3 コンステレーションとは何か

 奇妙な妄想から目覚めるたびに、ぞっとする。ぼくはまた正気を失っていたのかと。薬のせいもあるかもしれないが、まったく良くなっている気もしない。ぼくは必然的に没落する運命を誰かに背負わされている。ぼくの数々の失敗は誰かによって予定されたことなのだ。最近では、このようなことを真剣に考えるようになった。そんなのは気のせいであり、病人の戯言だときみは笑うにちがいない。ぼくだってまだそれを本気で信じているわけではない。

 しかし、ぼくは並々ならぬ熱意で、真剣に考える。仮に世界の創造者なんてものがいるとしたら、ぼくは彼に抗議したい。世界をこのような不完全な形にしてしまったことに、ぼくは腹を立てているのだ。ぼくは彼に向かって叫ぶ。いまからでも遅くはない。世界をあるべき姿に創り変えろと。だが、ぼくの叫びは虚しくこだまするばかりで、ぼくには彼の返事が聞こえてこない。ぼくは呪う。ぼくがかくも不幸な人間であることを。どうしてこの世界に不幸などというものが存在するのか。だが、もう過ぎたことである。夜の帳が下りようとしている。

 ぼくの精神が完全にだめになってしまうまえに、いまのぼくの考えを書き留めておきたい。ぼくがこれから書くことは、きみにはまったく理解できないかもしれないが、理解できなくてもきみは自分の能力を恥じることはない。そのほうがむしろ正常なのだ。しかし、同時にそれは、ぼくの夢の探求が必然的に行きつく先であり、その意味では、ぼくの探求の総決算でもある。より具体的には、それは、ぼくの精神が到達しうる限界のさらに先にあるものについての考えである。ぼくはまだかろうじてその限界のこちら側にとどまっている。ぼくがまだとどまっていられるうちに、どうしてもこの考えを書き留めておきたいのだ。

 コンステレーションとは何か。この反省は、並々ならぬ労苦をぼくに課した。それが何であるのか軽々に言うことはできない。それについてぼくが積極的な発言をし始めたときには、ぼくはもう限界のあちら側にいるのである。それは何か根本的にぼくらには知りえないものである。しかし、それは語られうるものではある。それは、何らかの疑わしい、証明不可能な前提を立てたとき、またそのときにかぎり、そこから演繹される推論の中でのみ語られうるような何かである。

 ぼくときみを含むこの世界が、別の誰か(たとえば神)の夢であると仮定しよう。そのとき、彼(ないし彼女)の中で決定せられるぼくの運命が、ぼくの魂が背負った宿命であり、その無軌道な歩みを規定する当のものが、コンステレーションである。それは根本的にぼくやきみの精神の外側にあるものであり、したがってぼくもきみもそれが何なのか知ることはできない。なぜなら、運命とは、ぼくらにとっては結果として現れてくるものであり、ぼくらはあらかじめ自分の運命を知ることはできないからである。コンステレーションは、劇のプロットに似た何かである。ぼくらにとって運命とはあらかじめ定まったものとして現れてくるが、同時に、この世界の外側にいて夢を見ている誰かにとっては、彼の意識が自由に規定しうるものである。こう考えることには、何の矛盾もない。劇作家に似た何かが、ぼくらの運命をもてあそんでいる。ぼくらの行く末は、彼次第なのである。

 ぼくらが死ねば、ぼくらは無になるか、はたまた霊的存在となって別の世界に行くのか、ぼくらには知りえないが、そのようなことすらも、彼の意識が自由に規定したものである。また、ぼくらが本当に知りえないのかどうかということすらも、彼には自由に決定できるように思われる。なぜなら、彼はこの世界の構造を規定する者であって、この世界にいかなる知的能力が存在するのかということも、彼が決めたことだからである。彼がぼくらと交渉する気があるのかどうかは、彼に呼びかけてみればわかる。ぼくらの呼びかけに、彼がまったく返事をしないとすれば、彼はぼくらと交渉する気がない。ぼくらには、彼の気を変えさせることはできない。彼は、ぼくらと交渉することもできたし、交渉しないこともできた。すべて彼が決めたことであり、その決定はぼくらにとっては世界の外側にある事実なのである。

 以上で述べたことはすべて、きみにはナンセンスであるように思われよう。しかし、きみもいずれわかるときがくる。それが真実であると悟る瞬間がいずれきみにも訪れるだろう。ぼくはあのとき見たのだ。病院の屋上から、はっきりとこの目で見たのだ。夜空が大きく切り裂かれ、巨大な目玉がぼくをじっと見つめているのを。もちろん、それは現実のものではないだろう。しかし、ぼくはそれが真実のことであると悟った。高いところから、ぼくたちの様子をじっと観察している。害を与える存在ではない。さりとて、人類に幸福をもたらしもしない。何も手出しせずに、それは、空からじっとぼくらの様子を飽きもせずに見続けているのだ。

 ぼくはこの期に及んでまで、書くべきでないことまで書いてしまったように思われる。だが、もう幕切れだ。ぼくはもう行かなければならない。またここに戻って来られるかどうかは、わからない。それはぼくが決めることじゃないんだ。最後に、きみにひとことありがとうと言っておく。きみに再会したとき、ぼくはもう正気じゃないかもしれないから。きみが幸せな人生を歩むことを心より祈っている。

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