クリームソーダのパロール

柚木呂高

夏の終わり、秋の始まり。

 大好きだと思ったバスケ部の曽根そねくんが階段から落ちた。


 乙女の恋心というのは気まぐれなものだ。私が自分で言うのだから間違いがない。付き合えたのが嬉しくて、みんなに見せびらかす為に部活が終わるのを待って一緒に帰る。私は帰宅部だから教室で付き合ってくれる友達と喋りながら時間を潰していた。それも含めてとても幸せだった。


 ところがそんな幸せも長くは続かなかった。駅のホームへ降りる階段で、みんなが見ている中、曽根くんはつまずいてしまい、階段を転がり落ちる。まるで時間がゆっくり進むように感じた。そうウォシャウスキー兄弟のあの名作映画マトリックスのみたいに。あ、いや、ウォシャウスキー姉妹だった、失敬。誰もがもうダメだと思った。その時、ホームに落ちた曽根くんはそのまま華麗に前転をして受け身を取ると立ち上がり、両手を高くあげてポーズを取ったのだ。まるで体操選手みたいに。


 その瞬間、私の恋が冷めたのを感じた。みんなもホームにいたまばらな人たちも、曽根くんを見てクスクスと笑っている。曽根くんはひまわりのような笑顔を咲かせてこちらを見る。私は翌日彼と別れた。


「いや、ちょっと待って! あんたらは別れた理由ってそれ!? いや、ウケるけどさ、そこ!? っていう」


「だって公衆の面前であのポーズだよ!? 鶴見修治つるみしゅうじかよ!」


「いや、誰だよ」


「あれはイベント団体に依頼して街中でミュージカルみたいなの始めてプロポーズするタイプのロマンチスト。女の子の方は嬉しいよりも恥ずかしいが勝って、早く終わらせたいと思ってるのに、感動させてやったと思い込むロマンチズムハラスメントを平気でするタイプよ」


「曽根くん、たったあれだけでそんなに言われる?」


「まあ、曽根くんは一切悪くないとは思うよ、でも気持ちが冷めちゃったんだもん、私には自分の気持がコントロールできない。だからごめんって謝ったよ」


「私が曽根だったら謝られても釈然しゃくぜんとしないと思うな~……」


 こうして私の初の恋人はものの1ヶ月足らずで居なくなってしまったのだった。


* * *


 私は華の女子高校生。17歳の乙女だ。ソーシャルゲームで知り合ったお友達の30代のおじさんは、若い女の子はそれだけで価値があると言ってくれる。私はそんなことはないと思うし、同い年の子たちは若さそのものに価値があるなんて誰も思っていない。

 大人から言わせれば自覚していないだけと言うのだろうけれども、そして彼らの言う未来の可能性というのもわかるけれども、私は少なくとも若さそのものがそのまま価値だなんて信じられない。私たちは同じ年代の者同士で学校の成績や運動神経、容姿の優劣、家の貧富の差など、様々なカーストに晒されている。若さの価値なんて若い私たちにとっては当たり前で、そんなもので学校内のポジションは変わらない。私はそんなあるかもわからない若さの価値を大事にするより、早く大人になりたいし、責任の取れる大人の女性になりたい。


 私の家は裕福ではないがそれほど貧乏でもなく、多分進路も好きなように選ばせてもらえる。しかし、私は父親が好きではない。何かと気に食わないことがあれば、自分が生活費や養育費を払っているというのを盾に、私を従わせようとしてくる。勿論、私はそう言われると何も言えなくなってしまうし、お金を稼いでくれていることには感謝はしているけれど、お金で従わせるしかないと思っている父の心根を心底蔑視べっししている。

 だから私には自立する力が欲しい。親の金で学校に通わせてもらっている高校生である限り、私はこの桎梏しっこくから逃れる方法はないのだ。


* * *


 残暑の昼休み、窓の風が涼しくて、私は煙みたいにかき消えてしまった恋心、あの痛痒い甘さを思い出すように胸の奥に思い出のきっかけを探すが、それはすっかりこぼれ落ちてしまったようで、ばくとした凪いだ心があるだけだった。


「あの、鴻巣こうのすさん、窓、閉めてくれない? 半券が飛んじゃいそうで」


 私に声をかけたのは同じクラスの西崎耀司にしざきようじ。大層な名前をしているこの男の子は、クラス内でも浮いている根暗くんだ。背丈は165センチくらいしかないし、痩せて筋肉もない。変なボサボサの頭をしていて、そのわりにちょっとおしゃれな黒縁のウェリントンの眼鏡をかけている。


「私は涼んでるからヤなんだけれど」


「半券が飛んじゃうんだ、頼むよ」


 どうせ私の胸の中に恋はもういなくなっていたし、その風が何を運んでくれるわけでもないことは判ったので、このロマンチックな気分を閉じるようにしぶしぶ窓を閉めてあげた。


「ありがとう、鴻巣さん」


「その半券って何? 映画とか?」


「うん、行った映画とか美術館とかライブとかの半券をノートに張って、その感想を書いておくんだ。溜まってたから一気に書いてるところ」


 西崎のことは全然知らないけれど、そういう趣味は良いな、と私は思った。


「へえ、どんなライブ行くの? ビリー・アイリッシュとか?」


「流石にビリー・アイリッシュみたいなのは行けないけれど、D/P/Iディー・ピー・アイとかFabian Almazan Trioファビアン・アルマザン・トリオとか」


「誰それ?」


「あ、ちょっとマイナーだったかもね」


「何それ、オタクマウント?」


「い、いやそうじゃないって。本当に好きなだけなんだよ。ごめん……」


「別に謝らなくてもいいけど。ふーん、色んなの行ってるのね。何処で知るの? そういうの」


 私は椅子を西崎の机に近づけてノートを覗き込む。そこにはいろいろな半券とともに短かったり長かったりする感想が、ちょっと汚い字で書かれている。使われているペンの色が黒しかなくて、男の子のノートだな。と思った。


「み、見ないでくれよ! えっとSNSとか趣味の近いライターさんの記事とか。あとは姉貴からの影響も結構あると思う」


「へえ、お姉ちゃんいるんだ。どんな人なの? いくつ上?」


「12歳上だよ。凄い離れてるよね、ウチの両親もよくやるよって思うけどさ。仕事で国産ブランドのお針子やってるんだ」


「あんたじゃなくてお姉ちゃんがファッション関係かよ!」


「やっぱりそれ言うよね。友達からも凄い言われるんだけど、マジでやめて欲しい。好きでこんな名前じゃないよ」


 西崎は相当嫌そうにしている。私はそんな様子が面白いので今後も言うと思うけれど、今日はこれくらいにしてやろう。


「でもいいな、自立している女性。羨ましい」


「いや~、いっつも残業しててシンドそうだよ。俺は趣味の時間が減るの嫌だし、あんまり仕事したくないなぁ」


「まあ、普通はそうだよね~。私は早く働きたい」


「あれ、鴻巣さんは大学、行かないの?」


「いんや、行くと思うよ。思うけどさ、早く働きたいとも思うわけ。親の金で生きるの嫌なんだよね」


「俺たちは結局生かしてもらってるんだよ、それは受け入れなきゃ、逆に受け入れたら結構楽じゃん? バイトやって好きなことにお金使えるしさ」


「キモ、そういう考えが嫌なの」


 彼はちょっとまずったかもみたいな顔をした。こんなやつでも人の反応を伺うんだな。ナードはもっと自分で好き勝手に振る舞って空気を読んだり、相手の気持ちを考えたりとかしないものだと思っていた。


「鴻巣さん、声に出てますよ。俺そんなに空気読まないツラしてる?」


「あ、ごめん、出ちゃってたか。いや、してるかしてないかで言うとしてると思うけど、そういう受け取り方は人それぞれだからさ~、気にしないほうがいいよ」


「人が顧みないのを蔑むような言い方してたのに気にしないほうがいいとはこれ如何に」


「細かいこと言ってるとモテないよ」


「何でいちいち俺の柔らかくて弱い部分をカランビットナイフみたいに鋭利な言葉で抉ってくるんだ!」


「カランビットって何よ。普通にナイフで良いじゃん。そんなんだからオタクって言われるんでしょ。具体的で狭義な比喩は面白いけど、西崎のはそういうんじゃないから」


「おい誰か助けてくれ! この人俺のことを自殺に追い込もうとして来る!」


「ごめんて、別に西崎のこと嫌いなわけじゃないよ、私。こういう性格なだけなの」


「性根悪すぎるでしょう。いや、俺も鴻巣さんのこと嫌いなわけじゃないけど」


「じゃあ好き?」


 西崎は顔を真赤にしてうつむいてしまった。流石にいじめすぎたろうか。私は自分の恋が何者かによって破れてしまった腹いせに彼のことを困らせてやろうとしていたのかも知れない。そう考えて、自分の大人気なさに少し反省をした。


「す、好きです。1年生の頃から。ずっと」


 残暑の昼休み。風のない教室の少しじっとりした暑さの中、草木の枯れる季節を前に予想だにしない言葉が、恋の接穂となった。私は言葉の重さを考えている。彼の言葉の重さ、軽さ。私が受け取るべきそれはどういう重さで発せられた言葉?自覚されない気持ちがあって、それは言葉によって釣り上げられたように跳ねた。


「じゃあさ、付き合ってみよっか、西崎」

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