第10話 聖女の結婚式と最強魔術師


 『結婚式に行こう』。そう決意を固めたと思っていたのに、俺は盛大に風邪をひいて寝込んでしまった。身体はダルいし関節が痛む。喉はそこまで痛くないが、身体中が熱くて寒くてどうしようもない感じ……


(ツラ……)


 こんなとき、おかゆを作ってくれる彼女が欲しい……


 俺はベッドの中で布団にうずくまりながら切に願った。


 いくら最強魔術師といえど術はあくまで自然治癒の『促進』をするだけ。そのスピードについていける体力が無い場合は再生力やら免疫力やらをどれだけ高めたところで効果が薄い。そもそも頭がこれだけガンガンと痛むのだからまともに詠唱なんてできるわけがないだろう?詠唱っていうのは、ただ言葉を口にすればいいってもんじゃないんだよ。

 そんなこんなで、風邪は魔術師にとっていわば天敵のようなものだった。


(あつい、さむい。結婚式、いつだっけ……?)


 結局、招待状の返事も出せていない。シルキィが手紙を捨ててしまったとはいえ招待されていたのなら形式に乗っ取らずに『行く』と一筆知らせるだけでもいいはずなのに。それがひどく大変なことのように感じてしまう。


(心のどこかで、俺はまだ行きたくないと思っているのか?)


 我ながら、どこまでも女々しい奴だ。


「うっ……!げほっ……!」


 寒気に身体を身震いさせていると、寝室の扉からおずおずとシルキィが覗き込む。


「あの、マスタァ?具合はいかがですか……?」


「さむい……」


「そうですわよね。マスタァから流れてくる魔力に元気が感じられませんもの」


「ごめんな、お腹空いただろう?元気になったらちゃんと魔力をあげるから」


 そう。魔術師が風邪に倒れると使い魔もその影響で弱体化する。最低限活動できる魔力を回せはするものの、あまり万全の状態とは言えないのだ。それを知っているから、シルキィ以外の使い魔たちは皆杖から出ずに大人しくしてくれている。


「はぁ……なぁシルキィ?結婚式って、いつだったっけ?」


 その問いかけに、蒼の瞳が一瞬震えた。


「……今日、ですわ」


「え――」


「勇者と聖女の結婚式は、今日ですわ」


「ど、どうして早く言ってくれなかったんだ!?!?」


 俺はベッドから飛び起きるようにして身を起こし、フラついてそのままベッドから転げ落ちそうになる。シルキィは細腕でしっかりと俺を支えると、泣きそうな顔をした。


「だって……!こんな状態で外出なんて無理ですわ!マスタァに何かあっても、今のシルキィたちでは満足にお力になれるかわからないんですもの!危険すぎます!」


「でも……!行くって決めたのに!行かなきゃダメなんだ!」


 そうしないと、いつまでも想いを引きずってしまう気がする。この風邪のように。

 しかし、俺をおさえるシルキィはふるふると首を横に振った。


「シルキィは、マスタァが決めたなら応援すると言いました!けど、身を危険に晒してまで行くとなると話は別ですわ!」


「シルキィ!頼むから行かせてくれ!」


「マスタァ、詠唱もまともにできないのでしょう?転移の呪文も唱えられないのにどうやって東の国まで行くのです?もう間に合いませんわ?」


「……!!」


(うそ、だろ……?こんな、風邪ごときで……!)


「マスタァ?風邪をひいたのも何かの運命。きっとこういう定めだったのですわ?」


 諭すように語りかけるシルキィ。その言葉はどれも俺を労わるためのものばかり。シルキィだって意地悪で俺を引き留めているわけじゃない。


(わかってる。わかってるけど……)


「何が、運命だ。そんなもので最強魔術師たる俺が為すべきことを為せないなど……あってたまるか」


「マスタァ?」


 いつだって。俺は勇者達とそういう逆境に立ち向かってきた。絶望的な運命を切り開くような旅路を経て勝利を手にし、柄にもなく人々に希望を与えてきたっていうのに――


 俺ひとりになった瞬間に、運命なんかに負けるのか……?


 くやしい。そんなの、認めたくない。


 でも、今の俺ではこの悪魔のような風邪をどうすることもできなかった。


「くそっ……」


 己の無力さに拳を握りしめていると、不意にシルキィが手を重ねる。


「マスタァ……そこまでマスタァがお望みなんでしたら……」


「シルキィ?」


 重ねられた手に熱が灯る。


「シルキィ、まさか……!」


「はい。シルキィの生命力を、マスタァに差し上げますわ」


「やめろ!そんなことをしたら、動けなくなるぞ!」


「……構いません。元よりマスタァにいただいている生命力ですもの。今は命まで差し上げることはできませんが、マスタァがお戻りになるまで、シルキィは杖の中で大人しくしています。それで最低限の生命活動を保つことはできるでしょう」


「最低限のって……瀕死状態ってことじゃないか!?シルキィがそこまでする必要は――!」


 声を荒げる俺をなだめるように、シルキィは背をさする。その掌からシルキィの力が流れ込んできて、身体の痛みや熱がみるみる引いて行くのがわかった。頭にかかった靄が晴れていき、体内を循環する魔力が生命活動を活発化させる。


「ねぇマスタァ?帰ってきたら、マスタァがシルキィの背をさすってくださいますか?今、シルキィがしているみたいに」


「シルキィ……!」


「ふふ……こういうこともあろうかと、祝福の天使を呼び戻しておきましたわ?どうか、結婚式のお供に連れていってくださいな?」


「まさか、セラフィを?」


 こくりと頷く蒼の瞳。俺はいつだってこの眼差しに救われてきた気がする。

 初めて会った、その日から。


「マスタァの願い……きっと叶えてくださいね?」


 慈しむようなその微笑みに、俺は約束した。


「必ず……必ず叶える。マヤと勇者に『おめでとう』って言って……」


 ――俺の想いに、ケリをつけるから。


「……ありがとう、シルキィ」


 ぎゅっと抱き締めると、シルキィは心の底から嬉しそうな笑みを湛えた。


「いいんですのよ?シルキィにとっては、マスタァのお役に立つことが、全ての喜びですもの……」


      ◇


 急いで結婚式の行われる東の国のポイントに転移した俺は、そこから式場までの道のりを無我夢中で走った。慣れない異国の地を息を切らしながら神宮を目指していると、盛大な拍手と歓声が。


(あそこか……!間に合え……!)


 目的地が目視できれば話は早い。俺は即座に神宮脇に転移し、神前式の会場を覗き込む。笑顔と幸せが満ちた空間でひときわ輝きを放つ存在――


(わ――)


 そこには、世にも神々しい白無垢に身を包んだマヤがいた。


 角隠しを被っていてもわかる、世界にこれ以上綺麗な人間はいないだろう。優しくて柔らかな笑みを浮かべた、たったひとりの俺の初恋の人。隣には凛々しい和装の勇者がにっこりと佇んでいる。

 ふたりは神職の挨拶を聞き終え、ちょうど退場するところだった。参列者にこれでもかというくらいの祝福を送られ、幸せそうに時折見つめ合いながら退場口付近であるこちらに向かってくる。


(ヤバイ……心の準備が……!)


 すぐさま気配を消そうとした俺の目に一瞬映ったのは、不自然なまま空席にされている参列者のスペースだった。あれは、おそらく――


 俺の席だ……


(あいつら、来るって信じてたんだな。返事も送らなかったのに。最後まで……)


 ほんと、なんてお人好しなんだ。

 だからこそ、こんなコミュ障の俺が数年もの間パーティにいられたんだろうな。


(…………)


 俺は、退場口にやってきた新郎新婦の前に出た。驚いたふたりの目が大きく見開かれる。そして、歓喜の色に染まった。


「ジェラス……!来てくれたのか!?」


「ジェラス君……!もう会えないのかと!ウチ、ジェラス君に嫌われてもうたんかなって思って、さみしくて……!」


 うるっとして本当に寂しそうなマヤの顔。


(俺が?マヤをキライに?そんなわけ……ない、だろ……)


 だって、マヤの晴れ姿を見た瞬間に、それまで感じていた『フラれた悲しさ』も『勇者に対する嫉妬心』も風に攫われたみたいにどこかへ飛んでいってしまったのだから。


 ――ああ、来てよかった。


(また会えて、嬉しいよ……)


 その顔が見れて。嬉しそうな顔が、幸せそうな顔が見れて――すごく嬉しい。


 俺の胸にはその想いだけが満ちていた。

 泣きそうになるのを堪えながら、そっと口を開く。


「久しぶり、ふたりとも。そして――」



 ――『おめでとう……』



 これ以上ないくらいに輝くふたりの笑顔。こくこくと子供みたいに何度も頷いて、さっきまでのすました表情はどこへやら。緊張が一瞬でとけたのか、顔の筋肉が緩み切っていた。その顔を見て、思い出す。あれもたしか、こんな天気のいい日だった。


      ◇


「なぁ、君なにしてるの?」


「…………」


「あっ。ちょっと!シカトすんなって!それより、君のステータスとんでもないな!」


(とんでもないのは、見ず知らずの魔術師おれに何の警戒心も無く話しかけてくるお前の方なんじゃないの……?)


 郊外の木陰で昼寝をしていたら、やたらテンションの高い奴に話しかけられた。しかも、俺のステータスを覗き見るなんて小賢しい真似チートをしてくるような奴。


(風貌からしてどっかから来た異界の勇者なんだろうが、チートがなんだっていうんだ。にこにこして、鬱陶しい笑み浮かべやがって)


 俺は一瞬でそいつのことをキライになった。だが――


「なぁ、俺のパーティに入ってくれないか?絶対退屈させないから!」


「――は?ふざけんな。そんなことして俺に何の得が――」


「退屈してるんだろ?顔に書いてあったよ」


「……ッ」


 ますます気に食わない。心を見透かされたのもそうだし、『絶対ついてきてくれる』って自信満々なその顔も。


「俺たちと来れば絶対楽しいはずだから!な?」


「誰がチート勇者のパーティなんかに入るかよ?俺はホモじゃないんだ、ハーレム要員なら他をあたってくれ。せいぜい女騎士でも侍らせて、楽しむことだな?」


 この世界では、異界の勇者がチートでハーレムな冒険をするのが日常茶飯事。悪さしてる魔族を倒してくれるのはありがたいが、俺にとってはパーティに所属するうま味なんて何もない。適当にキツく当たっておけばもう声をかけてくることもないだろう。そう思ってたはずなのに。


「なぁ!パーティにはいってくれよ!」

「君と俺なら絶対魔王を倒せるはずだから!なんかビビッて来たんだよ!」

「ウチには今魔術師がひとりしかいなくてさ。その子も呪術師で専門ではないから、次のダンジョンに行くのにどうしても魔術師が必要なんだ!」

「ねぇお願い!」


 来る日も来る日も、俺が街に依頼の品を納品に来るのを待ち伏せて、あいつは声を掛けてきた。


「お~い!この人が昨日話したすっごい魔術師の人だよ!」

「わぁ、白い肌に綺麗な銀髪!北国出身なん?いかにもって感じの人やねぇ……!」

「だろ~?ステータスも、もうとびっきり凄いんだから!」

「初めまして!ウチは東で聖女をしてるマヤと言います!よろしくね!」


 うしろから、わらわら仲間が寄ってきて……


(えっ。なにこの流れ。『もう仲間になりました』みたいに自己紹介しないでくれる?)


 でも、そんな賑やかでわいわいした空気は久しぶりだった。


(てゆーか、聖女ちゃんくそ可愛くない?)


 ――どストライク、だったんだよ。


      ◇


 思えば、それがすべての始まりだった。


「遅れてごめん」


 ――色々と。


 ぽつりと零す謝罪の言葉に『いいよ、いいよ』と言って首を振るふたり。


(ああ、やっぱ……お前ら、いい奴だな……)


 俺は俯いて拳を握ると、その手をパッと開いて空間から杖を取り出した。

 だって、俺は――勇者パーティの最強魔術師だから。


「さぁ、構えろふたりとも」


「えっ。ジェラス……?」


 驚きに見開かれる瞳。俺は杖を天高く掲げて唱えた。


「開け、天界の扉――【神来たりし救済ノ門ヘブンズ・ゲート】」


「天界の扉……!?天使を召喚って――ちょっと待て!俺はジェラスと戦うなんてできな――」


 取り乱した勇者の表情に、俺はにやりと笑みを返した。


「……バーカ。そんなわけないだろ?」


「……!?」


「来い。セラフィ」


 呼びかけると、天界の扉が開いて四枚羽の天使が姿をあらわした。金の髪を風になびかせ、翼から光のオーラを輝かせる少女。俺は『久しぶり』と頭を撫でるとセラフィに上空で待機するように命じる。そして、マヤとハルに向き直った。


「俺の愛した大切な聖女と、心を許した大切な友人に……最強魔術師からの贈り物だ」


「「……!」」


「受け取れ。世にも美しき、最高の祝福を――」



「――【天に舞う無限の花嵐グレイス・ド・フルール】」



 唱えた瞬間。一陣の風と共に季節外れの春風が街を包み込む。上空に視線を送ると、セラフィは瞬く間に式場を埋め尽くしていく真っ白な花びらに光を灯した。視界いっぱいにきらきらとした花が舞う中、俺はふたりに呟く。



「……幸せに、なれよ?」



「ああ……!絶対に!」


「約束するよ!」


「「ありがとう!!」」


 花嵐よりも綺麗なその笑顔を土産に、俺はその場を立ち去る。だってこれ以上は眩しくて、陰キャの俺には厳しいから。今が最高のタイミングだ。

 その背に大きな声がかけられた。


「おーい!」


 まるで小さな子どもみたいな、あのときみたいな、屈託のない明るさで。


「また遊びに来てくれよ~!!」


「ウチら、ふたりで待っとるから!いつでもおいで~!」


「はは……子どもかよ?」


 でも、その素直さが俺を救ってくれたんだ。


 俺は勇者パーティの、最強魔術師だった。でも、俺が最強だったのは、きっと皆がそうさせてくれたからだと思う。仲間ができて誰かを守りたいと思ったから、俺は昔より強くなろうとした。強くなりたいと思えたんだ。

 今だって、俺がここに来れたのはシルキィのおかげで。いつも俺を心配してくれる使い魔たちのためにもっとちゃんとしなきゃって、そう思ったからここにいる。

 だから――


「……ありがとう」


 俺は誰にも聞こえないように呟いて、天使を引き連れて花と共に姿を消した。

 ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ零れた涙。うれし涙かくやし涙か別れを惜しむ涙かわからないソレを、天使はやさしく指で拭い去ってくれたのだった。まるで、終わりを告げて、ここから始まる――俺の旅路を祝福するかのように。

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