十六、決 断

 マタヨシが目を覚ますと、そこは町の

 あばら屋だった。


「気がつきましたか? 

 荒地で、いったい何があったんです? 

 町とやらは、

 見つかったんですかい?」


「そうか……。

 おれは、戻ってきたのか。

 残念だが、町は見つからなかった」


 カワバタは言った。


「そんなことは、もういいんですよ。

 この町を仕切っていた奴らが、

 いなくなったんです!」


「それはどういうことだ?」


「あなたを運んできた人が、

 呪文か何かで、みんな

 石にしちまったんです」


「そんなことが……。それで、

 かれは、いまどこに?」


「さあ。そのあとすぐ、

 どっかに行っちまいましたから」


 マタヨシは「そうか」と言って、

 口をつぐんだ。


「とにかくその人のおかげですよ。

 あなたも戻ってきて、

 悪党どもは居なくなって」


 カワバタは感慨深げに言った。


「これでちっとは、ここの暮らしが

 良くなればいいんですけどねえ?」


 その言葉に、マタヨシは眉をひそめた。


「おまえはまだ、

 そんなことを言っているのか?」


 マタヨシは厳しい口調で言った。


「ここにいてはだめだ……。

 ぐずぐずしていると、またいつ、

 第二、第三の修羅が現れるか知れない」


 そのとき、マタヨシは

 天上からぶら下がっているものを見た。


「ちょっと待て……。

 その肉の塊はなんだ?」


「なにって、やつらの家にあった、

 鬼の肉ですよ」


 縄で吊るされた、赤黒い肉の両端には、

 人の大腿骨が突き出ている。


「これが鬼の肉だと……?

 気がふれたんじゃあるまいな?」


「……? どういうことです?」


「おまえたちは、立って行くことよりも、

 ここで修羅の道を選ぶというのか」


「修羅の道? 何を言ってるんです? 

 あなたも御存じでしょう。

 ここでは肉はたいへん貴重なものだし、

 滅多に手に入るものでは……」


「ふざけるな! なにが鬼の肉だ! 

 おまえたちが食おうとしているのは、

 まぎれもなく人の肉だ!」


 マタヨシが急に声を荒げたので、

 カワバタは驚いて、

 ホトケと顔を見合わせた。

 そして、マタヨシをなだめにかかった。


「落ち着いてください、マタヨシさん。

 あっしはねえ、やつらが肉を

 解体しているとこを見たことがあるが、

 あれはどう見ても、

 人間ではありませんでしたよ?」


 マタヨシは言った。


「いいや、あれは人間の肉だ。

 かつて人間だった者の肉だ。


 この可哀そうな肉の塊は、

 おまえたちに飼われ、

 無残にも屠られた、

 家畜となった人間の肉だ。


 心に鬼を飼い、恐怖を植え付けて、

 支配する側も、される側も、

 徐々に人間性を失い、

 人であって、人でないような、

 惨めな生物と化す……。

 

 本当の鬼は、この肉の塊ではない。

 鬼は、おまえたちのほうだ!」


 マタヨシは続けて言った。


「いや、おまえたちばかりではない。

 おれたちが生前、人生を

 送ってきた世の中も、

 似たようなものだった。


 ああ、人道とは、なぜかくも

 不浄なものなのか!

 人の世とは、なぜかくも

 非情なものなのか!


 馬鹿は死ぬまで治らないというが、

 おまえたちの頭は、死んでもなお、

 狂ったままだ!」


 カワバタは激昂して言った。


「なんとでもおっしゃいな! 

 ここに仏はいないんですよ? 

 あたしたちだって、誰も好き好んで、

 人の肉なんか食べたりしません。

 仕方のないことなんです……」


「なにが仕方のないことだ! 

 これは、おまえたちが自分の意志で、

 こうしようと決断したことだ。

 それは、おまえたち自身が

 選んだ道なのだ」


「わたしたち自身が選んだ道ですって?」


「そうだ。もっとも、

 おまえたち自身には、

 その自覚はないだろうがな?

 おまえたちは、立って行くことよりも、

 ここにじっとしていることを選んだ。

 おまえたちは、ここにじっとしたまま、

 何もしないことで、道を選んでいる。

 あの門の意味が、いまのおれには

 はっきりとわかる――。

 おまえたちが歩もうとしているのは、

 修羅の道だ。

 ここにいる人間はみな、

 長い時間をかけて、自分が

 人間だったことを忘れていく。

 人間性を失った者は、

 この肉の塊のように、家畜になるか、

 家畜を食らう修羅に成り果てるのだ。

 人間が行く道は、ここではない。

 あの門の先にある。

 やはり行かなければ。おれたちは

 立って行かなければ。

 いますぐにでも立って行かなければ! 

 おれがまだ人間であるうちに――。

 きみたちも来い。

 きみたちもまだ人間だ。

 ひとりで行くのが怖いなら、

 一緒に行こう。さあ、立て。

 ここにいてはいけない!」


「ああ……、あなたはやけになっています。

 どうぞ、冷静に……」


「やけでけっこうだ! 

 そんなにここに残りたければ、

 好きなだけここにいろ。

 おのれの魂が朽ち果てるまで。

 それで、肉の塊になって、

 誰かの食料となればいいさ。

 それがあんたの本望ならばな。

 おれは行く。いますぐ行く!

 あんたたちを見捨てて行く! 

 誰もおれを止めることはできぬ! 

 それでも止めると言うのなら、

 その瞬間から、おれは

 あんたを人間だと思わない」


 カワバタは悲しげな顔で言った。


「お行きなさい。誰も止めやしません」


「おまえはそれでいいのか?」


「わたしたちのことは、

 どうか放っておいてください」


 マタヨシは堂々と立って行った。


 真ん中の門を通って、

 城壁の向こう側に出た。

 

 マタヨシは言った。


「なんということはない。

 やはりただの門だったようだな。

 しかし、六道の辻とは、

 嘘から出た真か? 

 当たらずとも遠からずではないか」


 広場を横切ってくるときに見た、

 町の首領たちの『石像』と

 周囲にいた人々の群れを

 マタヨシは想った。

 憐れな餓鬼を含む、

 救えなかったすべての人たちに、

 畏敬の念を抱き、

 哀悼の意をささげた。

 

 マタヨシは思った。


『ここには、人を食らう悪党もいたが、

 本来は、天国にも地獄にも

 行き場のない者たちの

 居場所だったのかもしれん。


 現世で何もすることがなかった人は、

 あの世でも何もすることがないであろう。

 あの世に彼らの居場所などない。

 善きにしろ、悪しきにしろ、

 何かをなした者だけが、

 人生を生きたと言えるのだ。

 運命がおれの腕をつかんで引きずっていき、

 罪滅ぼしの責苦を受けたとしても、

 自分がしたことの責めであってみれば、

 おれはすすんで罰を受け入れるつもりだ』


 振り返ってみると、

 門の外には、カワバタと

 ホトケの姿があった。


 カワバタは周囲を見回して言った。


「やっぱりおかしいと思ったんですよ。

 自分で道が選べるなんてことはねえ?」


 マタヨシは、二人の『人間』に言った。


「いいや、おまえたちはいま、

 道を選んだではないか。

 さあ、行こう――」


「あ、ちょっと待ってください」


「まだ何かあるのか?」


「ほら、あそこにいる人ですよ。

 あなたを担いで連れてきたのは」

 

 カワバタが指さす先にいたのは、

 閻魔の眷属に扮した

 異教の神、プルートーであった。


 プルートーはマタヨシに言った。


「えらく遅かったですね。

 待ちくたびれましたよ。


 いえね、あの門だけは、自分で

 開けてもらわないとだめなんで。

 決まりを破ったら、あとで

 おやじになんて言われるか。

 わたしとちがって、

 昔気質かたぎの、堅物ですからね。


 後ろのは、お友達ですか? 

 まあいい。まとめて面倒見ましょう。

 まだ先は長い。向こうに

 馬車を待たしてありますから、

 それでまいりましょう」


   (第三章、終わり)

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