第31話 愛と復讐とハムスター


 待っていた。ずっとこのときを待っていた。

 目の前にいるのは憎き姉さんの仇。探し続けて、想い続けて――


「死ぬ以上の苦しみを……お前に!」


「――【鮮血の呪鎖クリムゾン・チェイン】!」


 詠唱と同時にそこらに転がる衛兵の身体から血液が溢れ出し、鎖のように形を成して仇の男を捕縛しようと魔の手を伸ばす。

 男は杖でそれらの攻撃を弾くと、吸血鬼の身体に憑依した俺を鋭く睨めつけた。


「不死の肉体に、至高なる頭脳……!ソレが、【魂の鞍替えソウル・コンバージョン】の力か……!」


「魔族と絆を深めないと乗っ取りが恐くて使えない。けど、魅力的な術だろう?まぁ、お前なんかには一生使えないだろうけど。ほら、もう一発!」


「――【鮮血の鋭槍クリムゾン・ランス】!」


 俺は同時に、俺の身体に憑依したブラッディに視線を送る。


「離脱しろブラッディ!アーニャさんと俺の身体を頼んだぞ!メルティも連れていけ!まだ万全じゃないだろうから!」


「しかし、それではマスターが……!」


「安心しろって。お前のこの身体、その辺から血の匂いがする限り魔力が無尽蔵に湧き出てくる心地だ。それに、ちょっとやそっとの傷なんて数秒たてばすぐに再生する。クク……俺が使いこなせばどんな術だって放てる気がするよ」


 にやりと顔を歪ませる俺にブラッディは『殺戮衝動に飲まれるなよ』とだけ注意して、気絶したアーニャさんを抱えて出て行った。俺はその場に残ったメアリィとセラフィに合図する。


「メアリィ、吸精の陣!あいつの魔力を奪い取ってこっちにどんどん流せ!セラフィは光魔法で俺の援護だ!吸血鬼の身体だと光魔法が使えないからな」


「「りょーかい!」」


「貴様……!」


 三対一。窮地に立たされた総帥は、絶望的な状況をどうやら理解したようだ。


「苦しそうだなぁ?さっきまでの威勢はどうした?それとも、コレが壊されたのがそんなにイヤだったか?」


 俺は、さっきの鎖でそいつの手から奪い取った真っ二つに折れたいけすかないステッキを見せびらかす。


「よくも『姉さんの魔力機構』をこんなところに閉じ込めてくれやがって……だが、おかげで姉さんと少し話ができた。そこだけは礼を言おう」


 そして、杖からもう『姉さん』の気配がしないことを理解すると、ソレを無造作に投げ捨てる。攻撃の術を失った男は呆然と立ち尽くすしかない。


「お礼にさぁ、命までは奪わないでおいてやるよ?」


「なっ……!」


 その表情は、歓喜か、安堵か。どこまでも物分かりの悪い奴だ。


(ボンクラめ……)


 俺の視界にふと映ったのは、舞台の瓦礫の下から這い出した白とベージュのぶち模様のねずみ。おおかた実験動物の一部が逃げ出したんだろう。


「お前、顔だけはイイからなぁ。高く買い手がつくことを祈りな!」


「――【魂の鞍替えソウル・コンバージョン】!!」


「え――」


 男の視界に最後に映ったのはなんだったのか。そんなものは知らない。


 復讐を終えた俺達は総会会場と付近の施設を破壊する術式を仕掛けると、ただ静かにその場を後にしたのだった。


      ◇


 長い戦いを終え、元の姿に戻って家路についた俺達を待っていたのは、そわつきマックスで玄関先をうろつくシルキィだった。


「マスタァ……!おかえりなさい!」


 ぎゅうっと抱き着く小さな身体が、今はとっても頼もしい。


「うん。やっぱりシルキィはこうでないとな」


「え……?なんですの?」


「ただいまシルキィ?シルキィが迎えてくれると『帰ってきた』って感じがするよ」


「……!」


 笑顔で答えたはずなのに。何故かわんわんと泣き出すシルキィ。俺はその頭を撫でて聞かれるまでもなく答えた。


「お風呂、入りたいな?」


「はい!もちろんですわ! あの、マスタァ?お背中流し――」


「それはいらない」


「むぅ……!」


「ふふっ、そんなに怒るなよ?あ、痛い!かりかり引っ掻くのはやめなさい!こら、シルキィ!」


 俺の中に、いつもの日常が帰ってきた。

 姉さんと暮らしていた頃のような、あたたかくて、優しい時間。


 それから気を失っているアーニャさんをシルキィに任せ、疲労している使い魔たちを杖の中で休ませてから俺はあたたかい湯に浸かって、気を失うように眠ってしまったのだった。


      ◇


 朝になり、それがもう昼過ぎであることを確認してからリビングへ降りるとなにやらきゃいきゃいと騒がしい声がする。


「おはようございますマスタァ!昨晩はよく眠れましたか?」


「うん。調子がいいよ。昨日アホみたいに術を行使したのが嘘みたいだ。ありがとうシルキィ?」


「いいえ!マスタァがお元気なら、それがシルキィの全ての喜びですもの!頼まれていたあの魔女なら二階に鍵をかけて寝かせていますし、ハムちゃんならあの通り――」


「マスター!このハムちゃんお外で遊ばせてもいいかしら!?」


 爛々と目を輝かせるメルティに、俺は釘を刺した。


「おはようメルティ。外はダメだぞ。そいつ、売り物なんだから」


「ええ~?でも、運動不足みたいよ?可哀想!」


 促されるままに視線を籠の中に向けると、回し車をカラカラと回す健気な総帥の姿があった。どうやらハムスターと魂を入れ替えられたことを受け入れられず、混乱して燻る想いをどうにかして発散させようとしているらしい。それとも五月蠅い音を立てて俺に何かを訴えかけているのか?健気すぎて涙が出るな?


「おはよう総帥。気分はどうだ?」


「ちゅう!」


「はいはい。お腹空いたのね」


「ちゅう、ちゅう!」


(なんだその顔。否定してんのか?)


 俺はシルキィから受け取ったヒマワリの種を無造作に籠の隙間からぱらぱらと落とす。その様子に『メルティもお世話する!』と身を乗りだす幼女吸血鬼。俺はにやりと笑みを浮かべて、部屋の隅に拘束されている男を指差した。


「じゃあ、あっちにコレをあげてきてくれるか?」


「え~?あのひと人間よ?食べるの?」


 怪訝そうな顔をしたままヒマワリの種を受け取ったメルティは『ほんとに食べたぁ!』とか言いながら、ベージュの髪の男にご飯をあげている。


「クク……イイざまだな。総帥?」


 にやりと意地悪く笑う俺に、シルキィはおずおずと声をかけてきた。


「……マスタァ?あの男の人なんですの?マスタァが言ってた『お姉さまの仇』って」


「そうだよ?中身たましいがちょっとハムスターと入れ替わってるけどな?」


「ちょっとって……幼女の手から嬉々としてヒマワリの種を餌付けされる成人男性。どう見ても不審者な変態ですわ?」


「仕方ないだろう?あいつは元々変態だ。十数年前に勝手にウチにあがりこんできては『お迎えに上がりました、新人類の聖母よ』とか言って姉さんに求婚しやがったクズだぞ?初めて見たときからずっとキライだったんだ。姉さんを無理矢理誘拐しようとする前からなぁ?」


「マスタァ、ほんとうにシスコ――お姉さまのこと、大好きだったんですのね?」


 その問いに俺は笑って答える。


「ああ。大好きだ。俺は姉さんが大好き。でも、今はみんなのことも大好きだよ」


「……!」


 シルキィは一瞬目を見開いたかと思うと、俺にジト目で訴える。


「でも気味が悪いので、早めになんとかしてくださいな?『アレ』」


「わかってるよ。リリカに連絡して『ヴァルプルギス』にちゃんと引き取りに来てもらうから」


「それにしても、よくもまぁ『ねずみと総帥の魂を入れ替える』なんて思いつきましたわね?」


 その問いに、俺は一生分の意地悪な笑みを浮かべた。


「そう言ってくれるなよ?気に入らない奴をねずみに変えるのは『意地悪な魔術師』の専売特許だろう?」


「なんですか、それ?ふふふ……!」


 思わず笑いだしたシルキィにつられるようにして俺も笑う。

 『マスタァ、晴れやかですわね?』と言ったそのシルキィの方が晴れやかな笑みを浮かべていたように思ったのはきっと間違いじゃないと思いながら、俺は、カラカラと音を立てる回し車を眺めていたのだった。


(姉さん、すべて終わったよ。今まで心配かけてごめん。俺ならもう、大丈夫だから……)


 今度は俺も、姉さんみたいに。誰かを幸せにできるかな……?

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