第15話 愛しい彼のスプーンがもたらしたモノ


「そのスプーン、何に使うおつもりですか?」


(言えない!言えるわけがない!)


 持ち帰ってコレクションする前に舐めてみようか迷っていたなんて!

 口が裂けても言えない!!

 万が一にもバレたら、人としての何かが確実に死ぬ!!


「これは、その……」


 ぷるぷると震え、泣きそうな私を見かねてスライが間に割って入る。

 私は急いで声をあげた。


「ダメッ!ジェラスさんを攻撃したら絶対にだめっ!!」


「けど――!マスターを泣かされて使い魔が黙ってるわけにはいかないんだよ!想い人さんには悪いが、逃げる時間を稼がせてもらうぜ?」


「――【爪牙・美食前菜アミューズ】!」


「牙を剥くか。喰心鬼が、小賢しい真似を……」


 スライの爪が放った幾重もの鋭い斬撃を、いとも簡単に受け流して相殺させるジェラスさん。


(そんな……!いくらスライが手加減してるからって……!)


 短くため息を吐くと、鋭くこちらを睨めつける。


「攻撃してくるということは、やましい心当たりがあるようですね?」


 その問いに私は答えることができない!だって『イエス』なんだから!

 てゆーか……


「どうしてここに……!」


 どうやって私達の姿を認識しているの!?


(【隠密遮断・隠蔽工作ハイド・エンド・シーク】の隠れ身は完璧だったはずなのに!)


 身の回りを確認し直すが、術が失敗した形跡は無いし『彼』の出現に動揺して術が綻んでいる様子もない。けど、この危機的状況に対してみるみる集中力が落ちて術の精度がひどいことになっているのも事実だった。


(私の精神状態がこんなんじゃ、使い魔のスライまで弱くなっちゃう……!)


 咄嗟にスライに視線を向けると、ブラウスの襟を緩めて臨戦態勢を取っていた。私達がギルティなのを察して明らかに怒っているっぽいジェラスさんに対し、何とか主である私を守ろうとしてくれているんだ。


(スライ……『利用されてるかも?』なんて、疑ってごめんね……)


 私はやっぱり、使い魔のマスターとしてまだまだ未熟者……

 そんな私に、スライは声をかける。


「そんな顔するなマスター。心が不味そうだ」


 その声に反応したのは、ジェラスさんだった。


「……ほう?『契約による詐欺』が常套手段の悪魔のくせに、随分とマスター想いじゃないか?」


「マスターには拾われた恩があるんでな。そういうあんたこそ、あんな高レベルな使い魔をほいほい使役して、いったいどういう魔力循環サイクルを回してるんだ?」


「その言葉、そっくりそのまま返そうか?お前の方こそ、いったいどうしてそんな姿をしている?見たところ少年の姿を模しているが、真の姿は“そうではない”だろう?」


(うそ……!ジェラスさんはスライの擬態に気が付いているの?さっきの一撃だけで?それともまさか、一目で見抜いて!?)


「すごい、かっこいい……」


 呆然とした私の口から出たのはそんな言葉だけだった。場の緊張感をぶち壊しにするような、恋に溺れた能天気な発言。

 でもしょうがないでしょう!? かっこいいんだから!

 そんな私に『一旦落ち着け』とジト目を向けるスライ。呆れたまま、ゆらりと構えるジェラスさんに向き直る。


「俺がこの姿をしてるのは、単にマスターはその方が喜ぶだろうと思っただけだ」


「――え?」


(それは初耳だけど?)


「……そうなの?」


 恐る恐る問いかけると、使い魔は平然と答える。


「だってマスター好きだろ?『少年』」


「は!?わ、私はショタコンじゃありませんっ!!」


 急になに言ってるのこいつ!?!? そのカミングアウト今必要!?

 よりにもよって今この瞬間――!


「やめてよっ!?ジェラスさんの前でっ!!」


「そうなのか?てっきり――」


 これ以上余計なこと言わないで!?

 いや、スプーン持ち帰り発覚の時点でだいぶアレだけどさぁ!?


「違うってば!わ、私はっ!!ジェラスさんみたいに優しくてかっこいい魔術師さんが好きなんだからっ……!!」


「……!」


 驚いたように丸くなる蒼の瞳と目が合う。


(――あ。)


 言っちゃった……本人の目の前で――


 うそ。どうしよう。

 いや、いつかは伝えなきゃって思っていたけれど……!


「あの……!私――!」


 わたわたと取り繕っても時すでに遅し。ジェラスさんは口元に手を当てて、くつくつと笑いを堪えるような素振りをしている。


(あああ……!やっぱり私なんかお遊びでしたよね!?ひとりで舞い上がってすみません!なのに真剣にお付き合いしたいな、なんて――)


 私のバカ……


 そう思っていると――


「その話、詳しく」


 再び蒼の瞳と目が合った。いや、違う。よく見ると蒼じゃない。奥の方からどんどん紅くなっていく……!


「あなた……誰?ジェラスさんじゃ、ないの……?」


 問いかけると、蜃気楼のようにジェラスさんの姿が揺らいで漆黒の外套を纏った青年が姿をあらわした。そして、恭しく私達にお辞儀する。


「直接お目にかかるのは初めてだな?魔女殿」


 柔和な笑みを浮かべながらも、ちらりと覗く鋭い八重歯。そこに居るだけで圧倒的な力と魔力を秘めた存在なのが一目でわかる。私の身体を巡る血もぐるぐると渦を巻いて、まるでこの身を差し出さないといけないような気にさえなってくる。教科書には『会ったらまず逃げること』って、そう書いてあったけど……


「吸血鬼……!」


(すごい、本物だ……)


 ジェラスさんが沢山の使い魔を連れているのは知っていたけど、吸血鬼を見るのは初めてだった。なんか、吸血鬼のまねっこしてジェラスさんにちゅーしてる子なら知ってたけど。

 魔族の中でも伝統があって上位種であるその存在に驚きを隠せないスライ。自分ではどうにもならないと察したのか、臨戦態勢を解いて私を庇うようにして立ちふさがる。


「俺じゃああんたに敵わない。マスターだけでも見逃してくれないか?」


「別に見逃すもなにも。我はその魔女殿に詳しく話を聞きたいだけだ」


 首を傾げると、吸血鬼さんはくつくつと肩を上下させた。


「我が契約者に惚れているそうだな?」


「……!」


「この招待状に魔術をかけた者と同質の気配がしたので追って来てみれば。まさかただの愛好家ファンだったとは。道理で術式に悪意も害意も無いわけだ」


 楽しそうにくすりと笑う吸血鬼の手には、結婚式の招待状が。


「それ……!」


「善意で拾ったのならそう教えてくれればよかったものを。紛らわしい真似をしおって。新手の呪詛かと疑ったぞ?」


「ご、ごめんなさい……!」


(だって、直接お渡しするなんて無理だよ!デートの一回だけでゆでだこみたいに舞い上がっちゃってた私にそんな勇気なかったし!家知ってるのがバレたらどうしようって……)


 俯いてもじもじしていると吸血鬼は招待状を懐にしまう。

 そして、楽しそうな眼差しを私に向けた。


「魔女殿に悪意がないことはその顔を見ればよくわかる。かような女子に見初められるとは、さすがは我が契約者だ。して魔女殿?詳しく聞かせてもらおうか?魔女殿はジェラスのどこが気に入ったのだ?」


「はえ!?」


 面と向かって聞かれると恥ずかしいよ!!


「これから長く付き合い添い遂げるやもしれん者なのだ。美点のひとつやふたつでは物足りなかろう。かといって、妥協した結果我が主を選ぶというのであれば看過できん。あの者は過去に傷を負い、尚己が魂の美しさを保つ稀有な人間。我はジェラスには幸せになって欲しいと考えているのだ」


「そっ、添い遂げるだなんて滅相もない……!」


「……イヤなのか?」


 不機嫌そうにぴくりと動く、吸血鬼さんの眉。


「そんなわけな――!」


 添い遂げ――なんて想像したらまた顔が熱くなるじゃないですか!

 でも、式は青い海の見える真っ白なチャペルがいいな♡

 白のタキシード、ジェラスさんにとっても似合いそうだな♡

 なんて……


 ゲシッ。


(痛っ!)


 妄想に耽っていたらスライに脛を蹴られた。

 そんな場合じゃないって? はやく吸血鬼をなんとかしろ?


(そんなこと言われても……)


 吸血鬼さんてば、よっぽどジェラスさんのこと大切なのかすっごいぐいぐい来るし……どう考えても悪い人には思えない。私は深呼吸をして吸血鬼さんに向き直った。


「ジェラスさんの好きなところ、いっぱいあります。昔助けられたとかを差し引いても沢山。けど、私はちゃんとした形ではまだ二回しかお会いできてなくて。まだまだジェラスさんのこと知らなくって……」


「それで?」


「もっと知りたいなぁっていつも思っているんです。だから、今日はつい魔が差してスプーンを……」


 懐からスプーンを取り出し、ぺこりと頭を下げながら私はそれを差し出した。


「本当にごめんなさい!どれだけ謝っても許されないのはわかっています!でも、できればジェラスさんには――」


 喉の奥から言葉を絞り出していると、吸血鬼さんは私の手をそっと押し戻した。スプーンは握らせたままで。


「ソレは魔女殿に差し上げよう。今回だけ、内密にだぞ?」


「え――?」


「今回の件を我が契約者に伝えることはない。主の恋の行方をただ見守るのも使い魔の役目。ただ、もし魔女殿が契約者の心を弄ぶようなことがあれば――」


「そんなこと!絶対にありえませんから!」


 力強くそう答えると吸血鬼さんは立ち去ろうとする。私はその背に思い切って声をかけた。


「あ、あの!最後に教えてもらえませんか!?どうして、隠れている私のことがわかったんですか?」


 それは純粋な疑問であると同時に、唯一自信のあった【隠れ身ハイド】が見破られたことに少し落ち込んでいたのもあると思う。憧れのジェラスさんの使い魔なんだから吸血鬼さんにはそれくらいできて当たり前なのかもしれない。でも、それでも私は知りたかった。少しでも魔術の腕をあげて、一歩ずつでもいいから彼に近づけるように。

 おずおずと答えを待つ私に、吸血鬼さんはフッと笑う。


「我が契約者は『銀杖の悪魔』と呼ばれし術師。銀と魔術的相性の良い体質ゆえ“銀食器”にその痕跡が残っていれば、血の契約で結ばれた我がその気配を追跡することなど造作もない」


「それで吸血鬼さんは――」


「ブラッディだ」


(名前……!)


 魔族が魔術師に自ら名前を教えるのは、『特別な信頼の証』でもある。


「我が名はブラッディ。マスターが幸せになれるというのなら、協力を惜しまない。我は魔女殿が気に入った。そちら側につこう」


(そちら側?)


 なんか、他にも候補とか方法があるみたいな含みのある言い方……

 でも、その信頼が今は嬉しい。

 私は心からの感謝を込めて頭を下げた。


「ありがとうございます、ブラッディさん!私、がんばりますから!強くなって、可愛くなって、少しでもジェラスさんに振り向いてもらえるようにがんばりますから!」


「……ほう。期待してもいいのか?」


「はいっ!」


「そのスプーンが、いずれ貴女を契約者の元へと導くことだろう。舐めるかどうかは――貴女次第だ」


 くすくす。


(バレっ――!?)


「そんなこと!しませんよぉ!!」


 変態じゃないですかぁ!?


 ……今更だけどね。

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