26 夢のコントロールの探求(9)エルフとインスピレーション

前略

 きみの言うとおりのことで、大体合っている。きみの言い分が正しい。とくに、夢の世界の人々をゾンビに喩えたのはまずかった。ぼくは前にきみが犯したのと同じ過ちを犯したわけだ。ぼくはゾンビと会話したことがないから、ゾンビの質感がどういうものか知っていようはずもない。ゾンビだけでなく、幽霊、妖怪、狐や狸のような化け物、鏡の中のもう一人の自分、突然しゃべりだした理科室の人体模型、その他ありとあらゆるオカルトじみた存在ともぼくは面会したことがなく、したがって、ぼくは、「喩えようのないものについて話をしているというよりは、ありもしない感覚をでっちあげており、たぶんべたべた触られたりして気持ちが悪かっただけだ」というきみの推測は、的を射ているように思われる。

 他人がしでかしたまちがいを見ると、何をバカなと思うものだが、自分でもやってしまうものだね。人間はとかく自分自身には目が曇りがちだとはいえ、あのようにきみとさんざん議論した後でのことなんだから、ぼくは自分が情けないよ。言い訳をするんじゃないが、近頃のぼくは、なんだか自分がどんどんバカになっていくような、どうもそんな気がする。思い過ごしならいいのだけれど。

 それに加え、最近ではどうも、悪夢を見る頻度が高くなってきているようだ。原因は定かではないが、現実でちょっと嫌なことが立て続けに起こって、といっても心配には及ばない程度の些細なことなのだが、精神状態のわずかな揺れ動きが、夢の内容に影響を及ぼしているのではないかとぼくは考えている。

 そうしたなか、怪我の功名じゃないが、ぼくはひとつ重要な発見をした。夢の世界には、夢のコントロールに重大な影響を及ぼす一群の存在者が住みついていることがわかったのである。ぼくはそれらを総称して「エルフ(夢魔)」と呼ぶことにした。

 エルフは、夢の中での行動の自由を阻害するもののなかで、最も除去しにくい種類のものであり、言ってみれば、夢の世界の法則の一部をなすような存在者である。このように言うと、いかにもおおげさに聞こえるが、具体的に言えば、黒猫やカラス、あるいはコウモリのような、現実世界で人々から不吉なものとみなされている動物たちのことである。彼らが登場すると、その夢はとたんに悪い方向に展開し始め、最終的には悪夢へと移行してしまうことが多い。なかでも、黒猫が登場した夢は、強制的にバッドエンドとなり、たとえどんなに警戒したとしても、その運命から逃れることはできない。

 最近頻繁に悪夢を見るようになったことで、ぼくは彼らが果たしている役割に気づいたのであるが、よくよく思い返してみると、彼らはもともとぼくの夢の世界にいて、その不思議な力を行使し続けてきたように思われる。以前きみに報告した気球の夢でも、せっかく空を飛べていたのに、カラスの登場によって、ぼくが宙に浮いている原因が風船というくだらない原因に置き換わってしまった。そのくらいならまだよいほうで、悪夢と呼ぶには足りないかもしれないが、中にはもっと悪質なものもある。あるときは、夢の世界をたいへん愉快に散策しているさなか、突如として黒猫が猟奇的なピエロを引き連れてやってきたこともあったが、あれだけはもう二度と御免こうむりたい。むろんそれは夢だとわかっているので、ナイフで刺されたりしても死にはしないのだが、何度も言うように明晰夢は非常にリアルな夢なので、どうしても恐怖心から心拍数が上がり、夢から離脱してしまうのである。それまでぼくがどんなに夢の中で有利な状況におかれていても、抗うことができない力で悪夢に転換されてしまっては、ぼくにはなす術がない。もちろん現実にいる黒猫にそんな力はないが、夢の世界では絶大な魔力をふるう存在なのだということは、以上の話から十分ご理解いただけよう。

 現実の生活でも、嫌な予感という言葉は比較的よく用いられるのに対して、良い予感という言葉がほとんど聞かれないのは、いったいどういうわけだろう。人間の脳は、良い出来事よりも嫌な事件のほうを好んで記憶するというが、そのことが何か関係しているのだろうか。

 夢の世界では、嫌な予感がすると、たいてい本当に嫌なことが起きるものである。それは、予感というよりも漠然とした未来の予知であり、インスピレーションの一種である。インスピレーションという言葉は、これまで定義せずに用いてきたが、対象の内的性質やこれから起こる出来事に関する何らかの信念が理屈抜きに真であると洞察される事態であると定義できる。エルフとインスピレーションの関係については、まだよくわかっていないが、どちらもぼくの意志とは無関係に勝手に生じてきて、夢の展開に重大な影響をもたらすという共通点を持っていると言える。ただし、エルフがもっぱら悪夢へと夢を方向づけるのに対して、インスピレーションの場合は必ずしもそうではないという重大なちがいがあるのは押さえておいて損はない。

 夢のコントロールという目標にとって、エルフはまったくもって邪魔な存在でしかないが、もしかすると、夢の世界には、エルフとは対照的に、夢を良い方向に導く「モルフェウスの使い」のようなものも存在するのではないかという淡い期待をぼくは抱いている。これまでのところ、この種の存在者を夢の中で識別できたことはないが、ぼくの予想では、現実世界でぼくらに吉をもたらすとみなされている動物がそれに該当するのではなかろうか。「青い鳥」がその好例であるが、他にどのような動物がこの条件を満たすか、ぼくにはちょっと思い当たらない。エルフに関しては、ぼくはこれ以上知識を増やしたくはないが、人間に善をもたらす存在については、積極的に知識を得たいと思っているので、きみの知恵を拝借できれば幸いである。

草々


追伸

 言い忘れたが、ぼくの夢で黒猫が最大の天敵として現れるのは、ぼくが猫アレルギーであることが多少関係していると思われる。

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