第28話 ハッピーエンドのその先に①

【七月三十一日 火曜日】


 七月下旬。


 一学期最後の登校日。


 本日をもって俺達学生は長く辛い学校生活から一時解放され、夏休みという名の淡く、脆い仮初の自由を得る。


 嬉しいは嬉しい。


 けれど、若干納得できていない部分もあった。


 それは、“高校生の夏休みは短すぎるのではないのだろうか”という点である。


 大体、一ヶ月程度の休みで一体何をしろと言うのだろうか。


 そんなもん、家でゴロゴロしていたらあっという間に終わってしまうだろう。


 パ〇コの上の部分程度の甘美の量である。


 それに、大学生の方が休みが長いという点にも不満があった。


 聞いた所によると、大学生の夏休みは約二か月もあるらしいのだ。


 なんだそれ、不公平じゃないか、同じ学生なのに。


 そもそも、アイツら普段も全休だとか自主休講だとかで平日からダラダラしてるくせに、長期休暇も大学生の方が長いとはこれ如何に。


 腐敗。


 文部科学省の腐敗を感じる。


 若者の時間的、感情的豊かさを育みたいのであれば、是非、高校生の夏休み期間の延長を考えてもらいたいところである。




「え~ですから、夏休みだからと言って羽目を外し過ぎないように、え~」




 校長先生の有り難くもない、無意味で無駄に長いだけの話を聞き流しながら、俺はふと、昨日見た夢について思い返していた。




 また、あの夢に変化が現れた。




 ぼやけた空白の世界の中に佇む、影のかかった女のシルエット。


 それを、アイツを目にした瞬間の感情が、今もなお鮮明に胸の中に刻み込まれている。


 後悔、悲しみ、苦しみといった後ろぐらい感情。


 羨望、喜び、安らぎといった前向きな感情。


 その相反する二つの感情が、記憶となって俺の体の中に存在していた。


 前者はいいのだ。


 その感情は、この夢を見ると必ず感じていたのだから、今更悩む必要もない。


 問題は後者だろう。


 どうして、そのような感情を突然あの存在に感じはじめたのか。


 それが、分からなかった。


 さらに突き詰めて言えば、夢の中で、その感情と一緒に“ある特定の人物”の顔が思い浮かんでしまったのも疑問だった。


 アイツは、その人物に共通した何かなのだろうか。


 その人物の影響で、この夢は発生していたのだろうか。


 分からない。


 けれど、この夢は元々その人物と出会う前からも見ていたものだ。


 それなら、その人物はこの夢とは関係がないはず。


 なら、どうして。


 何となく、胸の奥底にずっしりと感じられる悪寒を、嫌な予感を感じていた。


 一体、あれは……







 ……はぁ、バカバカしい。


 少しの時間を経て、考えるのをやめた。


 ただ単に、その人物に対する俺の想いが夢となって具現化し、元々見ていた夢と混じっただけなのかもしれないし、そもそも所詮はただの個人的な夢の話。


 周りの人が影響しているなんてまずありえないだろうし、影響していたとしても悩むほどのことでもない。


 それに、以前図書室で調べた時に、あの夢は俺のストレスが具現化しただけのものだという結論を出したばかりじゃないか。


 だから、考えるだけ無駄だと、そう無理矢理煩悩を振り切り、また、つまらない校長の話で気を紛らわそうと壇上に目を向けた。




 しばらくして、長ったらしい校長の話が終わり、終業式は終了。


 はぁ、と溜息をつきながら体育館を出る。


 廊下を歩く生徒達は色めき立ち、これから始まる一大イベントに胸をときめかせてはしゃぎ、その表情は期待と羨望に満ちている。


 喧騒に包まれながら、自分の教室を目指した。


 この後のホームルームが終われば、晴れて念願の夏休みの始まりである。


 だから、彼ら彼女らは浮足立っているのだろう。


 高校二年の夏だ、この休みが終われば、新学期には否が応でも本格的に自分の進路に向き合わなくてはならなくなる。


 高校生活最後の長く、自由な時間。


 それを知っているからこそ、皆その時間を充実した有意義なものにしようと期待を抱くのだ。




 対照的に、三年生の目は死んでいるように見えた。


 これからは受験戦線真っただ中。


 塾と夏期講習と補講に揉まれ、模試や定期試験の結果に悩まされ、苦しんで、悶えて、自分の進路を絞っていく。


 自分も来年そうなるんだなと思うと、少し憂鬱な気分になった。


 九条先……凪先輩が言っていたように、本当に早めに対策していたほうがいいのかもしれない……




 不意に凪先輩を思い出し、三年生の群衆の中に彼女の姿を探した。




 けれど、見当たらない。




 各学年に生徒は二百人余りいるため、その中から一目で特定の人物を探すというのは難しいことなのだろう。


 しかし、それでも、俺は彼女を探さずにはいられなかった。


 実を言うと、二人で外出したあの日から、俺は彼女に会えていなかった。


 駅で別れた後、その日の内に彼女から“当分の間は昼休みの練習もお休みにしよう”という旨の連絡が来て、彼女の意思を尊重してあげたかった俺はすぐに承諾。


 それから顔を合わせていなければ、これと言った連絡を交わしてもいなかったので、ふと、彼女が今どんな状態なのかが気になってしまったのだ。


 母親と話すことはできたのか、うまく説得することはできたのか。


 それだけが、俺にとっての気掛かりだった。




 けれど、俺の方から結果を聞くこともできなかった。


 彼女が自分で立ち向かうと決めたのだから、俺がとやかく口を出すべきではない。


 彼女が自ら話してくれるまでは、俺はどんと構えて待つべきだ。


 そう、あの日自分で決めていたから、俺は自分から動くことが出来なかった。




 結局彼女は見つからず、探すのをあきらめて、俺は自分の教室に戻るべく廊下を進んだ。


 その途中、いつもの、昔から聞き慣れている軽薄そうな声が俺を呼び留めた。




「おい、隼人」




 振り返ると、そこには西野がいた。




「はぁ~長かったな! あの校長、毎回同じような話してないか?」


「それ、俺も思ってた」


「だよな」




 西野は俺の隣に並ぶと、疲れたような声でそう言った。


 西野の主張に共感してしまった俺は、少し高めのトーンで同意の言葉を返す。


 確かに、あの校長は毎回似たような話をしている。


 “人生何事においても根性と忍耐が大事”みたいなニュアンスの話を延々と垂れ流すので、立ったまま聞いてる生徒達の心と体にダイレクトにダメージを与えてくるのだ。


 その時代遅れの価値観と効率の悪い根性論はまさにブラック企業のようで、夏休み明けにもこの話を聞かされるのかと思うと今から憂鬱になる。


 あと、“え~”言い過ぎ。


 一度おふざけでカウントしてみたのだが、200回を超えたあたりで心が折れてあきらめたくらいである。




「そういえば、あれ、どうなった?」




 ダラダラと話しながら二人で歩いていると、不意に西野が聞いてきた。




「あれって何だよ?」


「あれだよ、九条先輩。仲直りできたのか?」




 聞き返すと、西野がそう答え、さらに質問を重ねてきたため、俺もそれに答えを示す。




「あぁ……まぁ、一応普段通りには戻ったと思う」


「あ? 何だよ、心配して損した」




 西野は不機嫌そうにそう言いながら、少しにやけた顔をした。


 おそらく、俺と彼女の不穏な空気を目のあたりにした時から、ずっと気にかけてくれていたのだろう。


 西野のその気持ちが嬉しくて、俺も少しはにかんで、西野に感謝の言葉を言おうとする、けれど……




「んで、進展は?」




 その一言で、感謝の気持ちは消え去り、警戒が心の内に芽生えた。




「だから、そういうんじゃないんだけどな……」


「頑なだな」




 俺が否定すると、西野はそう言って笑った。


 いや、頑なにもなるだろう。


 コイツに俺の気持ちを知られてしまえば、必ず笑いの種にされる。


 それを分かっていたからこそ、俺は西野のその問いを必死に否定するのだ。


 むっとした顔で睨み返すと、西野はまたニヤニヤと顔を緩めた。




「あー、そういえば」




 そのまま廊下を歩いていると、何かを思い出したように西野が言った。




「話変わるんだけど、夏休みのどこかでクラスのみんなで遊ぼうって案が出ててさ、お前も来るか……って来ないか、お前は。悪い、忘れてくれ」




 西野はあきらめたような口ぶりで言葉を切った。


 いつも、この手の誘いは必ず断っていたため、西野も学習したのだろう。


 察しが良いようで何よりだ。




「あー……」




 間延びした声を出しながら、考えた。


 確かに、以前の俺なら言うまでもなく断っていた。


 それを知っているから、西野も深追いはしなかったのだろう。


 けれど、今は、違っていた。


 違っていたと言うよりも、変わっていたんだと思う。


 俺は彼女と共に変わると約束した。


 大事じゃない事からは逃げたとしても、大事な事からは逃げないと約束した。


 だから、西野のこの誘いからも、簡単に逃げるわけにはいかなかったのだ。


 知らない誰かと関わるのは無駄なことなのかもしれない。


 大事なことではないのかもしれない。


 しかし、その考え方が、今回、彼女を救う上で仇となった。


 圧倒的な経験不足。


 人の心が分からずに、何をしたらいいのかも分からずに、あてもなく途方に暮れる原因となった。


 だから、俺にはもっと多くの人との関りが必要なのだと思っていた。


 人と関り、人を知り、人に悩み、人に寄り添う。


 経験を積まなければ見えてこないこともあるのだろう。


 分からないまま進めば、いつかまた必ず立ち止まってしまう。


 それがたまらなく嫌で、怖かった。


 彼女が困った時は、いの一番に手を差し伸べてあげたい。


 彼女が迷った時は、後ろから背中を押してあげたい。


 その想いが、俺にとっては一番大事なことだった。




 彼女は今、立ち向かっているのだろう。


 大事なことを守るために、黒く濁った不安の中を進んでいるのだろう。


 なら、俺も進むべきだ。


 大事なことを守るために、先も見えない、地図もない道に足を踏み入れるべきだ。


 俺は、変わらなければならなかった。


 多くの人と関り、沢山の間違いを知って、大切な人を守れるようになりたかった。


 そのためには、多少の苦労も面倒も必要なのだろう。


 長年持ち続けてきた“他人と関わるのは面倒だ”という気持ちに蓋をして、知らない人間を知るべきなのだろう。


 人は簡単には変われない。


 それは、裏を返せばいつかは変われるかもしれないということだ。


 だから、その初めの一歩を、今、踏み出すべきだ。


 彼女のために。


 自分のために。


 もう、迷わないように。




「……それ、俺も行ってみてもいいか?」




 意を決して、俺は西野に言った。


 すると、西野は急に立ち止まって、ゆっくりとこちらに振り返りながら俺の顔を覗き見た。


 沈黙の中で、見つめう二人の男子高校生。


 何だが居心地の悪いシチュエーションだなと思いながら、西野の返答を待った。


 その、数秒後。




「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」




 西野は後ろに飛びずさりながら、驚愕の声を上げた。




「そ、そんなに驚かなくてもいいだろ!」




 西野のオーバーリアクションに、抗議の声を上げる。




「え、いや、いつもならすぐ嫌そうな顔して断ってくるから……らしくないなと言うか……まさかお前……余命宣告されたとかじゃないよな!?」


「んなわけあるか!」




 すると西野は、戸惑ったような表情でとんでもないことを口にした。


 何て失礼な……というか、遊びの誘いに乗っただけで余命を心配される俺って一体……




「そ、そうか……いや、だって……お前がクラスの集まりに出てくるとか……あり得ないだろ……珍しいを通り越して何かあったんじゃないかと心配になるまであるぞ」


「じゃあ、何で誘ったんだよ……」


「……冷やかし?」


「殴るぞ!」




 コイツ……最初からまじめに誘う気なんてなかったんだ……


 西野の真意を知ってしまい、俺は割と本気の怒号を返した。


 西野はゲラゲラと腹を抱えて笑っている。




「何か、最近変わったなお前」




 目に溜まった涙を拭いながら、西野が言った。




「何がだよ」




 それに、少し不機嫌な態度で問い返す。




「すごく、前向きになった気がする」


「……そうか?」


「うん」




 西野の言葉に、俺は少し動揺した。


 自分ではそんな変化を微塵も感じてはいなかったのに、突然、人からそのような評価を受けると違和感を覚えてしまうのだ。




「やっぱり、九条先輩の影響か?」


「うっ」




 西野の問いに、思わず言葉が詰まった。




「どうなんだよ」


「まぁ、関係はあると思う」


「やっぱりか」




 真面目なトーンで聞かれたせいか、はぐらかすことも出来ずに、ありのままの気持ちを吐き出した。


 すると、西野は真剣な眼差しで言葉を続けた。




「なぁ、隼人」


「何」


「お前、九条先輩の事好きなんだろ?」


「…………は?」




 一瞬、脳がフリーズした。


 全身に熱を帯び、心臓の鼓動が速まっていくのが分かる。


 西野が言った言葉を正しく理解するまでに、数秒かかった。


 そうして、その言葉を正しく理解した時、俺は悟ってしまったのだ。







 ………………バ、バレた。







「ぷっ! ふはは! 図星だな! 全部顔に出てるぞ!」




 西野がニヤニヤしながらこちらを見る。


 はぐらかそうと、すぐさま否定の言葉を考えるも、動揺で頭がうまく回らずに、何も言えずにそのまま西野のいいように弄ばれる。




「何年お前と一緒にいると思ってるんだよ。分かるよ、全部。いや~しかしついにお前も恋愛か! 九条先輩、俺は良いと思うぞ。美人だし、性格も良さそうだし」


「あっ……うっ……」




 何か言おうと口を動かすも、言葉にならない声しか出ない。


 自分の体じゃないみたいに、全身が熱かった。




「まぁ何かあったら俺を頼れ、協力は惜しまないぞ」




 高らかに笑いながら、西野は先に廊下を進んでいく。


 取り残された俺は、ポカーンと西野の背中を眺めるだけ。




 …………いつからバレていた?




 それだけが、気になった。




「に、西野!」


「ん~?」




 先を歩く西野を呼び止め、それとなく聞いてみる。




「い、いつから知ってたんだ?」


「そうだな」




 西野は自分の顎に手を当てながらしばらく考えた後、満面の笑みでそう言った。




「まぁ、最初っからだな!」




 ………………。



 西野のその言葉で、俺は死にたくなった。


 つまりは、あれか?


 俺が必死にはぐらかそうとしていたのも、必死に隠そうとしていたのも、西野には全部バレていて、最初っからアイツの手の平の上で踊らされてたってわけなのか?


 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


 やばい、恥ずかしい。


 いっそのことこの場で殺してほしいくらいである。


 


 俺が変わると一歩を踏み出したその日は、人生で一番の辱めを受けた日となった。


 これから人と関わっていくと覚悟を決めた直後にこの仕打ちでは、正直心が折れそうになる。


 甘くないな、人生って。


 そう思いながら、頭を抱えた。

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