第3話

 落ちていく。暗く、冷たい、底の無い場所へ。いや、ここには上も下も無い。落ちているのも錯覚だ。そうだ、ここには何も無い。ああ――――――これが、死か。


「って、私、死んで……ッ!?」


 口から私らしくない素っ頓狂な声が飛び出て、自分が死者でないことに気付いた。木製の狭い部屋。どうやら冒険者ギルド支部の一室に、私は寝かされていたらしい。

 いや待て、確認しろ。意識が途切れる直前の記憶はあるか?そうだ、私はあの金色の獣に絶掌ブラストの魔法を行使し、その直後……恐らく出鱈目な威力のアッパーカットを食らって、私は気を失った。よし、整合性はある。死からの蘇生の後の記憶の欠落も無いはずだ。私は死んでいない。


「起きたか、美しき獣ビューティフルビースト。無論死んではいないぞ、手加減はした」


 心臓が止まった。否、そのように錯覚した。私の傍らには、私を殺しかけた張本人、クロウリーなる青年が椅子に座り、暢気に本を読んでいた。タイトルは……ナコト写本?聞かないタイトルだ。

 少し落ち着いて、私はこの男に皮肉の一つでも言ってやろうという気になった。


美女と野獣ビューティ&ビーストとかけたつもりか?センスの無い駄洒落だ。そこはせめて眠れる森の美女スリーピング・ビューティだろう」


「ここは森ではなかろう?それに洒落のつもりではない。貴公の絶掌ブラストの威力、正しく獣のようだった。激情と理性が良く精錬された、良い魔術であった」


「褒められても全く嬉しくないな。というか謝れ」


「先に手を出したのは貴公だ」


「ぐっ……わかった、私も謝らんからお前も謝らんでも良い」


「そうか」


 それだけ返し、クロウリーは再び視線を本に移した。しかしそんな状態でも彼には一切の隙が無い。そこに存在するだけで圧力と言うべきか、重力と言うべきか、兎に角そういったものを発生させているように思える。

 魔動機文明時代のある著名な学者は、「質量を持つモノ同士は互いに引かれ合う」と言った。かつての人族の叡智が失われ、その言葉は何かの謎かけのようにしか思われていないが、この男を見ていると、その言葉を信じたくなる。無限大の質量、他者を惹き付けてやまない呪いじみた存在感。私はやはり、この男から目を離せずにいた。


「あっ、メディ起きたんだ、良かったぁ」


 クロウリーによって凝固していたこの空間の空気は、一人の少女の明るい声で溶解した。頭の上の丸っこい動物の耳。鼠だった。


「ああ……すまないな、いきなり暴れて」


「ビックリしたよー、突然攻撃魔法なんて。すぐさま机の下に隠れたから良かったけど」


 あの時鼠はそんな動きをしていたのか。それに気付かない程、私は視野が狭くなっていたらしい。


「エールの支払いもしていなかったな」


「それはクロさんが払ってくれたから大丈夫だよ」


「むっ……」


 私は、この金色の獣に借りを作るのが気に入らなかった。思わず睨んでしまう。


「些事だ」


 気にするな、ということらしいが、私はその態度が益々気に入らない。しかし、ならどうしてほしいのかと聞かれれば黙るしかないから、これは理不尽な感情だと気付く。


「いや……感謝はしておく」


「不本意そうだ。何、余も貴公を殴り飛ばした、どうしてもというならそれであいこだ」


「そう、だな」


「なにさ二人とも、アタイがいない間に仲良くなっちゃって。お邪魔だったかい?」


「やめろ、この男と二人きりでいられるか。冗談にしても趣味が悪い」


「そうだな、余はラット、貴公にも話がある」


 それは鼠にとっても意外だったらしい。「へっ?」と可愛らしい声を上げて、クロウリーを見つめている。


「依頼だ。この街に隠れ住む『教団』と呼ばれる者達の調査、あるいは壊滅」


「クロさん、アタイはただの探し屋だぜ?そういうのは冒険者に頼みなよ」


「余はこの街で貴公より強い人物を知らん。三賢者というのはそうかもしれんが」


 確かに鼠は強い。軽戦士としても斥候としても一流以上の腕がある。並みの冒険者が彼女と戦っても、服の裾に触れることすら叶わないだろう。


「メディ、貴公にも頼みたい。絶掌は第五階位の魔法だが、それ以上の魔法も使えよう?」


 またあの目だ、不吉な金色の闇。私の内側に入ってきて全てを暴く瞳。私はすぐに目を逸らして、ぶっきらぼうに答えた。


「私が使えるのは第九階位までだ。それで、依頼内容はわかったが、報酬は?」


「調査に成功しなんらかの情報が得られたのなら1万、壊滅させられたなら更に追加で2万、一人当たり計3万ガメルを支払おう」


「アタイやる!」


「おい」


 思考する速度より素早く鼠が声を上げた。私はそれを諫めるがもうダメだ、目がガメル銀貨になっている。


「その依頼をこなして、お前に益はあるのか、獣」


 その呼び名は、自然と口に出ていたものだ。自分でも気付かなかった。


「余を獣と呼ぶか。やはり貴公は面白い。益、か。余は可能性と才ある者の姿を鑑賞し、成長を促すことが出来る。だがまあ、『教団』が滅ぶこと自体は余に何の直接的な利益ももたらさんな」


「金持ちの道楽、ということか」


「その認識でも間違ってはおらんだろう」


「なるほど、で、その『教団』とやらはなんだ。教会ともまた違うような口ぶりだが」


「貴公らも話していたろう、この国の魔神使いはマガ=ノストルムというかつての魔法王を信仰していると。その者達の集まりだ。教団の長は強力な魔神使いで、マガ=ノストルムの再来と呼ばれているらしい……ここまで聞くのだ、依頼は受けるのだろうな?」


「今の話を聞いて俄然興味が湧いた。私は魔法に関することなら貪欲でね、どんな知識でも炎のように呑み込む。故に紅蓮の魔女と人は呼ぶのさ」


「良いだろう、魔女よ、契約成立だ」


 その契約は悪魔か、あるいはもっと恐ろしいものとのそれだったのかもしれない。だが、今はこの不吉な獣に踊らされてみてもいいと思った。

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