一章 - 「手と骨」の行方5

 志穂とアルコはそれぞれ頼んだコーヒーとカフェモカを受け取って席に着く。無垢材を使った広いテーブルの端には、黒いシャツに黒いロングスカートを合わせた女が座っていた。目の前に置いたコーヒーを見つめた女は、白髪の多さや皮膚のたるみから高齢なのだと分かったが、何より全身からしみ出る「疲労感」が、女の年齢を五倍増しにしていた。

 店のスタッフは店員が二人。どちらも女性で、バックヤードに下がったほうが責任者のようだ。ギャラリーオーナーの浅倉はここにはいないのか。志穂はコーヒーを飲みながらカフェを観察する。人や場所を観察するのは、志穂の昔からの癖だ。

 バックヤードにいた責任者がカウンターまで出てくると、女が立ち上がって彼女のところまで歩いて行く。女が責任者に何かを聞いているが、責任者は首を振って応えている。

「ケーキ買ってくるわ」

 アルコが立ち上がってカウンターに向かう。女は何か訴えているようだが、韓国語なので分からない。

 女の声が徐々に大きくなる。その横でアルコはもう一人の店員にケーキをオーダーし、女を横目で見ながら立っていた。責任者は両手を前に出し、女をなだめている。言葉に詰まった様子の女に、アルコが話しかける。二人は話しながら連絡先を交換したようだ。アルコがケーキの皿をもって一人で戻ってくる。女はそのまま店を出て行った。

「知り合いだったの?」

「違う。それより凄いこと知っちゃった」

「なんですか?」

「さっきの女の人、ソヨンのお母さんみたいよ」

「えっ」

「ねー、びっくりだよね」

「何しに来てるんでしょうか」

「オーナーの浅倉に会いたいんだって。娘は浅倉に殺されたって言ってたよ」

 アルコが唇を横に引いて笑う。

「聞いたらこの作品の売り上げも、遺族である母親には全く入ってないみたい。遺作も浅倉が持ってるはずだって主張してた。せめて遺作だけは自分のもとに取り戻したいんだって」

「そう、なんですか…」

「若くて美しいアーティストの謎の死、跳ねあがるアート作品の価格。なんかワイドショーとかに取り上げられそうじゃない」

 アルコは鼻で笑いながら自分のまつ毛を軽く撫でた。志穂はアルコの横顔を見ていたが、ふと思いついて聞く。

「あの、前に韓国語話せないって言ってませんでしたっけ?」

「んー?」

 アルコはすぐに答えずに、自分の指先についたマスカラを見ている。

「あー、あんまうまくないって意味。さすがに長く住んでたからゼロってわけじゃないよ。韓国語ってそもそも日本語に似てて簡単だし」

 言いながらアルコは立ち上がる。「行こうか、あたし画材買って帰りたいんだ」アルコは結局、チーズケーキには全く手をつけなかった。

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