


 だが、そのままポイと渡しても、はいそうですかと食べるはずはない。犬が食べやすいように加工することにした。


 まずはタマネギ半分をみじん切りにする。涙が出てくるが、犬を黙らせるためなら耐えられる。フライパンにバターを一欠片入れて弱火で溶かし、タマネギのみじん切りを加え、塩コショウを振って弱火でじっくり飴色になるまで炒めて粗熱をとる。

 有機チオ硫酸化合物は熱を加えても分解されないので、犬に対する毒性は残ったままだ。加熱することは何ら問題とならない。


 カカオ成分の多いブラックチョコレート約150g、板チョコ3枚を刻んで金属のボウルに入れる。鍋で沸騰させた生クリーム70mLを一気にチョコレートの入ったボウルに流し込む。55℃のお湯にボウルを浸して泡立て器で手早く混ぜ、ガナッシュとした。 ※3


 粗熱をとったタマネギと冷ましたガナッシュを和え、十分に冷ましたものを直径2.5cmの球状に成型し、冷蔵庫で固めた。先の分量で作成した場合、タマネギ入りのトリュフのようなものが約20個出来る。※4

 お菓子として作る場合はこの後コーティングという工程があるが、犬に食べさせるのにそこまでする必要はないと考え、省略した。


 さて、このような手順を踏んだことには意味がある。


 生タマネギの香りや味の刺激は犬に強烈な不快感を誘起する。そもそも食べない、口にしてもすぐ吐き出す、または飲み込んでも胃粘膜を刺激して嘔吐する恐れがある。物を吐くという行為は毒物が体内に吸収される前に排出するためのメカニズムであり、これは自然な反応である。

 毒を用意しても、体に入れて吸収させることが出来なければ意味がないのだ。タマネギの加熱調理は刺激を消すために必要な行為であった。


 チョコレートについても、硬い板チョコのままでは食べない可能性があった。バリバリ食べる犬もいるかもしれないが、柔らかく仕上げることで食べやすくなり量を食べさせることが可能と考えられた。

なにより、あらかじめタマネギと混ぜておくことで現場での手間が省ける。


─はいこれタマネギね、こっちはチョコレート


…などと現場でやっている暇はないので、事前に混ぜておくことが望ましかった。さらに、ペースト状のままではなく球状に丸めておくことで、取り扱いが格段に楽になる。


 念には念を入れて準備を整え、出来ることは事前に済ませて現場での作業や工程を極力少なく抑えて手早く行うことは、犬を黙らせることに限らず現場作業の鉄則である。


 こうして、対犬毒チョコが完成した。試しに1つ食べてみる。


これは美味い。


 塩コショウの効いたタマネギの甘味を紳士のように優しく包み込むブラックチョコレートの風味。塩気が甘味を引き立て、そして全体の味を引き締め、メリハリが効いている。ガナッシュはなめらかに仕立てあげられ、口の中でとろけていく。

 惜しむらくはタマネギがしんなりしているため、食感があまり良くない。次に作る時は、粗めに切ってフライドオニオンにすることで、クリスピーな食感が得られると思われた。


 対犬毒チョコと銘打ちはしたが、これは猫にも有害であり、それは良く承知している。


「あぶいよ※5、君にはあげないよ」


 そして人目につかない夜、常に吠えている犬の元へと持ってゆく。普段は吠えて吠えてうるさい犬だが、いざ対峙してみるとグルルルと、今にも飛びかかってきそうな唸り声を上げている。これはなかなか迫力がある。


 犬は、狂犬病予防法によって自治体への登録と狂犬病の予防接種が必要となっている。同法第四条第一項に基づいて自治体への届出が義務づけられ、第二項の規定によって発行された鑑札を、同第三項によって犬に常に着けておかなくてはならない。

 そして同法第五条により、予防接種を受けさせるとともに、発行された注射済票を犬に着けておかなくてはならない。なお、これらの措置を怠った場合は第二十七条第一項及び第二項により、20万円以下の罰金が課せられる。


 果たしてこの家の主は狂犬病予防法に従い登録と予防接種を済ませているのか。登録はいい、どうでもいい。だが狂犬病の予防接種は重要である。

 万が一にも噛まれ、狂犬病を発症してしまった場合は致死率ほぼ100%である。毎年世界で5万人が死亡しているが、実験的治療法によってこれまで6人のみ、生還している。※6


 生還例があるとはいえ、このような病気に罹患するのは望ましくない。暴露後ワクチンという、狂犬病の犬に噛まれたあとからワクチンを接種して発症を防ぐという治療法もあるが、そもそも感染しないことが重要である。


 鑑札と注射済票を確認したいが、薄暗くて見えない。そもそも法に基づいて装着しているかどうかよくわからない。


 噛まれなければ良いという結論に達する。ここで引き返すわけにはいかない。


 さて、唸る犬をよく観察してみると、耳が寝ている。これは、怖がっているサインと考えられる。

なかなか可愛いところもあるが、それでも許さない。


毒チョコを1つ放り投げる。


食べない。

興味も示さない。


 一つ一つ投げ方や投げる位置を変えつつ放り込んでいくが、犬は臨戦態勢を崩さない。

 どうやら犬のターゲットは自分に絞られているようだ。恐怖で唸る動物は、ふとスイッチが入れば一気に攻撃に転じる。

「戦うか逃げるか」という身体反応である。


身の危険を感じる。


今回はこの辺で勘弁してやるか。



─資料─

※1 長谷川動物病院

※2 あいむ動物病院

※3 明治製菓株式会社手づくりChoco Recipe ガナッシュ

※4 明治製菓株式会社手づくりChoco Recipe 基本のトリュフ

※5 著者中 「あぶないよ」ではなく「あぶいよ」で間違いありません

※6 酪農学園大学 狂犬病を発症した患者の奇跡の生還

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