27 きっと泣いて喜ぶわね



 お留守番の日々は少し羽目を外しすぎたかもしれない。

 というのも、やっぱりあたしは【旦那様】のあの凄テクとんとんがないと寝付けなくなっちゃったみたい。あの凄テクはやっぱり凄いのよ。だから眠れないあたしは気を失うまで動き続ける道を選んだ。その結果、使用人達には申し訳ないことをしてしまったかもしれない。

 

「奥様! そちらはいけません!」

 慌てた様子で追いかけてくるのは従僕のトニー。筋肉質でとっても脚が綺麗な少年よ。あたしよりみっつも年下なの。真面目ないい子だけどちょっと頭が硬いみたい。

「大丈夫よ。旦那様は壁の色が気に入らなかったら塗り替えてもいいって。ほら、証拠」

 最初に【旦那様】からもらったお手紙を見せてもトニーはあわわと青くなるばかりだ。

 トニーが慌てる理由は場所にある。これが廊下や食堂の壁ならトニーもこんなに慌てたりしなかっただろう。実際廊下は以前の描きかけの上から巨大な【旦那様】の肖像を描いたり抽象画を描いたりあらゆる場所を塗り替えた。自慢じゃないけどあたしは筆が速い方なの。めぼしい壁は塗り終わったから次は個室ねと向かった先がトニーには問題なのだろう。

 あたしが今侵入した部屋はアーノルドの私室だ。使用人部屋はシンプルだけれど、彼の部屋は他の使用人よりも上質な家具が多く、小さな風景画なんかも飾ってしまっている程だった。あたしに言わせれば趣味の悪い風景画よ。素朴な田舎風景なんて見てても退屈なだけだわ。だってどう見たって彼の故郷ですらない異国の田舎風景よ?

 鬼の居ぬ間になんとやら。初日に自信作のドレスを没収された恨み。アーノルドの部屋の壁を【旦那様】一色にしてやろうという企みがある。

 流石に彼だって自分の主の肖像の上に別の絵を飾ったり剥がしたりはしないだろう。ずっと【旦那様】に見つめられて生活をすればいいと思うわ。

 追いかけてきたトニーは真っ青な顔で、【旦那様】からあたしの創作活動の邪魔をするなと言う命令を下されているので妨害も、けれどもアーノルドに叱られるのが怖いのか協力もしてくれない。つまりただ見ていることしかできないのだ。

 正直なところ家具を動かす手伝いくらいはして欲しかったけれど、あたしの魔力ってとっても便利なのよ。自分の側の物は浮かせられるの。

「家具の移動って浮かせて押っつければすぐなのよ」

 そう教えればトニーはますます青くなる。

「吐かないでね。メイドのお仕事が増えちゃうわ」

 絵の具の臭いが苦手な人もいるものね。

 パレットの上で絵の具を捏ねながら言う。もうめんどくさいからリュックを作って工房のストックをこれでもかというほど詰め込んできたからいちいち補充をしに行かなくて済むわ。

「奥様、これは流石にアーノルド様に怒られますって」

 あわわわわとコミカルな声を上げるトニーを無視する。

 別にトニーの言うことを聞く必要はないもの。

 下描きもせずに壁に絵の具を塗りつける。下処理もしていないからたぶんでこぼこになるわね。でもそれはそれで面白いからありよ。

 お留守番初日に思ったよりも速く夜会用の服が仕上がってしまったから正直なところものすごく時間が余っていた。旦那様が出発した次の日は丸々寝ないで廊下中を塗り替えたし、その次の日は食堂の壁をとりあえずでっかいエミューで埋め尽くしておいたわ。それでも時間が余ったから【旦那様】の執務室の扉の裏にでっかくあたしの自画像を描いておいた。前々からあたしの等身大パネルが欲しいって言っちゃうような人だもの。きっと泣いて喜ぶわね。流石に壁紙はとっても高級そうだったからやめておいたわ。いくら問題児でもその辺はわきまえているのよ。

 そしてちょっと廊下で意識を失ってトニーに回収され寝室に居たけれど、目が覚めたらまた動き出すのがあたし。めぼしいところは大体使っちゃったからアーノルドの部屋を選んだの。流石にメイドの部屋はかわいそうだもの。インテリアってそれぞれ好みがあるし。

 アーノルドの好み? そんなの知ったこっちゃないわ。彼にはちょっとした恨みがあるから。『ちょっとした』ね。そうよ。ものすごく根に持っているわ。

 ぺたぺたと絵の具を塗る。下塗りでなんとなく高さを整えつつきらきら美形の【旦那様】を描く。

「ここは半裸にするべきか着せるべきか悩むわね……」

 正直半分はアーノルドへの嫌がらせなのよね。あたしの作品だったら【旦那様】が保全しろって言うだろうし。まぁ、ドレスの件を謝罪してくれたらちゃんと普通の壁紙っぽい絵に塗り直してあげてもいいけど。たぶん本人は忘れているわね。

 よし、あたしの美化フィルターを掛けた半裸の【旦那様】にしよう。

「せめて服は着せて下さい!」

 トニーが絶叫した。

 ということは、既に壁に描くこと自体は咎めても無駄だって悟ってくれたのね。賢い判断だわ。




 それはもう大作。このあたしが一日がかりで仕上げた【旦那様】の肖像は妄想と美化の世界と言わんばかりに普段は添えない花まで描いてしまったくらいだ。

 これは力作よと、汗を拭えば服も顔も絵の具がべったりね。

 そんなことをしているとなんだか騒がしい。

 遠くからたくさん人の声がするわ。


「旦那様! 助けて下さい! 奥様が」

「屋敷中大惨事なんです!」

「誰かあの方を止めて下さい!」


 次々に使用人達が【旦那様】に泣きついているようだ。ということは【旦那様】がお帰りなんだわ。ついでにアーノルドも。

「アンジェリーナ、おいで」

 静かだけれどもよく通る【旦那様】の声があたしを呼んでいる。

 慌てて顔にべっとり付いた絵の具を袖で拭って声の方向を探すと、部屋を出た瞬間にひょいと持ち上げられた。

「こんなところでなにをしていたのかな? 別館に居なかったから探してしまったよ」

 少し空気が冷えた。あ、怒らせてしまったかしら?

「凄い大作が出来たわ」

 別に反省はしないけれど。

 見て、とアーノルドの部屋の壁を見せれば【旦那様】が硬直する。

「……これは……いや、しかし……」

 感激したような複雑そうな表情をされてしまった。

「ここ最近で一番の出来になってしまったわ。アーノルドがあたしのお気に入りのドレスの件を謝罪してくれるなら普通の壁紙風に塗り直してあげてもいいけれど、やっぱりこの作品気に入ったからしばらくこのままで過ごして欲しいわ」

 想像以上に美しい【旦那様】が描けたと思うの。

「……なぜ私の部屋の家具を移動してわざわざ旦那様の肖像を描いているのですかあなたは」

 アーノルドの呆れた声は困惑が強く滲み出ている。

「毎日旦那様に見つめられて寝起き出来るのよ。いいでしょ? 夫婦の寝室は旦那様がいないときじゃないとだめって言われてしまったから工夫したの」

 正確には等身大【旦那様】シーツを作ることはやめて欲しいってことだったけれど。

「……なぜアーノルドの私室にアンジェリーナの新作があって私にはないの?」

 とても悲しそうな声で言われてしまうと心苦しいわ。

「大丈夫よ。旦那様の執務室の扉にちゃんと描いておいたから」

「本当かい?」

 急に目が輝く。とってもゲンキンね。それに廊下だってほぼほぼ塗り替えたのだからどこに居てもあたしの作品を楽しめるわよ。

「旦那様、奥様になんとか言ってくださいよ。この人一日中ぶっ倒れるまで絵を描いて屋敷中をこんなヘンテコ空間にしてしまったんですよ?」

 ヘンテコ空間とは酷い。これはアートよ。

「素晴らしい出来だよ。ただ、少し気になるのは私の肖像が多すぎる気がするくらいかな。まさか玄関に入ってすぐにあんなに大きな私の顔と対面することになるとは……」

 ああ、あれはあれで力作なのよ。

「すぐに誰のお屋敷かわかるでしょう。夜会に居るキラキラの旦那様を描いたの」

「別館への連絡通路は完全に警告色だったね」

「そう。ミツバチ模様の廊下が少しずつ蜂の巣になっていくの。あたしのアトリエにぴったりでしょう?」

 少なくとも【旦那様】は喜んでくれているみたい。メイド達には「落ち着かない」「なんか怖い」と不評だったけれど。

「ああ、屋敷中が君の作品だなんて素晴らしい」

 本当に喜んでもらえてあたしも嬉しいわ。使用人達からは大不評だけど。

「旦那様、本当にこれでいいんですか? 伝統ある屋敷をこんな風に改造されてしまって」

 トニーは困惑した様子で【旦那様】に訊ねる。

「構わないよ。私も増改築が好きだからもっと増築すればアンジェリーナの作品を描いてもらう壁が増えるね。うん、裏の山を少し崩して増築しようか」

 そんなに部屋数を増やしてどうするつもりなのかしら。やっぱり【旦那様】の行動は理解できないわ。

 それにしても【旦那様】はお金を使うのが好きね。

「ああ、そうだ。アンジェリーナ、お土産があるんだ」

 柔らかい笑みでそう告げられ、手を伸ばされたところで絵の具だらけであることを思い出す。

「あ、今だめよ。絵の具べったりだから」

「独創的な色に染まって素敵だね」

 うっとりと見つめられるけれど、こないだお出かけの時に買ってもらった服の一着だからこれ結構高いやつよ。普段着にって言われたけれど、やっぱり絵の具の餌食になったわ。

 けれども【旦那様】は気にした様子もなくあたしを抱き寄せる。

「ああ、長旅のアンジェリーナ不足が一気に満たされた気がするよ」

 どこを歩いてもあたしの作品と彼は本当に幸せそうだ。

「旦那様が元気になるならたくさん描いた甲斐があったわ」

 浮き沈みが激しい【旦那様】だもの。沈まないようにしてあげなきゃ。

 そう思った瞬間、大きな欠伸が出てしまう。ああ、ずっと気絶するまで動き続けていたから。

「ふふっ、眠そうだね」

「ええ、とってもおねむよ。でも、お風呂に入らないと。絵の具でべたべただわ」

 高そうな服を着ているのに【旦那様】ったらあたしを抱きしめるから服が悲惨なことになっているわ。

「旦那様ー、そんな素敵なお洋服着ているときに絵の具でべったべたのあたしを抱きしめちゃだめよ。お洋服が悲惨なことになっているわ」

「これはこれでいいと思うけど」

 高級素材をなんだと思っているのかしら。やっぱり【旦那様】ってお金を使うのが好きなのよね。

「さて、アンジェリーナをお風呂に入れて、夕食は済ませたかな?」

「忘れてたわ。あと、お風呂はドナに付き合ってもらうから旦那様はついてこなくていいわ」

 今あの凄テクシャンプーをされたらそのまま寝ちゃうわ。

 断ったのに、【旦那様】は放してくれる気配がない。

「アンジェリーナと三日も離れていたんだ。もう離れたくない」

「お留守番中にお屋敷中に絵を描いたからあたしがお風呂に入っている間に見て回ったら楽しいと思うわ。食堂のもいい感じよ」

 やんわりとお風呂にはついてこないでと言っているのだけれど【旦那様】には伝わらないみたい。しょぼんと悲しそうな顔をされてしまうのは本当に苦手よ。

 仕方がないわ。ここは大人しくシャンプーされることにしましょう。

「わかったわ。もう、今日だけ旦那様のわんこになってあげるわ」

 大人しく捕獲されてお風呂に連行されることにしたと意思を示せば【旦那様】は上機嫌になる。

「うん。じゃあ、お留守番中の話を聞きながらアンジェリーナを洗うことにするよ」

「言っておくけど、体は自分で洗うから。旦那様が洗っていいのは髪だけよ」

 そればっかりは譲れない。だけど、たぶん【旦那様】は聞こえないふりをしたわね。




 犬みたいに洗われて、それから軽めの夕食。

 お土産のふわふわしたデザインのネグリジェはたぶん【旦那様】の趣味ね。前開きの釦が大きめで脱がせやすいデザインよ。

「前に欲しがっていた鳥の図鑑も、書店にあるだけ買ってきたよ」

 自慢げにお土産を広げる【旦那様】に呆れる。

「あたしが両手で持てるだけの量でって言ったわよね?」

「鞄一つに収めたからこれなら君でも大丈夫だろう?」

 浮かせて持てる量だけど少し納得がいかないわ。

 お土産の図鑑は鮮やかな挿絵がたくさんのものと写真がたくさん載ったものが全部で五冊。飼育方法や生態が中心の物は除外されてきたようだ。

「なるべく厳選したつもりなんだけどな」

「一冊でよかったのよ。でも、いろんな鳥が見られてうれしいわ。ありがとう」

 ちゅっと頬にキスをすれば痛いくらいぎゅーっと抱きしめられる。うん。いつもの【旦那様】だわ。もう少し加減してくれないとそろそろ壊れそうよ。

 まだまだお土産紹介を続けたい【旦那様】だけどあたしはそろそろおねむが限界。【旦那様】の凄テクでぐっすり寝かしつけて欲しいところよ。

「夜会が終わったらのんびり寝室の壁に描く鳥を選びましょう」

 大きな欠伸を手で隠そうとしたけれど大きなお口は隠しきれなかったみたい。

「うん。楽しみにしているよ」

 優しく頭を撫でて、それからひょいと抱えられる。またわんこみたいに運ばれてるのね。

「アンジェリーナはこの数日で随分たくさん作品を作ったみたいだから疲れているよね。話の続きは明日にしよう」

 こつんと額をくっつけられるとなんだかくすぐったい気分ね。

「旦那様がいないと寝付けないみたいなの」

「おや、それは困ったな」

 ふふふと笑いながら優しくとんとんされると意識はすぐに深い眠りに誘われた。


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