1話 ドラムのキックは心拍音 ④

0421


「それじゃあ、行ってきます。お昼ご飯は冷蔵庫にあるので」


「おう! なんかわりぃな! ありがと」


「じゃ、行ってきます」


「ういー」


 扉を閉めて、和兎は顔を上げた。だだっ広い青空に、雲がちりばめられている。朝の、何処かのどかできりっとした空気を吸い込んだ。今日は、少しだけ肌寒い、三月に逆戻りしたような寒さだった。

 少しだけ歩いた後、一段高い一本道に通じる小さな階段を上がり、和兎は学校へと向かう。

 

(まだ三日か……)


 龍真が来てからまだ三日しかたっていないということに、和兎は内心、驚きを隠せなかった。龍真が来てから、和兎のは壊れてしまったからだ。

 いつも通り、一人でご飯を食べて、一人で洗濯して、一人で眠る。

 二人になってから、ある時は時間があっという間に過ぎ去って、ある時は永遠にも感じられるような時間の伸び方をして、それでもって、夕陽を見たりとか、布団に入ろうとした時には、なんだかんだ言って、「もうこんな時間か」なんて思ったりして。

 そんなことが三日続いたのだ。時間感覚が狂うのもおかしくはない。

 

 和兎は顔を上げた。

 憎たらしいほどに晴れた青空が、自分の事を見下ろしている。

 ベルトコンベアに流されるように道を歩く。まだまだ学校からは遠い。


 龍真というよく知らない居候に家を預けることに、和兎は何の抵抗感もなかった。

 第一に、取られて困る貴重品が財布と家の鍵くらいしかないという事。

 次に、これはとても感覚的な話だが、なんとなく和兎は龍真に、裏表のない……いや、裏ももちろんあるにはありそうだが、それはあるとしてもとことん無害で、加えて、龍真の性格的に隠すこともしなさそうな事だ。


 人には裏表がある。

 その人が心の中で何を思ってるかなんて考えたって意味のない話ではあるが、それでも和兎は、それが気になって仕方ない性質の人間だった。しかし、それは決して、和兎が裏表のない純真無垢な人間の方がよいと思っているわけではない。

 和兎はとにかく、裏を隠されることが恐ろしくてたまらない。

 だから、人生的な秘密はあるが、人間的な裏がない龍真は信頼できた。


(まぁ、僕の感覚なんてたかが知れてるけど……)


 道に沿って歩き続けたら、ようやく学校前の廃商店街にたどり着くことができた。相変わらず、商店街というには妙に広い。

 入り組んだ道をたどって、緩やかな坂を上がる。そこの坂を上がり切れば、学校に到着だ。



|||||||||||||||||

 


 学校についた和兎は、まず先に職員室に向かった。

 つまらなさそうに仕事をこなしている担任に、龍真のことはとにかく伏せて、ただ、雨に降られて熱を出した。とだけ伝えた。


「あぁ、そうか。気ぃ付けろよ」


 担任からの無関心な返事。


「はい」


 和兎は短くそう返すと、職員室から出ようと出口に向う。

 しかし突然、背後から担任に呼び止められた。


「あ、そういや熊谷」


「……はい」


 面倒くささを押し殺してそう返事をすると、またもや無関心そうに担任は和兎に告げた。


「お前、生徒会役員に選ばれたぞ」


「あぁ……。はい、わかりました」


 生返事をして、和兎は職員室から出た。

 扉をしめて、思わず零す。


「やられた……」


 昨日のしわ寄せが、まさかこんなところに来るとは思わなかった。



 教師のチョークが黒板を叩く音が響いた。

 1時間目。窓から差し込む朝日を浴びながら、和兎は黒板をノートに写していた。


 和兎に目立った友人は居ない。

 いや、別にそれはいじめられていたとか、転校してきたとか、そういうモノではなく、ただ単純に、一人でいる時間が長かったから、いつの間にかそういうイメージが付いただけだ。

 人間関係の新陳代謝が起きない閉鎖的な田舎の学校において、いつものメンバー―で固まってしまった集団に入るのと、張られてしまったレッテルと引きはがすのは、とても難しい。

 皆、を口では嫌いつつも、そのに寄生して生きている。それはもちろん、和兎も例外ではない。

 この学校に漂う、妙に気だるげな退屈そうな空気は、そう、入れ替わらない。


 数学教師のチョークが折れた。クラスの空気に、少しだけの揺れが起きる。


 和兎が孤独のレッテルを張られるようになった原因の一つに、住んでいる所が他の生徒と違うということが挙げられる。

 学校を挟んで東側は、電車が通り、住宅地があるごく普通の町々があるのに対し、学校を挟んで西側。つまり和兎が住んでいる方には、基本的に何もない。あるのはあの商店街の残骸と、田畑のみ。

 ――人が住んでいる方が、珍しい。


||||||||||||||


 4時間目が終わり、昼休みになった。

 おにぎりを一つ食べた後に、和兎は学校の図書室へ向かった。


 中学生と高校生が混在するこの校舎の4階に、図書室はある。

 種類は妙に近代文学に偏っているが、詳しく探せば、今流行りの小説や、洋書なんかも置いてある。読書は、和兎の数少ない趣味の一つだ。


 図書室の扉を開けて、薄暗い部屋を通り抜ける。

 本は日光に弱い。古本屋や図書館なんかに窓が少なかったり、あったとしてもカーテンなんかがかけられているのは、そのためだ。

 目に入ったお気に入りの本を取り出して、小さな椅子に座って本を読み、時間を潰す。文字をただ静かに追うだけの時間が流れた。


「……熊谷和兎はいるか」


 ふと、静かだが低く響く声が、図書室に満ちた。


「は、はい、なんでしょう?」


 そういって振り向くと、扉の前に長身の男子生徒が立っていた。多分、先輩。

 先輩はゆっくりと近づくと、何の前ぶりもなく、突然和兎に質問を投げかけた。


「熊谷。体調の方は大丈夫か」


 どうしてそんなことを聞くのだろう。和兎は一瞬ひるんだ後、たどたどしく答える。


「え、えぇ。何とか」


「そうか。良かった」


 張り付いたような先輩の無表情が、少しだけほぐれた。先輩は言葉を続けた。

 

「三鶴に頼まれて、連絡をしに来た。今日、生徒会の集会があるそうだ」


「あ、あぁ、はい」


 悪い人では決してなさそうだが、どちらかと言えば変人と呼ばれるような部類の人だな。と、和兎はなんとなく、直感的にそう思った。

 それにしても、先輩の視線が痛い。

 先輩はただただ、和兎に対してまっすぐな視線を注いでいる。和兎は逃げるように目をそらしたが、それでも先輩の視線が揺らぐことはなかった。

 ふと、先輩が和兎に問いを投げた。


「……場所は分かるか?」


「まぁ、はい」


 和兎がそうなぁなぁな返事をすると、先輩は心配そうに表情を動かした。先輩はそんな和兎を見かねてか、ふと、こんな言葉を続けた。


「俺の名前は、雀鷹谷つみたに八鶴やつるという。何か気になることがあったら、三年の教室に来い」


 八鶴はそう言い残すと、和兎の方を離れていった。

 ふと、扉に手をかけると、思い出したかのように和兎の方に振り向き言った。


「……この言葉遣いが高圧的に感じたのなら、謝る。言い訳をするつもりはないが、許してほしい」


 全く表情を動かさない点においては、反省のはの字も感じ取れないが、その言葉には、誠意が確かに籠っていた。


「……不思議な人だな」

 

 八鶴が出て行ったあとの誰もいない図書室で、和兎はふと、そんな言葉を漏らした。

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