11 明晰夢など存在しないという異論(3)

前略

 ぼくらはいま、明晰夢に関する厄介な理論上の問題に関わっている。抽象的な議論は、聞く人によっては退屈に感じるだろうが、合理的な基礎をおろそかにすれば、明晰夢の冒険譚はたちまちのうちにファンタジーと見分けがつかなくなってしまうだろう。

 むろん、両者は似て非なるものである。ファンタジーは虚構であるが、夢の話は、ぼくが実際に経験したものであり、きみも将来経験するかもしれないものだからだ。明晰夢の世界は、ぼくらの経験を超越した異次元の世界ではない。ぼくらひとりひとりが内に秘めた、現実とは異なるもうひとつの世界である。そう確信しているからこそ、ぼくは、「明晰夢は幻想である」というきみの意見に真摯に向き合い、明晰夢が現実のものであるということをきみに納得させようと努めなければならないのだ。

 だがそれは容易なことではない。きみは明晰夢が存在するかどうか確信できないでいる。きみは明晰夢が存在しないという意見に強く傾いている。明晰夢を幻のヘビに例えて言うと、ぼくが見たのはツチノコではなく普通のヘビだった可能性をきみは指摘した。普通のヘビで説明がつくのなら、幻のヘビの実在を仮定する必然はないというわけである。通常の夢の範疇で理解可能な「明晰夢」は、疑似明晰夢と呼ばれてしかるべきであろう。あるいは、きみがそうしているように、もっと詩的な言い方で、「明晰夢の夢」と呼んでも差し支えない。「明晰夢の夢」では、ぼくが明晰夢を見たということは、本当のことではなかったのである。

 それでは、正真正銘の明晰夢など、果たして存在しないのだろうか。きみの説によれば、それが夢だという気づきは、自律的な思考によるのではなく、脳が記憶から自動的に再生したイメージを知覚しているだけである。したがって、気づきそのものが偽であるときみは主張する。

 しかし、ぼくの意見を言えば、夢の中で意識はただ脳から映像を「受信」するだけだという想定は、控えめに言っても、かなり不確かな想定である。たとえ夢が映画を見ることに喩えられるとしても、また、夢の中で意識は、自分ではない別の誰かとしての夢の主人公に自己を同一化しているとしても、意識は映画館の椅子で眠りこけているわけでは決してない。映像を受信する側の意識は、自己を含む夢の世界全体と生き生きと向かい合っているのであるから、夢の主人公の思考がイメージとして意識に流れ込んでくるだけでなく、反対に、こちら側の思考が夢の主人公の中に流れ込んでいくというように、意識は夢の内容に積極的に干渉してもいるのである。

 もちろん、干渉の程度はさまざまであり、非常に弱い場合もあるが、その最も特筆すべき際立った事例こそが、明晰夢なのである。明晰夢への移行において、意識は映画館の観客であることをやめて、完全に映画の世界へと入っていく。だから、ある意味では、意識はもはや「夢を見ている」のではない。現実とは別のもうひとつの世界の中に立っているのである。意識にはもうそれが現実であるとしか思われない。もちろん、意識には、自分がいま夢を見ていることがはっきりわかっている。これは矛盾したことに聞こえよう。だから、正確には、こう言わなければならない。意識には、自分がいま立っている世界が現実とは別の世界だということがわかっている! これは驚きに満ちた体験であり、ほとんど信じられないことなのである。まさにそれゆえに、きみも、このようなことが現実に起こるとは信じられないのだ。

 以上はぼくの経験に基づく説明なので、きみがもし、ぼくの言っていることが嘘やデタラメであると考えるならば、どうしようもない。どうやら、明晰夢が存在するということを、経験によらず正当化することは、不可能なようである。だから、きみの考えを変えさせるには、きみに明晰夢をじかに経験させるしかないが、これは容易なことではない。ぼくとしては、運命の神がきみに明晰夢を授けるのを待つしかないのだ。

 もしきみが、嘘の話にこれ以上付き合うことはできないと考えるならば、明晰夢の話はもうこれきりにしてよい。仮にそうなったところで、ぼくはきみを恨んだりはしない。そのくらいのことで壊れてしまう関係ならば、ぼくときみはとっくの昔に絶交しているはずだ。そうなっていないのは、ぼくたちがつねに、自分自身の意見を、良いことも悪いことも含め、正直にぶつけ合ってきたからである。

 それでは、お風邪など召されませんよう。十分な睡眠と安らかな夢見が、明日への活力となりますように。   草々

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