第25話

馬車から降りると、あたりは一面水田だった。

「うわぁ」と感激した声を上げる私の関心を引くように、ライオネル王が私の腕にそっと触れる。


「水田を見たのは初めてではないだろう?」

「そうですが・・ガンザでもここまで広い水田はなかったですし」

「あぁ、そうだったな」

「月並みな言葉しか思い浮かばないのですが、とても見事ですわ」


私たちが互いの目を見合っていたその時、ウルフが「キャンッ!」と一吠えすると、私の腕の中でモソモソと動いた。

どうやら平らで広い土地を見たウルフは、一刻も早く動き回りたくてウズウズしているようだ。


私は屈んでウルフをそっと下ろすと、ウルフはキャンキャン吠えながら、嬉しそうにあたりを駆け始めた。




ここでも、地主であるナイジェル・ウィンチェスター卿、カレン夫人、卿夫妻の息子である、スティーブンとサイモンと彼らの妻たち、そしてこの地で働く民たちから温かい歓迎を受けた私たちは、早々に挨拶を済ませると、早速今回の訪問の目的でもあった、土地と作物の視察を始めた。


「おまえはどう思う?マイ・クイーン」

「そうですね・・・1万㎡をまずは8等分して、今植えている稲の他に、前にも言いましたが、ジャガイモやコーンといった穀物を植えてみてはいかがでしょうか」と私が提案すると、視察隊の者たちは皆頷きながら、「赤い米が実る稲も新たに植えてみては?」「試験的に」といった意見を言い始めた。


「果物や蓮のような、食用にもなる植物を植えてみるのも良いかもしれません。そして8分の1くらいの土地には、思いきって何も植えない」

「休ませるんですね?」

「そうです」

「成程。ウィンチェスター卿」

「はいっ国王様!」

「次回からやってみるか?」

「是非やらせていただきます!」

「ならば近日中にまた、視察隊数名をこちらに派遣させよう」

「何と有難きお言葉」とウィンチェスター卿は言うと、ライオネル王に向かって、深々と頭を下げた。



それから、両目を閉じて頭を上げたライオネル王は、何かを嗅ぐように、鼻をクンクンさせた。

「どうしましたか?ライオネル様」と、視察隊の一人が聞く。


「風が生ぬるい。それに・・・微かだが雨の匂いがする。この分だと明日の早朝あたりに降るかもしれん」

「えっ?!雨の匂い、って・・・?」


私は何も匂わないけれど・・・そもそも「雨」ってどんな匂いがするのかしら。

色々な疑問が湧きつつも、素直に驚く私に、ライオネル王はフッと笑った。


その和やかで端正なお顔に、私の心臓がドキッと高鳴る。


「では今日中に稲刈りを終わらせた方が良いですね」

「そうだな。男の視察隊及び護衛は皆、今から稲刈りを手伝え!」


ライオネル王の命を受け、皆「はっ!」と歯切れよく返事をする。

そして王は、「俺も手伝おう」と言うと、上着ブレザーとブーツを脱ぎ、黒いズボンを膝までまくり上げた。





「・・・このお茶は?」

「米茶でございます」

「米茶?」

「はい。稲に実る米を炒ったものを使っております」

「あぁそうなの。初めて味わうものですが、香ばしくて、口に馴染む美味しさで、とても飲みやすいわ」


正直な私の意見に、そこにいる婦人たちは皆、笑顔で頷いた。


「王妃様の故国では、普段どのようなお茶が飲まれているんですか?」

「私は麦茶をよく飲んでいたわ。ここでは米が主食のようだけれど、ラワーレは麦が主食なの」

「なるほどー」

「ジャスミン茶も時折・・・レイチェル」

「はいっ?王妃様」

「顔色が悪いわ。あなたもここに座って」と私は言うと、隣の椅子をポンと叩いた。


「え。しかし・・・」

「敵はいないから大丈夫よ。だから安心して体を休めて。それにここは暑いから、鎧を脱いだ方が良いわ。そして私たちと一緒にお茶と・・・おにぎりでしたっけ、いただきましょう」


責任感が強く、自分の仕事に誇りを持っているレイチェルには、少し強めの口調で言わなければ、私の言う事を聞かないだろう。

案の定、それでもレイチェルは、かなり渋っていたけれど、実際気分が優れないのには敵わなかったのか。

やっと私の近くまで来て、背中と胸を覆う鎧を脱ぐと、隣に座ってくれた。


レイチェルは、座った途端、密かに安堵の息を漏らした。

やはりきついのを我慢していたのかもしれない。

倒れてる前に休ませて良かった。

と思うと、私の心に安堵感が広がっていく。


「それにしても」と私は呟きながら、水田にいるライオネル王の方をチラッと見た。


・・・これであちらの方を見たのは何度目になるかしら。

でも、つい視線が吸い寄せられてしまって、見ずにはいられない、ような・・・。


私は「稲の収獲作業って、本当に・・・力仕事なのね」と言いながら、ライオネル王との会話を思い出していた。


『ダメだ、ディア』

『・・・まだ何も言ってませんが』

『言わなくても分かる。おまえも稲刈りをしてみたいのだろう?おまえの目が光りながらそう言っているぞ』

『う・・・ええ』

『おまえに稲刈りを初体験させてやりたいのは山々だが、おまえには無理だ、ディア』

『何故ですの?私、茶摘みや花の収穫をしたことは何度もありますよ。だからきっと私もお役に立てる・・・』

『だが花の収穫と稲の収穫は、恐らく方法が違うはずだ。稲刈りは力仕事。故に男の仕事だ。おまえはたぶん、片手で鎌を持つことすらできんだろう』

『あ・・・・・・』

『分かったな?ディア。おまえは他の婦人たちとそこのベンチで休んでろ。後で刈り取った稲を見せてやる』


「・・・あんなに大きくて重そうな鎌を、いとも簡単に扱うなんて・・・。王がおっしゃったとおり、私には無理だわ」と私は言いながら、稲を刈るライオネル王の姿を目で追う。


いつの間にかブラウスも脱いで、あらわになっている、ライオネル王の逞しい上半身―――背中を含めた―――が、鎌を上げる時、刈る時に躍動する二の腕の筋肉の動きが、遠目からでもよく分かる。


・・・ライオネル王は筋肉つき過ぎている、なんて全然思わないし。

だから恐れをなすなんて・・・それよりも、度々目で追ってしまう自分をどうにかしなければ!


「だから稲刈りは男性がする作業なんです」

「そうですよ。あれは力が必要ですから男に任せて、私たち女は、その労をねぎらうべく、食事をこしらえる」

「ついでに目の保養も。あぁ、何度見ても、逞しい体で稲刈りをする男たちの姿には惚れ惚れするわぁ!」

「特にあの人!」

「誰よ、あの人って」

「えーっと、何て名前だったかしら。ほら、籠を背負っている・・マーシー?だったかしら」

「あぁ、護衛の騎士さんねー。グルドの男にしては細い体をしてる」

「でも全然ナヨナヨしてないでしょ。私にはあれくらいのガタイがちょうどいいの!あぁ、今夜一緒に過ごせたらいいなぁ。さっき目が合ったとき、ウインクしてくれたし。向こうも乗り気ってこと・・・」

「たぶん私たちはこの後帰るんじゃないかしら。ね?レイチェル?」

「え?えぇ。たぶん」

「あらぁ。そうなんですか。残念だわ。じゃあ、今の内に十分目に焼きつけておかないと」

「私はあそこにいる騎士さんの方が、いいガタイしてると思うわ」

「そうかい?私はやっぱりライオネル王が一番だと思うね!」

「ライオネル様は普段農作業をされているわけでもないのに、本当に手慣れた感じで作業を進められて」

「鎌を持つ姿まで惚れ惚れするほど恰好良い男性は、ライオネル様くらいじゃない?」


淡い水色の空の下、稲刈り中の男性たちの中で、誰が逞しい体をしているか、活発な意見を交わす女性たちの声に交じって、鳥のさえずりが聞こえる。

私の視界の右側には、ウルフがキャンキャン吠えながら、トンボを追いかけている姿が見える。


つい笑顔で、誰に言うでもなく、「とても平穏でのどかな風景ね」と呟いた私に、「はい、王妃様」と、穏やかな声でレイチェルが答えてくれた。

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