23 今が食べ頃よ
【旦那様】が診察を終えて戻ってくる頃には結局お腹いっぱいクッキーを詰め込んでしまっていたあたしは今日はお夕飯を食べられそうにないわ。残念。
「参ったよ。問診だけかと思ったら血液検査までされてしまった」
少し疲れた様子の【旦那様】は後ろからひょいとあたしを持ち上げた。まるで小さい子供にするように。
「ちょっと、旦那様? あたし重いからそういうことしない!」
これでも普通の成人女性サイズよ。それなりに体重もあるんだからと抗議をするけれど【旦那様】は全く気にしていない。
「大丈夫だよ。アンジェリーナは無意識に浮いてしまうからとても軽いんだ」
後ろから持ち上げられたらびっくりしちゃうわ。
「それ初めて聞いたわ。本当? あたしを騙すために言ってない?」
本当は重いって後から言われたら悲しいわ。
けれども【旦那様】はあっさりとあたしを抱きかかえる。心なしか上機嫌に見えてしまうわ。
「嘘じゃないよ。アンジェリーナ、クッキーはあまり減っていないようだけれど、口に合わなかったのかい?」
どこか残念そうにも見える。この人もあたしにたくさん食べさせたい人なのかしら?
「いいえ。お腹いっぱいになってしまったわ。食べても食べても両隣から追加されるから残りはメイド達に頑張ってもらうことにしたの」
そう答えると【旦那様】はジュール様とカロリー様を睨んだ。こんな表情もするのかと驚いてしまう。
「私のアンジェリーナに無理に食べさせようとするのはやめてもらおうか。アンジェリーナは小食なんだ。夕食が食べられなくては栄養が偏ってしまう」
どうやらあたしの健康面の心配をしてくれているらしい。
「食べる姿がかわいくてつい」
カロリー様はあまり反省はしていないという様子で言う。
「アンジーもあと八十キロくらい太った方が良いと思うんだ」
「ジュールの好みは聞いていないよ。アンジェリーナは私の妻だ」
にっこりと。それでも確かに空気は冷たい。
「ああ、いけない。魔力が制御できていないな。シャーベットを大量に生み出す以外には役に立たないくせにどうも感情の揺れで冷気が漏れるらしい」
どうやら自覚があったらしく、少し慌ててあたしに寒くないかと確認してくれる様子は少しだけ普段の【旦那様】に見える。
「旦那様がぎゅってしてくれたら平気よ」
「そう? なら……部屋でゆっくり今後について話そう。二人で」
耳元で響く穏やかな声は少しくすぐったいような感覚。
そう言えば女性は男性の声にときめく人が多いって聞いたことがあるけれど、あたし、【旦那様】のお声が好きだわ。特にあの魔法の言葉を言ってくれるとき。
「ああ、客室は用意してあるから泊まるなら好きにしてくれ。……ドナ、客人をそれぞれ部屋に案内してくれ。それと、私はアンジェリーナとゆっくり過ごしたいから朝まで人払いを頼むよ」
山のようなお菓子に群がっていたメイドの中からドナを指名して命じる【旦那様】。急に呼ばれたドナはポケットにクッキーを詰め込んでいる真っ最中だったみたい。持ち帰るのかしら? なんて考えて、それから【旦那様】の言葉を思い出して急激に緊張する。
朝まで大事なお話? お説教される? あたしいろいろ怒られる?
怖い。特に今日の【旦那様】はいろいろ波が激しすぎて怖いわ。
逃げようとしたのを察知されたのかがっしりと腰を掴まれてしまう。
「アンジェリーナ、君は……自分から来るときはとても積極的なのに、私が近づこうとすると逃げようとするね」
困ったように笑われ、あたしだって困る。
「えっと……その……心の準備と体の準備が出来ていないっていうか……」
「体の準備?」
「そうよ。いろいろあるじゃない……お話を聞くための覚悟とか……」
健康診断の時だって一ヶ月前からいろいろ準備があるでしょう? それと一緒よ。【旦那様】が近づいてくるとその後の動きが予想できないからいろいろ怖くなっちゃうのよ。今もなにを言われるかちょっと怖いわ。
あたしがどきどきしている間に、すたすたと寝室まで辿り着いてしまったらしい。
あれ? お話をするのに寝室?
不思議に思っていると、中に入った【旦那様】はすぐに部屋の鍵を掛けてしまった。
「お互い、逃げるのはなしだ。いいね」
優しいけれど、どこか覚悟を決めたような【旦那様】はゆっくりとベッドに降ろしてくれる。
「ええ……でもあたし、もう大したこと隠し持ってないわ。前世が男っていうのが一番大きい秘密。次が凄くさえない男だったってところ。あとは……実はオバケがまだ怖い……くらいかしら……」
隠し事はしない方がいい。そう言う話よね。その割に大した隠し事じゃないわね。
「オバケが怖いの?」
「クローゼットのオバケと、ベッドの下のオバケ。実家じゃ寝るときはクローゼットの扉をリボンで結んで寝てたわ。だって、何か出てきたら怖いじゃない」
正直この歳になってオバケが怖いだなんて馬鹿馬鹿しいと思っている。前世じゃそんな非科学的な物って一蹴できたけれど、こんな転生なんてわけわかんないことになっているし、実際あたしは宙に浮くことができるのよ? オバケが存在するかもしれない世界じゃない。怖いに決まってるわ。
「大丈夫だよ。この屋敷では今のところ目撃情報はないから」
笑って頭を撫でてくれるけれど、子供扱いされていないかしら?
ぽんと、少し揺れた。【旦那様】が隣に腰を下ろしたからだ。深呼吸。彼が少し緊張しているのが伝わって、あたしはもっと緊張してしまう。きっと冗談を口にしちゃいけない空気ね。
「君に話すべきかとても迷っていたけれど、君が勇気を出して秘密を打ち明けてくれたんだ。私も秘密を打ち明けるべきだと思ってね」
ぎゅっと手を握られる。少し手が震えているのは相当覚悟が必要な話だからだろうか。
「なにから話すべきかとても迷ったけれど、まずは私の体調について、かな」
侯爵家にとんでもない額の借金があるだとか、あたしのわがままのせいで大変なことになっているだとかそういう話じゃなくてよかったととりあえずは安心する。けど、そんなに深刻な病気なのだろうか。
「私は、想定外のことが起こると頭が混乱して対処できなくなってしまうんだ。混乱すると体が硬直して動けなくなってしまったり、気を失ったり、酷いときは数日熱を出して寝込んでしまうこともある」
それは……頭がショートするってやつかしら?
「元々とても人見知りだし……知らない人に声を掛けるのは怖い。緊張すると震えが止まらなくなるし、困るとすぐ酒に頼る。酔っている間はいつもより人と話せるんだ」
ええ。酔った【旦那様】はとてもにこやかだし、あたしをアンジーって呼んでくれるわ。
「気分の浮き沈みもとても激しくて、酷いときは全く動けなくなってしまうのだけれど、最近は少し調子が良くなってきている。医者も回復傾向だと言ってくれている」
少し緊張した声に聞こえるけれど、口調は穏やかで【旦那様】の真摯な人柄を感じさせてくれる。
「浮き沈みが激しいってことはまた沈んじゃうこともあるってことよね?」
「そうなるね。一日の中でもとても波があるし……元々の性格もあると思うのだけど、アンジェリーナが来てくれてから前よりずっと動ける時間が長くなったんだ」
いや、困らせて悪化させたときの方が多い気がするわ。
「アンジェリーナは私の癒しだから……君自身は勿論、君の作品にもとても支えられている」
そう言えば【旦那様】はあたしの作品をたくさん蒐集しているのよね。病的なくらい。
「君の作品に囲まれているととても気が落ち着くんだ」
柔らかく笑んでくれる。けれどもこれは問題よ。
「……もう一度お医者様に診て頂いた方が良いと思うわ。たぶん集めることを正当化しようとしているだけだから」
これはあたし、ふざけている余裕がないわね。【旦那様】はあたしを特効薬かなにかと勘違いしてしまったのかもしれないわ。
「大丈夫だよ。アンジェリーナ。最近は薬なしでも君と触れ合えるようになったんだ」
「あたしは怪物かなにかだったの? どんな危険な薬を飲んでいたの?」
そう言えば、夜会の時はお薬を飲んで泥酔した【旦那様】だったわ。
「少し心を落ち着かせる薬だよ。気休め程度だったと思う。近頃は本当に大分安定してきたんだよ」
そう言って【旦那様】はあたしの頬に触れる。
「アンジェリーナ、毎日君がかわいくて仕方がない。君が望むようにたくさん触れたいと思う。けど……あと一歩が踏み出せない」
切なそうな表情をされても困惑してしまうだけだ。
「元男なのに気付かれたから、じゃないとしたら旦那様が役立たずなのか同性愛者なのかって考えになっちゃうのだけど」
率直に思ったことを言ってしまうと、深いため息と同時に頭を抱えられてしまう。
「いや……そう言いたくなってしまう気持ちもわかるよ。けど……怖いんだ」
少年のようなどこか情けない様子を見せられ驚く。本当に怯えているように見えてしまったから。
「あたしが怪物かなにかってこと?」
「違う。違うよ……ただ……君を失うのが怖い」
その言葉の意味が理解できない。彼はあたしを崇拝対象のように見ている部分があったけれど、そういう宗教的な部分の話なのだろうか。困惑しながら続きを待つ。
「アンジェリーナ、私に妹は居ないと言ったが、あれは正しい表現ではない。今は居ないの方が正しい」
さらに混乱してしまう。一体どういう話だろう。
「妹が居たんだ。ローラという。君と同じ歳の」
そう言って【旦那様】はまた深く息を吐く。落ち着こうとしているように見える。きっと話すのが辛いのだわ。だって、さっきから過去形だもの。
「違うな。ちゃんと生まれていたらアンジェリーナと同じ歳だった。私の母は、妹の出産で亡くなった。妹も一緒に」
なんと。これは……どう反応すれば良いのだろう。残念? ご愁傷様? こういうのって苦手よ。ご冥福、は違うし、なんて言ったらいいのかわからないわ。
「すまない、アンジェリーナ。こんな話をしても困るね」
優しく抱きしめられる。
「けど、わかって欲しい。私は、君を失うのが怖いんだ。私には、君しかいないのだから」
そんなことを言われても困るわ。
「旦那様はいろいろごちゃごちゃ考えすぎなのよ。だからいっつもいっぱいいっぱいになって大変なのよ」
「え?」
とても困惑しているような声だ。あたしの勢いに怯んだのかもしれない。
「先のことばっかり考えて不安で動けないなんてつまらないわ。人間いつかは死ぬのよ。一度死んでるからはっきり言うわ。いつ死ぬかわからないんだからやりたいことは全部やる。そうしないと絶対後悔するもの」
あたしの前世はいろいろ悔いが残ったから、今はやりたい放題よ。
「明日がまた同じように来る保証はないのよ? だったら、今日やりたいことは全部今日のうちに終わらせた方がいいわ。あたし、しめしめした話は苦手よ」
ぎゅっと抱きしめ返せば、【旦那様】の体が少し震えている。
「アンジェリーナ……すまない……私は……君のようには考えられそうにないよ」
ああ、声まで震えてしまっている。とても不安そうな少年のような彼の背を、いつも彼がしてくれるようにとんとんと叩いてみる。
「養子を迎えようと思っている……出産で君を失うのが怖いんだ……」
「あら、ハニー伯爵家は代々超安産なのよ? それに、出産は未経験だから今世では経験しておきたかったのに」
残念。と言えば、肩になにかが触れる。少し熱くて湿った物がまた触れた。
「君は……ねぇ、アンジェリーナ……君には恥じらいとかそう言う物がやっぱり足りていないよ。それに……とても前向きで自由だ。そんな君が……君だから惹かれたんだ」
あら、泣いているの?
きつく抱きしめられたら苦しいけれど、今は我慢してあげる。
「今度は女に生まれたからかしら。あたしは、旦那様の子を産みたいって思っているわ」
ものすごく、絶対ってわけじゃないわ。この人の子なら産んでもいいかな程度の感覚。でも、元男にしてはとんでもない発想よね。
貴族の娘だもの。嫁いだら子供を産まなきゃっていうのもあるのよ。でも、それだけじゃない。
「あたし、最初からずっと言ってるのに……旦那様にたくさん可愛がって欲しいって」
前世で手に入らなかったからムキになっているってだけじゃない。最初の夜にスルーされたことを根に持っているからってわけでもない。ただ、今はただ【旦那様】にたくさん可愛がって欲しい。この人に独占されたいと思っているの。
「折角あたしを独占する権利を持っているのに、旦那様ったらちっともあたしを求めてくれないから拗ねていたのよ」
そう、言い終わると殆ど同時に唇が触れる。
なにが起きたのか理解するまでに数秒かかった。
触れるだけのキス。だけども昼間のそれよりもずっと温かい。
「アンジェリーナ……君は……いいのかい? 私は……君の自由を奪ってしまうかもしれないよ」
「それは無理ね。あたしはいつだってあたしが一番だから。でも、旦那様の魔法の言葉ですぐに捕獲されちゃうけど」
「魔法の言葉?」
不思議そうに訊ねられる。
「知ってるくせに。あたしが一番大好きな言葉よ」
どうしてかわからない。ただ、その一言がとても幸せな響きに感じられるの。
きっかけはいつだったかわからない。だけども、その言葉は私の魂に響いて、心を震わせ、体を動かす。
たった一言。
「おいで?」
少し迷うように口にした彼に口づける。
「それって世界で一番嬉しい言葉よ」
理由はわからない。でも、呼ばれると嬉しい。必要とされていると思えて嬉しいの。
「今まではお父様やジーンだったけど、今は旦那様に言われるのが一番嬉しいわ」
もう一度キスをしようとしたら、なぜか遮られてしまう。
違う、【旦那様】が自分の口元を手で覆っているんだ。照れているのね。宝石のような青い瞳が揺れているわ。
「君はずるい……いつだって私を揺さぶる……」
「それって最高の褒め言葉ね」
芸術家として誇らしいわ。
「日に日に君を好きになる。アンジェリーナ……自分でもあの求婚は酷かったと思っているんだ。その……最初からやり直したい」
少し迷うようにそう口にする【旦那様】は最初に見たきらきら貴公子と同一人物とは思えないわね。とても不安そうに見えるわ。
「ダメよ。なかったことになんてしないわ。だってあたし、旦那様と過ごした今まで全部、あたしの一部だと思っているもの」
捨てられるかもと不安になったけれど、今の【旦那様】なら大丈夫だと思う。
「あたし、旦那様のこと大好きなのよ。優しくてたくさん撫でてくれて、おいでって言ってくれる……へたれでむっつりで時々うじうじしてるけどそう言うところも全部好き。時々気持ち悪いところもあるけれど、それも旦那様の一部だもの。嫌いにはなれないわ」
ちょっとあたしの過去に拘りすぎているというか、あたしの作品に執着しすぎているところは気持ち悪いとは思うけれど、でも、それがなければ出会うこともなかったのだろうし……。嘘は言っていないわ。
だけど、【旦那様】は未だかつてないほどずっしりと沈んでいる様に見える。
「だ、旦那様? あたし、また余計なこと言っちゃった?」
お口が正直過ぎるところが問題なのは知っているけれど、どれが問題なのか把握できていないから意味がないのよね。アンジェリーナは空気を読むとかそういうものを全部前世に捨てて来ちゃったもの。
「……アンジェリーナ……君は、君は……私をへたれでむっつりの気持ち悪い男だと思っていたのかい?」
あちゃー……そこしか耳に入らないのかしら。
「あたし、社交界のきらきらした旦那様より、へたれでちょっとうじうじしてる旦那様の方が好きよ。じゃなくて……えっと……あたしまた変なこと言っちゃったのね……」
またずっしり沈んだ【旦那様】は今にも蹲りそうだ。
「だからっ! 全部ひっくるめて旦那様が好き!」
もう余計なことを言わないようにしないとこの人窓から飛び降りそう。ここ二階だから死なないとは思うけどあたしの力じゃ【旦那様】を墜落する前に回収するなんて不可能よ。
ぎゅっと頭を抱きしめる。胸元に【旦那様】の顔を押しつけてるみたいになっちゃったけどまあいいわ。
「アンジェリーナ?」
「……生まれ持った自前よ。固さと弾力はお気に入りなの」
流石に自分で言ってこれでは痴女ではないかと思う。
「……君は本当に恥じらいという物がないな」
肩を揺らして、笑っている?
「本当に困った女性に惚れてしまった……いや、女性で良いのかな? 君は、私にどう扱われたいのか確認していなかったね」
ああ、きっとあたしがクリスティーナのことで口うるさく言ったからね。そういうの尊重しようとしてくれるところ、とっても素敵だと思うわ。
「旦那様の前では女の子でいたいわ。でも、やっぱりアンジェリーナ・ハニーはいつだって自分のなりたいものになるわ。気分で男にも女にも鳥にも虫にもなるの」
そう答えると、【旦那様】はどこか楽しそうに笑う。
「君らしくていいね。うん。なら、やっぱり私は君を女性として見るよ」
手が伸びてきた。
「君か子か、どちらかを選ばなくてはいけなくなったら私は迷わず君を選んでしまうけれど、そんな私を許してくれるかい?」
やっぱり大きな手ね。優しく頬に触れられて、今、すごくどきどきしている。
「それは約束できないわ。だって、今は頷けても、その時になったらわからないじゃない。母性本能だとかそういうのが働いちゃうかも」
だって母親なんてなったことがないからわからないわ。
「でも、やっぱり私は君を優先させるよ」
視線が絡む。やっぱり【旦那様】の目、とっても綺麗だわ。混乱していないときはいつもあたしのこと、凄く優しい目で見てくれるの。
「
突然のことで、なにを言われたのか理解できなかった。
「まだ食卓にすら着いていなかったからね」
ぐらりと、視界が揺れる。違う、あたしが倒れたんだ。状況がよくわからない。とりあえず、【旦那様】の下敷きにされている。
「それとも、心と体の準備が必要?」
訊ねるくせに、その手はコルセットの紐に伸びている。
「今が食べ頃よ」
でも、そのコルセット、ファッション用だから紐を解いても緩まないわ。前ファスナーなの。
教えてあげるべきかしら。
でも、折角その気になってくれた【旦那様】がまた沈んでしまうのも悲しいわ。
「あれ? 緩まないな……女性の服はよくわからない……」
「あら? 経験ないの?」
「……私は……アンジェリーナ以外には興味がないと言っただろう? それと……少しくらいは恥じらいを持って欲しい」
気まずそうに言われてしまう。
「あら、ごめんなさい。恥じらいは前世に捨てて来ちゃったの」
それと、あたしが言いたかったのは、女性経験じゃないわ。
「あたしの作品あれだけ集めてるからてっきり一度くらいは自分で着てみたことがあるのかと思ったのに」
「……流石に君の服は入らないよ」
着ようと考えたことはあったのね。
「旦那様、才能あるわ。今度お揃いの何か着ましょう」
「アーノルドが寝込まない程度に頼むよ」
ふふふと笑う【旦那様】はとても楽しそうに見える。意外と乗り気なのね。
「このコルセット、ただの飾りだから紐を緩めても緩まないの」
くびれも自前よ。素敵でしょとふざけている余裕が出てきた。
「女性の服が難しいのか、君の服が難しいのか……」
「着てみればわかるわ。最初はストッキングに苦戦するのよねー」
女装と言えばメイクだのカツラだの言われるけど、ストッキングって結構難しいのよ。それに、ハイヒール。簡単そうに見えて結構大変なんだから。
「趣味を共有してくれる旦那様で本当に嬉しいわ」
「君が私の趣味だからね」
またこつんと、額をくっつけられる。【旦那様】はこの仕種が好きね。
「どうして額をくっつけるの?」
こんなことをするのは【旦那様】だけだわ。あたしの前世の知識と合わせたって他にこんなことをする人はいない。
「どうしてって……アンジェリーナがとても大切だから……そうだね。愛情表現の一つだよ。君ととても近づいてると実感できるし」
「嫌いじゃないけど不思議な感じね」
そうか。前世じゃ嫁とも冷え切っていたせいであんまり人と触れあうってことがなかったから……。
ああ、呼ばれて嬉しいのもそれかしら。あたし、きっと凄く寂しかったのね。無意識に構って欲しい子だったんだわ。
「うん、好きになりそう。うん。これも好きよ。でも、一番は頭を撫でて貰うのが嬉しいわ」
【旦那様】の手は大きくて温かくて気持ちがいいの。背中をとんとんされたらすぐに眠くなっちゃうし、優しく触れられるととっても幸せな気分になるわ。
「あたし、旦那様の手、大好きよ」
「手だけ?」
「あたしのこと呼んでくれる声も大好き。あたしを見つめてくれる目も。全部まるごと大好きよ」
本当に、あたしみたいな変人を受け入れてくれる素敵な【旦那様】よ。
大好きで大好きで幸せ過ぎて意識が遠のいちゃいそう。
「私も、アンジェリーナのなにもかもがかわいらしくて……君が生きて呼吸していてくれるだけで幸せだよ」
重い。やっぱりちょっと気持ち悪い。
でも、それも含めて【旦那様】なのよね。
優しく唇が触れる。とても温かくて蕩けてしまいそうな気持ち。
やっぱり言葉じゃ上手く表現できないわ。
そうして思い出す。嫁いでくる日の馬車の中で、やりたいなと思ったこと。
「ねぇ、旦那様」
「なんだい?」
まだキスが足りないと言う様に頬に首筋にご執着の【旦那様】は少しだけ気怠そうな声を返した。
「ここに来た日の馬車に置いてあったお手紙、鳥の便箋だったから、旦那様は鳥がお好きなのかなって思ったの。だから、寝室の壁に鳥の絵を描きたいなって思ったのだけど」
どんな鳥がいいかしらと訊ねる前に唇を塞がれてしまう。
「アンジェリーナ……ごめん。後にして……今は……君が欲しい」
びびりでへたれでむっつりな【旦那様】はどこへ行ってしまったのだろう。あまりにも積極的過ぎて混乱してしまう。
「や、やっぱり……心の準備と体の準備が……」
逃げ腰になると逃がさないというように捕獲されてしまう。
「怯えないで。大丈夫、優しくゆっくり、残さず食べるから」
見つめられ、頬を撫でられるともう逆らえる気がしない。
「ひゃ、ひゃい……」
情けない声が出た。それが面白いのか【旦那様】はくすりと笑う。
優しく口づけられ、蕩けるような甘い声で名前を呼ばれるだけで頭がふわふわとしてしまう。
ずるい。こんなの勝てっこないわ。
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