対面 1

 トウマは驚いて、しばらくポカンと口を開けたままでいた。

 白髪。生まれた時から。様々なデラールフ像が巷ではささやかれていたが、これは聞いたことがなかった。

 もちろんトウマが他人と交流を持つのは稀で、情報源はせいぜい注文を受けたり、納品する時の世間話程度である。だから詳しいわけではないが、もし聞いていたら忘れなかっただろう。


「それはつまり……アルビノってこと? 色素欠乏症みたいな?」

『いいえ、それとはちょっと違うんです。白いのは頭髪だけで、他はどちらかといえば濃いと思います。肌は褐色に近いですし、瞳も黒です……その、普段は』

「普段?」

『彼の瞳は、強い《能力》を発揮しようとすると少し赤くなるんです。赤というか……赤っぽく発光するんです』


 わお。

 トウマは回れ右をして、このまま小屋に戻りたい誘惑に駆られた。


 目が赤く発光する?

 これでは、ひとではないとか、悪魔の血を引いていると吹聴されるのも無理はない。そんな特性を背負って、それでも普通の人間に混じって平穏に生きたいと願うのは、なかなか難儀だ。


 トウマの本心を見透かしたのだろう、ローサシアは唇をすぼめて眉間に皺を寄せた。


『デラールフは確かに特別です。でも心は誰よりも平和を求めているし、穏やかで愛情深いひとです』

「いや、別に疑ったわけじゃないよ。というか、そうであることを願うよ……」


 それからローサシアはしばらく口をつぐんでいたので、会話は続かなかった。


 きっと彼女はデラールフのことを考えているのだろう。死者の多くは残していく者をおもんぱかる。そのせいで地上に留まるのだ。


 その思いも、いつかは消えてしまう運命だけれど……。



 * * * *



 昼下がりの町中は静かで、石畳の目抜き通りで出くわすのは、人間の数より犬の数の方が多いくらいだった。

 トウマは時々思うのだが……多分、犬や猫の中には死者が見える個体がいる。

 数匹の犬がトウマにではなくローサシアに向かって、狂ったように吠えていた。ローサシアはすでにその事実を知っているようで、吠えられても慌てず、たしなめるように手で払うだけだった。


『こちらです。ピートルの酒場というお店なんですけど、二階が宿屋になっています』


 トウマはローサシアに先導されて、古い石造りの二階建ての建物へ向かった。

 案内されたその酒場は町の中心から少し離れていて、まさに場末と呼ぶにふさわしい荒れた雰囲気が遠目にも伝わってくる惨状だった。


 看板が剥げ落ちている。

 酒を飲んでそのまま小便したり、嘔吐する客がいるのだろう、入り口に近づくとすえたような匂いが鼻を突く。

 入り口の扉は木製だが、蝶番が一部取れかかっていて、たいして強くもない風に吹かれてギィギィと音を立てていた。


 トウマは扉の前に立ち止まった。


「あのさ、まず最初に言っておくけど……僕は君の言葉を彼に伝えるだけだからね。一応、自己紹介と、君が見えるって説明だけはするけど、僕がデラールフを説得するとか、そういうことはできないから。僕はただの伝言屋だからね」


『はい……大丈夫です。わかっています』


 本当にわかっているのだろうか。

 ローサシアの瞳はすでにトウマを見ていない。崩れ落ちそうな酒場の扉を見つめて、その奥にいるはずの、かつての恋人に想いを馳せているようだった。


 もしデラールフが聞く耳を持たず、トウマを追い出したら……ローサシアはどうするだろう。素直に諦めるのだろうか。

 それとも他の死者達のように、しつこくトウマを追い回してくるだろうか。

 なんとなく……それはないような気がした。

 そしてなんとなく、それは寂しいような気もした。

 もしかしたらトウマは、ローサシアにわずかな好意を、そしていくばくかの同情をデラールフに感じはじめているのかもしれない。


 死者であるローサシアは、スッと吸い込まれるように扉の向こうへ消えた。


 トウマはそうはいかない。

 間違った角度に力を入れたら外れてしまいそうな廃れた木の扉を、慎重に手で押す。ギィ……と乾いた音を立てて、ピートルの酒場はトウマの前に姿を現した。


 意外なことに、内装は想像していたほどひどくはなかった。

 古色に染まった木の床、木のテーブル、木の椅子、木の給仕カウンター……。すべてが濃い色合いの木製で、まるで森の中に戻ってきたような錯覚がする独特なおもむきの内装だった。


 ただ、薄暗くて、周囲がよく見渡せない。

 トウマは小さくつぶやいた。

「こんにちは…………誰かいますか?」

 返事は、まるで当然のように、ない。まだ酒場に客が入る時間ではないし、カウンターの奥にも店番がいる気配はなかった。


『トウマさん、こちらです』

 店の奥からローサシアの声がして、トウマは首を伸ばす。

「どこだい?」

『右へ曲がってください。それからまっすぐ突き当たりまで進んでください』


 ローサシアの声色がわずかに震えている気がしたので、トウマは慎重に尋ねた。「……彼はどんな様子なの?」


 言われた通りに右へ曲がり、テーブルと椅子の間を縫うように前へ進む。古い木板張りの床はトウマの歩調に合わせてギシギシと軋んだ。


 突き当たりの壁の前に、ローサシアがひざまずいているのが見えた。


 ローサシアの横には、稀に見るほどの長身の男が、足を折り曲げて床に転がっている。


 男はトウマに背を向ける格好で、白が汚れたようなベージュのフード付き外套を羽織っていた。フードで頭が隠れているので、髪色は見られなかった。

 しかし、肩幅の広さと上半身のたくましさは、床に転がっていても隠せていない。そして手足を曲げていても壁際を占領してしまう、かなりの長身も……。


「生きてる、よね?」

『もちろんです! どうか不吉なことは言わないでください。多分、誰も彼を上の客室まで運んでくれなかったんだわ。抵抗するから……みんな怖がって』


 トウマは長い諦めのため息を吐いて、天井を仰ぎ見た。


「今は起こさない方がいいんじゃないかな? 夜まで待つ? ここ木造だし、火とか吹かれたりしたら全焼しちゃいそうだ」


 ローサシアはフルフルと首を左右に振った。


『デラールフの炎は、焼く対象をコントロールできるんです。例えこの場であなたを丸焼きにしても、酒場には一切火移りしないようにすることも可能です』

「ワア、ソレ、スゴイナー……」

『た、例えばの話ですよ。もしかしたら脅してくるかもしれませんが、本当に丸焼きにしたりはしませんから……』

「じゃあ、起こしていいの?」

『ええ、お願いします』


 仕方なく、トウマは床に寝っ転がっているデラールフの背中に近づいて、膝を折った。

 ここまで近づくと、酒気を帯びた口臭と、かすかないびきが聞こえる。

 不安げに瞳を揺らしているローサシアに見守られながら、トウマは片手でデラールフの肩に触れた。外套越しにも感じられるデラールフの肉体の強靭さに、同じ男として憧れのような……嫉妬のような、相反する感情が入り混じる。


「起きてくれ、デラールフ。君はデラールフ・センティーノだろう? あるひとから伝言を頼まれたんだ。起きてくれないか」


 トウマは引きこもりだが、臆病者というわけではなかった。

 大陸を救った英雄の肩を遠慮なく揺すりながら、彼の名前を繰り返す。最初、デラールフはほとんど反応しなかった。わずかな苛立ちを覚え、さらに激しく肩を揺らすと、デラールフはくぐもったうなり声を出した。


「うる……さ……い」

 空気を震わせるような低いバリトンの声が、デラールフの歯の隙間から漏れる。

 トウマは手を止めた。


「それは、よくわかっているよ。僕だってできればこんな役はやりたくないんだけど、あるひとからどうしてもと頼まれたんだ。目を覚ましたなら、体を起こして、ちょっと僕の話を聞いてくれないか」


 デラールフのうなり声は野獣味を帯びてきた。

「うるさいと、言わなかったか……」

 その語調には、自分は誰にも負けないとわかっている者独特の自信がにじみ出ている。まぁ、肉体的な勝負になれば、確かにトウマに勝機は一切ないだろう。


 しかしトウマには《能力》があった。

 デラールフにはない《能力》が。

 トウマは顔を上げて、デラールフではなくローサシアを見つめた。


「……だってさ。どうする?」


 不出来な我が子を慈しむような微笑を浮かべたローサシアは、トウマに向かって小さくうなずいた。


『正直に言ってしまってください。ローサがここにいると。デラのことが心配で、どこにも行けないでいる……と』


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