29 夢のコントロールの探求(12)

 早速のお返事どうもありがとう。早く話の続きを聞きたいということだったから、ぼくもできるかぎり早くきみに返事を書こうと努力したのだが、いろいろな事情がそれを許さなかったのは、まことに遺憾である。現実世界とは、本当に不自由極まりない。光陰矢のごとしだ。こうして余計な言い訳を書いているさかなにも、貴重な時間は刻一刻と失われていく。そう思うなら、さっさと本題に入れという話だ。

 例のマジシャンがステッキの他にも魔法の小道具を所有していたかどうかはわからない。彼とはあのあとすぐ別れてしまったからだ。ぼくはなんとなく、彼はあのステッキ以外には道具を持ち合わせていないような気がして、立ち去ってしまったのだけれど、確かに念のため、尋ねておいたほうがよかったようにも思う。

 けれども、夢の世界の持ち物は、たいていその場かぎりのもので、次に見る夢でぼくがそのステッキを握りしめている保証なんてどこにもない。だからぼくとしては、マジシャンとのくだらない会話をさっさと切り上げて、どこか他所に移動しようと思った。まごまごと会話を続けていたら、ステッキにどんな制限がつけられるか知れたものではない。一日一度までしか使用できないとか、ぐにゃぐにゃした物体には効かないとか、そんな余計な情報は知らされないほうがいい。たんに知らないほうが幸せだというのではなく、夢ではそれと知った瞬間にそれが事実となってしまうからである。まあ、現実も似たようなものではあるが。

 ぼくはマジシャンがくれたサンダル(彼の言葉では、「いたって普通のサンダル」)に履き替えると、ふたたび街の中をぶらぶらさまよい歩いた。夢の中での滞在時間は、それほど長くはない。レム睡眠からノンレム睡眠に切り替わると、ひとは鮮明な夢を見なくなるらしいので、いま見ている夢は確実に中断されてしまうだろう。現実の時間尺度に直して、夢がどれくらいの長さか、正確に言うのは難しい。短いようで長く、長いようで短い気もする。とにかく、夢の中での時間はかぎられている。

 どれくらい街をさまよったであろうか。気づいたら、ぼくは郊外の人気のない場所まで来ていた。ふと嫌な予感がして、右手を見ると、先ほどまで握っていたはずのステッキがなくなっているではないか。知らないうちに落としたというわけでもあるまい。来た道を探しに戻ったとしても、たぶん見つからないだろう。

 ぼくは舌打ちをして、どうしてこんなことになるのかと、自分の運命を呪おうとした矢先、何処より女性のするどい悲鳴が耳に飛び込んできた。

 耳を澄ますと、誰かに助けを求めるような女性の悲痛な叫び声にまじり、豚のような野太いうなり声が聞こえた。どうやら、声は前方の薄暗い路地から聞こえてくるらしかった。

 暗い気持ちでその路地を覗き込むと、建物の陰になった湿っぽいコンクリートの上で、予想した通りの醜態が演じられていた。ばかでかい図体をした男が、若い女性をはがいじめにしており、女性は男の腕から逃れようと、手足をばたばたさせていた。

 男はぼくの存在に気づき、ぼくに一瞥くれたが、誰が見ていようとおかまいなしだと言わんばかりに、地面にぺっと唾を吐いた。

 その様子がひどくぼくの癇に障った。

 腕力でぼくに勝ち目がないのは明らかだが、ただそれだけの理由で、ぼくはこんな腐れ外道に舐めきった態度をとられなければならないのか。先ほどのステッキさえあれば、こんな奴は即刻この世界から消してしまうこともできたのに。

 ぼくがそんなことを考えていると、男は女性からいったん腕を離し、ぼくのほうにのしのしと歩み寄ってきた。

「なんか文句あんのか。仲間に加わりたいなら、おれの後にしな」

「だまれ。おまえのような下衆は、この世界から消えたほうがいい」

「なんだと。もう一回言ってみろ」

「消えろよ、ブタ野郎」

「ぶっ殺してやる」

 男は怒り狂ってぼくに殴りかかってきた。ぼくはとっさにそいつに手のひらを向けて、「消えろ」と叫んだ。すると、男のからだは、砂袋がはじけたように、細かい粒子となって飛散し、やがて跡形もなく消滅してしまった。

『できた』とぼくは思った。道具を使わなくても、ぼくは物体を消滅させることに成功したのである!

 悪くない気分だった。たとえそれが夢であるとしても、暴漢から女性を救うヒーローになるというのは。

 だが所詮、それは夢の話にすぎない。

 女性を助け起こそうと、近づいて手を差し出すと、その若い女性は、ぼくの手を振り払い、ぼくにひとことの礼も述べず、足早にその場を立ち去ってしまった。

 女性に手を振り払われた際、長い爪で手のひらが斜めに切り裂かれており、血がどんどんにじみ出していたが、不思議と痛みは感じなかった。

 ぼくは興がそがれたような気分で、さてどうしたものかと思案した。これ以上ここにとどまっていても仕方ないと思い、ぼくは薄暗い路地を抜け出た。

するとそこは、ぼくがやってきた街路ではなかった。狭いグラウンドのようなところに場所が切り替わっており、数名の老人がゲートボールにいそしんでいるのが見えた。

 ぼくはまた妙なところに出たものだと思ったが、グラウンドの中央にある巨大な岩の塊がぼくの注意を引いた。ひとりの男の老人が難儀そうな顔で、その岩を叩いたり蹴飛ばしたりしており、どうやらその岩の存在を相当邪魔に感じているらしかった。

 ぼくはたいした考えなしに、その岩につかつか歩み寄って、手のひらを岩に当て、消えろと念じた。乾いた頑丈な岩はなかなか消えようとしなかったが、何回か試みているうちに、岩は跡形もなく消え去った。

 老人たちは大喜びで、これで自由にゲートボールができると小躍りしていた。今度もお礼の言葉は聞かれまいと、ぼくはたかをくくっていたが、世故にたけた二人の老婆がぼくのもとに歩み寄ってきて、なにやらもごもご言いながら、ぼくの腕や体を親しげにさわってきた。ぼくにお礼を言っているのだと察したが、正直、何を言っているのかぜんぜん聞き取れなかった。

 もう勘弁してくれと思って、その場から立ち去ろうとしたとき、一人の老婆が突然はっきりとした口調で、なんだかよくわからない長口上を述べ始めた。その内容は、最初のうちは比較的まともだったが、しだいに不可解な様相を帯びてきて、最後にはまったく理解不能なものになった。

 ここにその全部を再現することはできないが、覚えているかぎりでは、次のようなことを言っていたと思う。

「岩をどけてもうて、ありがたい、ありがたい。ほら、あんたももっと喜ばんと。やっと願いを聞き届けてくださったんやなあ。毎日お祈りしてきた甲斐あったわ。なんとも言えん。ほんまに、ありがたい。あんたもきちっとお礼言って。若いひとにも、感謝の心だけは、忘れてもらいとうないわ。めんどうなんかみてもらわんでもな。わたしらの願いは、さいごにはぜんぶ聞き届けてくださる。ほんまに、ありがたいことやなあ」

 老婆の口からは、しきりに「ありがたい」という言葉が飛び出すが、どうやらそれは、ぼくに向けた感謝の言葉ではないようだった。いったい誰が岩をどけたことになっているんだろう。

「ほら、あんたも、ぼさっとしとらんで。きちっと手あわして。こんな傷たいしたことないわ。男の子でしょう? いつまでも、めそめそばっかりしとらんで」

「かまうな、血見てから泣いたんぞ」と、外野から野次が飛んできた。男の声だった。

「びーびー泣いて、みっともない。お祈りする時間もありませんか? ちがうでしょう。どんなに忙しいゆうても、わたしらが若いときとくらべたら、いまの若い人なんか、ぜんぜん忙しいないわ。あんたのお母さんも、あれがない、これがない言うて。大騒ぎして。わたしの箪笥の中ひっかきまわして。なんもないわ、そんなとこ」

「鍵つけたらええんだ。箪笥に」と、男の声で野次。

「どんなにしんどいつらい思いしてもな。仕返しなんて考えたことない。息子がかわいそうになるだけや。あんなとこ、鉢植えなんか置いとくからや。そうやろ? 足が痛いのに、わたしに片づけさして。ありがとうの一言もない。ほんまに、しんどかったわ」

 ぼくは一瞬、それはあなたが蒔いた種でしょうと反論しようとしたが、やめた。何の意味もないことだからだ。しかし、老婆には、ぼくの心の声が聞こえたのか、

「あんたも、すごいえらなったなあ。大学出たら、そういう返事が返ってきますか。感謝の気持ちは、そんなに難しいことですか。感謝の気持ちはもちたいものです」

「なんもできんくせに、えらそうに」と、またしても男の声で野次。

「口ばっかり達者で、かなわんな。最近の若い人は。えらいことです。寝てるあいだに、閻魔さまに首根っこ踏んづけてもらったらどうでしょう? かずまさんとこの子もな。言うてたわ。あんなとこに玩具なんか出しとくから。知らずに踏んづけて、ひどい目みたって。真っ暗で。痛くて飛び上がって。あんたがわるいんやからな。あんなとこに出しておくから。泣いたって、なくなったもんは、戻ってきませんよ? 自業自得なんやから。いつになったらわかってくれるやろか。ええから。はよう、手合わして。わたしがわるうございました。お救いくださいって。そうしたら、ぜんぶうまくいきます。はようせな。罰が当たるよ」

 老婆の口から繰り出される意味不明な言葉を聞いているうちに、ぼくはだんだん気持ちが悪くなってきた。その場から立ち去ろうにも、何かに呪縛されたように、からだが言うことを聞かない。ぼくはいっそのこと夢から離脱してしまおうと思い、目を閉じて精神を集中した。

 苦労の末、眠りから覚めることに成功したが、冷や汗をびっしょりかいており、ぼくは悪夢を見ていたのだと、そのとき初めて気がついた。

 夢の話は以上だ。つまらないオチがついたが、なにはともあれ、ぼくは夢の中で魔法が使えるようになったらしい。いまのところ、物を消すことしかできないが、物をつくりだしたりすることも、やがてできるようになるにちがいない。夢のストーリーに関しては、コメントを差し控えることにしよう。なにか深い、暗示的な意味が込められているようにも思えるが、所詮はぼくの頭がでたらめに描いたストーリーにすぎないのだから、まともに取り合うこともなかろうと思うのである。

 それでは、今日はこの辺で。楽しかった日々の記憶を胸に抱きつつ眠りにつけば、少しはましな夢を見られるはずだ。きみにも良い夢が訪れますように。

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