第5話 大崎駅の玉ちゃんの乙女の祈り

ですから、空腹のあたしは焼きたてケーキをそれはもう怨めしそうにうらめしや~うらめしや~と、ただひたすらにガン見しながら、ケーキを食べているimaginationの伝導体のつもりで、味気ないグラノーラを口へ一つまみ運んだわけです。

 臭覚の知覚、視覚の制度は、あたしとケーキ屋詩人のおっさんの合作にて傑作の《林檎とクリームチーズのパウンドケエク》をむさぼり食っちゃう映像(すがた)を映し、味覚と胃では、美味しすぎないゆえに食べ過ぎないですむー、と二か条揃った《継母(マミー)の口癖=ヘルシー食材》のグラノーラを受け止め。

 ぽりぽりぽり。味気無い……。ってか、ぶっちゃけまずい。でも、ぽりぽりぽり……。あたしは鳥さんか? という気分にさせてくれる最高にまずい餌。

 梅干を思い浮かべながらつばを飲んで空腹を充たそうとした、数十年前の旧日本兵方の集合の断崖/弾劾の色あせたグリオ/輝しさのタンゴ、『地獄におけるオルフェ』が山手線内のエナジーとあたしに縺れあいます。


ちょうど、ぐるりん山手線があたしの祖父母と生みの母ともう一人、忘れて(、、、)いる(、、)誰か(、、)のお墓のある品川駅にさしかかったからでしょうか、優先席上の荷物を置く網棚に、蒼い風船の中にあたしの祖父母と生みの母のお仏壇が純に現れました。あたしは、太っちゃわないように、焼きたてのケーキいっこを自分で食べる代わりに、唯一あたしの存在を詩心も関係なく、条件付でなく愛してくれた風船の中の祖父母と生みの母のお仏壇にお供えして、そっと手を合わせました。

そして、生きる国でも比喩の国でもないあちらのお国にいるおじいちゃんとおばあちゃんとおかあさんと忘れて(、、、)いる(、、)誰か(、、、)に数滴反響するような結晶を言の葉として贈ります。なぜなら虚構でも逃避でもなく、ちゃんと彼らへは蝶々の愛の詩があるから。


そうして一通りお祈り的なものを終えると、あたしはワゴンに置かれた残りふたつのケーキのうち、芸術のエモーションの薫りをより醸し出しているるん方のそれをば選び、革ジャンのポケットからkittyちゃん柄のフォークを取り出して、さくりんっと、それをケーキに突き立てて、麻酔にかかったようにケーキを一口分だけ掬い取ります。

そして、一口ケーキを

「おいひい……!」

と泣きそうになりながら、とっとこハム太郎のようにゆっくり噛みしめ、残りの余ったケーキは全部、隣の車両との連結部分にちょうどあるウサギさん柄の可愛らしいごみ箱に豪快にドサッっと捨てました。食べ物は粗末にすべきではないのですが、いつものことです。ですからお気になさらずー。

 そいでも、たった一口のバーチャルケーキグラノーラでは、もちろん胃袋もココロも満たされず……。

……だけどね、奈々香、食べて、吐く、の食劇詩のデフレスパイラルよりはずっとましだからね。同じ事務所の女優志願で鳴かず飛ばず/泣くことの韻律だけはお互い長けていた同士のイベントコンパニオンのバイト仲間だった玉ちゃんも、かつてその食べ吐きスパイラルにはまって、痩せたはいいけれど、骨が八十歳のおばあちゃんみたいになってしまっているから、ぽきぽきいつも骨折していて、すっごく辛いよ、食べ過ぎて後悔しても、吐くダイエットだけは絶対にやっちゃ駄目よって、あたしにいつも言ってくれておりました。

玉ちゃんは、[準ミス浦安]とかそういう使い物にならない称号をたくさん持っている血と夢の埃のついた美しい成れの果てのカケラだって自覚してる人だった。猫顔のモデル体系のスレンダー美人だったけれど、あたしにいろいろ教えてくれるその口元から覗く歯は、がたがただった。吐き続けたから、胃酸で溶けてしまったらしいのです。


山手線が大崎駅に着いて、ドッと学生らしき浮かれたり沈んだりの煮物人並みが盛んに乗り降りして、発車間際に『乙女の祈り』の発車曲にのって、どさくさ紛れみたいにちょっとよろけながらこの山手線に乗り込んできた華奢な目を引くオンナノヒト、黒いパイル生地のミニワンピに白いレースがついているグレーのパーカー姿っていう、きめすぎないファッションがめちゃきまっているあの時のままの美貌の玉ちゃんは、

「あ、奈々香ぢゃーん。この歯、今度治すから大丈夫だよー。今うちについてるお客さんが審美歯科医なのさあ。本当は百万ぐらいかかる歯の治療、ただでやってくれるらしーよ」

と、かすれているけど、ちょっと甘ったれたみたいな声で、「久しぶり」のご挨拶も無しに、自分のことうを「うち」って呼ぶ癖もそのままで、あたしに昔みたいにそう話しかけてきました。

あたしはあんまり久しぶりだし、唐突だったし、そのお客さんは信用できる人なの、玉ちゃん……とぐるぐる連でかすめながらも、なにしろこちとら男装していまするるし、コストリ(治療)の最中だしで、「うっ」とか、正直戸惑っちゃったんですが、玉ちゃんは、男装とか、今のあたしの社会的地位とかそういうの全部詩句にとじこめてくれようとしてか、とてもさりげなく振舞ってくれました。

彼女、かつての玉ちゃんは余計なことを一切喋らないで、肩にかけていた黒い Diorの鞄から静かに水晶の六角形のピルケースを出して、そいで、一万二千円かけて綺麗にジェルコーティング&すずらんの押し花アートが施されたネイルの長く美しい指、白魚って言うか、完成された繊細なヴァニラの香りのすずらんの花の可憐な絵画のような影像美のその細い指先で、ピルケースをすいっと開け、白い錠剤を一錠出して、お水も飲まないで、唾でゴクリ、とそれを流し込み、そして、メンソールの煙草も鞄から出し、煙草の箱から一本取り出し、くわえたのです。


……『乙女の祈り』/その車両空間には哀しきアデージア……。


「玉ちゃん、身体にもよくないし、電車内、普通に禁煙だよお? だから、タバコやめてみたら?」

と、あた詩はその玉ちゃんの透明の水晶のワーズワースを壊さないように、けれども心配だから思わず玉ちゃんに話しかけたの。そうしたら、玉ちゃんはちょっと楽しげに、

「奈々香、男になったら社会性出たじゃん」

って笑ったんだ。あた詩は、ちっとも嫌な気がしなかったから一緒に微笑んで、

「本当? 出ちゃった? 社会性、出しちゃったかー」

なんてなんてに、男装するといふ行為以外で自分の文字でふざけることができたの、あた詩。

そして山手線は巡って『遠い青空』が発車音として流れる有楽町へ虚ろに到着。

トオイ、ソラ、トオイね、リアルなアオゾラは……と、また東京をぐるりん巡るために山手線は走り出す。


(続くよ…)

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