〈5〉あの子の袴の中


 部室の扉を開けると、整頓された室内が広がっていた。足の踏み場は縦に三畳並べた程度だろうか。李桃たちの胸辺りまでの高さがある共用の棚に、先代が使っていたものと思われる防具類が並んでいる。


 棚の向こう側半分が更衣スペースなのだろう。衣服を置いておくための篭が上段・中段にそれぞれ四つほど、これもまた等間隔に配置されていた。

 棚の下段は備品。竹刀を修繕するためのやすり類から、冷却スプレーやテーピングまで。一つだけクリアボックスではない黒の布製バッグを開けてみると、試合で使う紅白の襷や審判旗、ストップウォッチなどが入っていた。



「思ってたより、カビ臭くないねー」



 興味深そうに部室を眺めていた翡翠が、部室の奥にある竹刀立てから一振り引き抜く。さっそく振り回そうとする彼女に、李桃が慌ててその手を止めた。



「ちゃんとチェックしないと危ないよ」



 そう釘を刺して、渡してもらった竹刀に手早く目を通す。そこで違和感を抱いた李桃は、竹刀立てから他の竹刀を何本か引き抜いた。


 竹刀を真剣に見立てた際に切っ先三寸と呼ばれる部分を担う、中結なかゆいから剣先までは勿論。柄の根本から中結までにも油と蝋で手入れした形跡があった。剣の峰で各パーツを繋ぎとめるつるも、最近張り直されたとしか思えないほどにきつく締められており、弾けば音が心地いい。


 棚に陳列されている防具たちも、置かれた小手と面を隠すように、胴とたれで覆う仕舞い方をされているが、そのどれもが、垂の帯紐を付け根の部分にきちんと巻きつけてある。そっと胴垂を除けると、姿を現した面はきらびやかだった。


 どれだけ手入れをしていても、長年の稽古で汗を吸った防具は、数か月も放置すればカビの塗装がされていても不思議ではない。付け焼刃の手入れにはない、確かな愛情が滲み出ている。



「モモちゃん、どうかしました?」


「う、ううん、何でもない。大切に使われていたんだなーって」



 心配げな瑠璃に、作り笑いで返す。視界の端、棚の隅の方に畳まれていた道着と袴を誤魔化すように取り上げ、彼女たちへと押し付けた。



「さ、まずは着付けからやろ!」



 まずは道着。袴とは異なり、こちらの着付けはさほど難しい物ではない。甚平と同じ要領で、重ねあわせた襟の胸紐を結べばいいだけだ。……などと、簡単に済む話ではなかったらしい。

 自身の道着で手本を示した李桃に、まだ内側の紐までしか結べていない翡翠が小首を傾げた。



「ねーねーモモっち。ブラってどーすんの?」



 ピンクドットのキャミソールをぱたぱたと躍らせている彼女の脇から、背伸びをした咲が胸元を覗きこんで、同じように小首を傾げる。



「ボクより気にする必要……ない」


「ししししっつれーな! ウチだってAカップを着けられるんだから――ですよ!」



 相手が先輩であることを思い出して語尾を取り繕う翡翠に、顔を見合わせて苦笑していた李桃と瑠璃だったが、ここは狭い部室の中。彼女たちだけ蚊帳の外にはいられなかった。



「瑠璃姉はいーよね、Dあるんだもんさ。それにモモっちだって……ほう、これはなかなか」


「ひいっ!?」


「ふぇぇっ!?」



 滑るように道着の懐へと手を入れられ、二人は驚きに居付いてしまう。劣情に塗れた変態もかくやと、武術経験者でありながら技の起こり――機先きせんを察することができなかった。



「やっ、あん……もう、翡翠ちゃん? やめないと怒りますよ」


「はーい。いやぁ、いいもの揉んだ! スモモもモモも桃乳って、まさにこのことだねー」



 返事良く手を引き抜いたとはいえ、翡翠に悪びれた様子はなく、手のひらに残る体温をわきわきと味わっている。瑠璃はさすが双子なだけに慣れているのか、顔が赤らんでいるのも乱れた着衣を整える間だけだったが、一方の李桃はというと、床にへたりこんだまま放心していた。



「ううっ……もうお嫁に行けないよぅ……。お父さんにも揉まれたことないのに……ぐすっ」


「いやいや、親に揉まれるってどんな家庭よっ!?」


「破廉恥」


「も、もう。咲先輩まで、からかわないであげてください!」



 その後、瑠璃の献身的なフォローにより、李桃の心の純潔は辛うじて守られた。きっと。


 気を取り直すため、一度更衣室から広い道場へと出た彼女たちは、剣道においては先達である李桃と新米剣士三人とに分かれて、座学のような形態をとった。



「あー、ごほん。えっとね、女の子はスポブラ着けないと大変なんだよ」



 そう言って、取り急ぎ、棚にあった胴を拝借して当てて見せる。腹部の左右までファイバーのプレートで覆われている防具の、胸板の裏側を指し示す。



「こうして、胸に胴が引っかかっちゃうから、動く度に擦れるし、ホックも外れちゃうんだ。あとは、中にシャツとかも着なきゃだね。やっぱり……見えちゃうから」


「なるなるー。乳首を開発したい人はノーブラ推奨、と」


「淫乱は、シャツなし」



 きちんとメモを取っているようで、不穏な言葉を呟いている翡翠と咲。そんな奇行にどうしていいものかと狼狽えていた瑠璃は、ノートへのメモさえおぼつかないようだった。


 道着の着付けを終えた一同は、次に袴へと足を通す。元々OGが残してくれたものなのか、サイズに関しては過不足ないようだったが、慣れない新米たちは一様にやらかしていた。



「これは、スカートのようにはいかないんですね」



 袴の一方の裾に足を入れてしまった瑠璃たちは、しげしげと構造を観察している。彼女らの収めた格闘技では、ズボンスタイルのものやハーフパンツが中心だったのだから無理もない。

 無事に両足を通し、前側から伸びた紐を腰の後ろで蝶結びにする。それから一つ一つ李桃に倣って無事に着付けを終えた時、わあっと控えめな感嘆が漏れた。


 さすがは武術経験者というべきか。しゃんと背筋の伸びた立ち姿には、風格さえ感じる。



「うわぁ、すごい、すごいよみんな! カッコいいね、キラキラしてるね!」



 一段と瞳を輝かせながら飛び跳ねていた李桃は、はたと、思い出したように動きを止めた。


 先ほどまでのことを思い出し、恥ずかしそうに言い出す。男子の場合は袴の中のパンツさえ脱いで稽古に励むが、女子はそうもいかないのだ。



「その、女の子の日なんかは袴の中も大変なんだ。ヒメちゃん先輩みたいに心配性な子だと、ナプキンに、ショーツに、スパッツに、体操服の短パンって四重武装だったかな」



 指折り数えての説明に、やはりというべきか、問題児二人が声を上げる。



「生理関係ないよ! ほら、防御してないとこーやって大変――あひっ!?」


「出血を演じてファールを取る。最強」



 乗り間と呼ばれる股下のつなぎ目を自分で引き上げて嬌声を上げる大変な変態と、元の畑システマにも存在しないはずの謎ルールとはき違えているただの変態だ。



「もう、はしたないですよ……反則どころかこちらが棄権になっちゃいますよ……」



 おろおろとしながらも、瑠璃は律儀にツッコみを入れて回っていた。

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