2.日本家屋

 自らをアンドロイドだと語った女の子を前にして、私はどう対応しようか非常に迷っていた。

 確かに、この子はまるで作り物のように整った容姿をしている。

 あまりに整いすぎていて、逆に人間離れしてしまっていると感じるほどにだ。

 だけどだからと言って、この子がアンドロイドと言われて「はいそうですか」と納得できるはずもなかった。

 そもそもとして、私の中にある常識からしてみれば、アンドロイドなんてものは機械的な印象が拭えないものだ。

 搭載された人工知能によって簡単な会話はできるが、しょせんその程度に過ぎず、こんな人間と見紛うようなアンドロイドなど私は見たことも聞いたこともない。

 そんなものは漫画やアニメといった創作の中だけの存在だ。

 だから私が真っ先に出した結論は、この子は自分をアンドロイドだと思い込んでいる頭がおかしい女の子、というものだった。

 はっきり言って「いきなりなに言ってんのこの子」って感じであり、それを実際に口にしてしまいたい衝動にも駆られた。

 しかし同時に、こんな幼気な女の子に真っ向から辛辣な言葉を浴びせるのもどうなのか、と躊躇もしてしまう。

 第一不可抗力とは言え、私はさっきまでこの子の胸を無遠慮に揉みしだいてしまっていたのだ。

 ここにさらに無礼を重ねるのは、人としていかがしたものだろう。

 ゆえにこそ、ここで譲歩するべきなのはおそらく私の方である。

 数秒ほど沈黙してそんな感じの思考を繰り広げて、私はひとまず、この子の言うことを受け入れるフリをしてあげることにした。


「……うん、よろしくね。えっと……エフ・エンジェルちゃん?」

「敬称はいりません。わたしはあなたの所有物となりましたので」

「しょ、所有物っ?」

「はい」


 いきなりなに言ってんのこの子……。

 えっ、もしかしてそういうプレイ? 私、そんな趣味ないんだけど……。

 いろいろと物申したいことはあったが、受け入れるフリをすることを決めた以上、ここはスルーしておくべきか……。


「あー……うん。じゃあエフ・エンジェル……は、ちょっと長いな……んー、エンでいいかな? そっちの方が呼びやすいし」

「了解しました。識別名を『エン』に設定します……登録が完了しました」


 識別名て。

 所有物云々と言い、これは相当頭を病んじゃってますね……。

 これがいわゆる電波系というやつなのか。

 電波系とは、妄想癖を持つ人や、言動が意味不明な人などを指す言葉だ。

 今目の前にいる女の子――エンはまさしくその特徴と合致している。

 自分がアンドロイドだと思い込み、それっぽく言動もロールプレイして、あまつさえ会ったばかりの相手の所有物などとのたまう。

 常人には理解できない感性だ。

 もしかしたら過去になにか酷い目にあって、こんな風に心を閉ざさなければ耐えられなかったとか、そんな感じなのかもしれない。

 こんな小さいのに、可哀想に……。

 ……まあ、それはそれとして。

 ここ……どこだ?

 エンにばかり気を取られていたが、上半身を起こし、周囲を見渡してみると、その異常性に疑問を抱かざるを得なかった。

 無機質な部屋だった。枕元に鎮座する巨大な機械が放つランプが主な光源で、薄暗く辺りを照らしている。

 枕元とは表現したものの、実のところ枕なんてものはない。私が今の今まで寝ていたのは、人が一人入るのが限界という程度の広さのカプセルの中だった。

 そのカプセルの外殻から伸びたコードが別のいくつもの機械に繋がって、なにかの数値やメーターを表示し続けている。

 どの機械も稼働していることは明らかなのだが、その割に誰も管理していなかったのか、どこもかしこもだいぶ埃をかぶっていて、ずいぶんと長い年月の経過を感じさせる。

 少なくとも私はこんな怪しい施設で寝た記憶はない。

 昨日だって私は、いつもと同じように家のベッドで、寝て…………あれ……。


「……私……昨日なにしてたっけ……」


 昨日だけじゃない。

 それ以前の、言ってしまえば産まれてから今に至るまで記憶のほとんどががらんどうになっている。

 親がいた。友人がいた。

 そんなことは漠然と覚えているけれど、その顔や声、どんなことを話していたかなどがまったく思い出せない。


「状況分析……完了。推測。超長時間に及ぶ人工冬眠の副作用によって脳組織が一部損傷し、全生活史健忘か逆行性健忘、またはその両方に陥っているものと思われます」


 どうにか思い出せないかとウンウン唸っていると、エンがそんなことを言った。


「人工冬眠……って、コールドスリープ?」

「肯定します。体調が正常かつ不自由なく会話が成立していることから、損傷は軽微なものでしょう。じきに自己回復によって、完全破壊された以外の一部の記憶は戻るものと予想されます」

「あー……」


 この子本当に症状が末期だなぁ。

 コールドスリープなんてあるわけがない。

 あるいは、この子なりに妄想を交えて励まそうとしてくれているのか。記憶は絶対戻るから大丈夫! って感じに。

 いろいろ思い出そうと四苦八苦してみたところ、確かに記憶はほとんどないが、知識まですべてがないわけではないようだった。

 そしてその知識の中には、コールドスリープに関するものも存在している。

 コールドスリープ――人体を低温状態に保つことで、老化を防ぐ技術のことだ。

 その実現方法としては冷凍と冬眠の二通りが考案されているが、そのどちらに関しても難しい問題を内包している。

 まず冷凍の場合に生じる問題だが、こちらは冷凍する際の体積膨張で細胞が破壊されてしまうという欠点がある。

 要するに、生きたまま冷凍し保存することが非常に難しいのだ。いっそ不可能と言ってしまってもいいくらいには。

 一方で冬眠を活用する場合に関しては短期的な実験であれば成功している。が、こちらは長期的な運用が困難である。

 それというのも、冬眠というシステムはあくまで心拍数やエネルギー消費量、新陳代謝を極限まで抑えるものであって、完全になくすものではないことが理由に上げられる。

 いくらエネルギーの消費を最小限に抑えようとも、何年も飲まず食わずで生き続けられるはずがない。

 加えて、長期に渡って基本的生命活動を停止することで後遺症が生じる可能性も無視できない。

 そしてその障害が発生する箇所の筆頭は生命の最重要部位、脳だ。

 さらに、それ以外にも骨や筋肉の退化の危険なども考えられる。

 元より人間はクマなどと違って冬眠に適したつくりの体ではないこともあり、とにかく危険が付き纏う。

 一番現実的な方法としては、冬眠を活用した短期的なコールドスリープを何度も繰り返し続けることだけれども……私はそんなに何度もこんな場所で目覚めた記憶はない。

 というか、記憶ほぼ全部抜け落ちてるけど……。

 脳の損傷で記憶を失っているという今の私の状況は、コールドスリープによって生じる後遺症の症状と酷似している。

 だから、逆説的にコールドスリープをしていたとも考えることもできなくもない。

 しかし百歩譲って仮にそうであるとしたって、いろいろとおかしい点がある。

 周囲の埃のかぶり具合からして、おそらくは誰も部屋や機械の手入れしないまま、数年から数十年が経過している。

 さきほどの仮定である何度も短期的なコールドスリープを繰り返す方法にしたって、こんな状態では実行されていたようには到底見えなかった。

 何年、何十年。そんなにもの長い間肉体を保ったまま眠り続けるなど、人類にはまず不可能だ。

 現実性がある推測を立てるなら……最初からこの部屋はこの状態だったと考えるべきだ。

 たとえば、私は誘拐犯かなにかに昏倒させられてしまって、その後こんな辺鄙な部屋に運び込まれてカプセルの中に入れられたとか。

 それなら、この辺りに数十年ぶんの埃が積もりまくっているのにも説明がつく。

 だから実際に寝ていたのは数時間から数日……長くても数十日程度のはずだ。

 記憶がないのは、頭を打ったからか、はたまたなんらかの薬品で喪失させられたか。

 だいぶ荒唐無稽ではあるけれど……コールドスリープなんかよりは、よっぽど現実性がある考え方だ。

 そうして私が現状について脳内で分析を重ねていると、エンが申しわけなさそうに眉を伏せた。


「スキャンを行えば脳の詳細もわかりますが、医療用のアンドロイドではないエンには人体への直接的なナノマシンの投与は許可されていません……役に立てず申しわけありません」


 ナノマシン……細胞よりもさらに小さい極小サイズの機械だっけ。

 ただ、それはコールドスリープ以上に実現の目処が立っていない技術だ。なにせあまりに小さすぎる。

 しかし仮に実現できるなら、特に医療分野での活躍が見込めるらしい。


「や、いいよ。それより、エンはここがどこかってわかる? あいにく記憶がないからさ。全然わかんなくて」


 カプセルから降りて、腕を回したり、ぴょんぴょんと飛び跳ねたりしてみる。

 よし。体は問題なく動くみたいだね。


「ここは元日本の州末市です」

「元日本?」

「はい。人類はすでに絶滅し、国の概念は消失しています」

「あーはいはい。了解」


 そういう設定ね。おっけーおっけー。

 それにしても、州末市か。

 どこかで聞いたことがあるような、ないような……懐かしい気がしなくもない、気もする。

 こんな風に感じるってことは、記憶をなくす以前から住んでいたりしたのかな。


「つい六時間前、エンは廃墟の地下であるここで人工冬眠の状態にあるマスターを発見し、人工冬眠を中断させました。人工冬眠状態の解除、体温の復元に五時間かかりましたが、無事目覚めに成功しました」

「えーっと、六時間前に見つけて復元に五時間……って、それ、残りの一時間は?」

「単純に眠っていました」

「あ、はい」


 コールドスリープ云々はともかく、一時間眠りこけていたというのは本当のように感じる。

 なんかずっと体揺さぶられてた感覚あったし……ちょっと申しわけない。

 なにはともあれ、今は早くここを出ることにしよう。

 エンの言うことは八割くらいが妄想で溢れているので、ぶっちゃけほとんど信用できない。何事も自分の目で外を確かめてみるのが一番だ。

 出口らしき階段の方に歩き始めると、エンも私の後ろをついてくる。

 所有物がどうとか言ってたし、きっと構ってくれる人がいなくて寂しいんだろうな。ついてくるつもりなら拒絶はしない。

 階段の先にあった上方向への扉を開けると、ずいぶんと古めかしい和室に出た。

 どうやらエンの言う通り本当に廃墟の地下だったようで、あちこちが荒れて朽ち果てている。

 地下室は石階段だったが、急に木造建築が目の前に出てきて、ちょっとばかり困惑した。

 見たところ、大きな日本家屋の一室のらしい。

 そして地下室への入り口は隠し扉だったらしく、閉じてしまえば畳にしか見えなくなった。


「ここが私の家……ってわけないか」


 天井から落ちた板が床に転がっていて、柱は今にも折れそうだ。建物の形を保っているのが不思議なくらいだった。

 私が意識を失っていたのは、おそらく長くても数十日のはず。そんな日数でここまでのオンボロ屋敷にはならない。

 やはり、あくまで私は誰かにここに運び込まれただけだ。誰が、なんの目的でそんなことをしたのかはわからないけど。


「わっ――」


 ひとまず外に出ようと歩き出そうと足を踏み出すと、急に床が崩れる。

 予想だにしない事態に転びかけてしまったが、咄嗟に伸びてきた小さな手に腕を掴まれて、グンッと体を引っ張られた。


「気をつけてください、マスター。建物の腐食、及び老朽化が進んでいるため、慎重に歩かなければ床が抜け落ちる危険があります」

「あ、ありがと。ここまでボロい建物になんか入ったことなかったから、そこまで思い至らなかったや」


 少し考えればわかることではあったが、現状への困惑で視野が回らず、その少しが抜け落ちてしまっていた。

 っていうかエン、力強くない? エンって私より頭一つぶん以上小さいのに、今片手で引っ張ったよね? それでなんで引き上げられるの……。


「大きな衝撃で天井が崩落する危険もわずかながら考慮されます。くれぐれもお気をつけください」

「え、そこまで……わ、わかった。慎重に、慎重に……」


 ちょっとビビりながらも、このまま立ち止まっているわけにもいかないので、床が抜けないか一歩ずつ確かめながら、エンの助言通り慎重に進んでいく。

 大体五秒で一メートルくらいの移動だ。

 エンくらい体が小さかったら、軽いしもうちょっと速く進んでもいいんだろうけど……私エンよりもお姉さんなもんで。

 決して私の体重が重いからというわけではないぞ。それだけは違うからな。


「うへぇ……なにここ」


 時間をかけて外が見えるところに出ると、私は辟易としてため息をついた。

 青空から照りつける太陽の光のおかげで、その有り様がよく見える。

 地下室があった部屋は内側だったのでまだ形を保っていたが、外に面するここはもう散々だった。

 床や壁には植物が根を張り、蔦が侵食し、そこもかしこも穴が空いている。

 ここは縁側のようで、そこから庭の様子も見えるが、こちらもひどいありさまだ。

 あちこち腐葉土が積もって雑草も生い茂り、本来の形を知るよしもない無惨な姿に成り果てている。

 遠くの方に塀があるため、敷地の外までは見えない。そしてその塀も、これでもかというほど蔦や苔で覆われていた。


「こりゃ、放置されて数年とかってレベルじゃなさそうだなぁ……エン。この近くに海ってある?」

「否定します。川はありますが、州末市の周辺に海はありません」

「うーん、そっか」


 環境によっては……たとえば海が近くにあれば、植物の成長が加速することもあるだろうし、建物の腐食も海塩の影響で早まったものだと納得できる。

 だけどその場合はこんなにも大量の腐葉土が溜まることもないだろうから、その可能性が低いこともわかっていた。

 単純に、ここ自体が数十年に渡って放置された建物だと考えるのが自然だ。


「こんな風になるまで誰も手入れしてなかったってことは、ここ廃村とかなのかな……人がいるところまで行くのは骨が折れそうだなぁ」

「エンがこれまで観測した限り、マスター以外の人類はすでに絶滅していますので、その目的の達成は非常に困難を極めます」

「あー、うん。そうだったねー」


 エンの頭を乱雑に撫でて、とりあえず出口を探すべく行動を開始する。

 エンは撫でられた部分を、なんだか不思議そうにペタペタと触っていた。


「……っていうか、なんだこの服……」


 明るいところに出て、よくよく自分の体を見下ろしてみれば、私は今、なんかすごいピッチリした黒いインナースーツを身につけていることが判明した。

 体のラインも完全に浮き彫りになっているのはもちろん、防寒用のスーツというわけではないのか、肩とか太ももとかところどころ露出して、見るからに恥ずかしい格好だ。

 寒いし、せめてなにか上に着たい……あと裸足だから靴下も……。

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