10 羨ましいに決まってるじゃない



 二人きりの馬車の中ではそれほど会話はなかった。けれども、話しかければちゃんと答えてくれる。むしろ【旦那様】とこんなに会話が続いたことの方に驚いてしまうわ。

 会場になったシュガー侯爵邸はジェリー侯爵邸とはまた違った方向性で立派な建物。ジェリー侯爵邸をエレガントと表現するなら、シュガー侯爵邸はゴージャスと言ったところだろうか。余白を許さないほど華美な印象を与えるとても立派な建物だ。正直あたしの趣味ではない。どっちも。ハニー伯爵邸を見て。カラフルでポップでクレイジーな素敵な建物よ。

 シュガー侯爵邸には何度か来た事があるけれど、何処を見渡してもあたしの趣味じゃない。特に一人娘のコートニーはあたしの幼なじみだけど、気が合わない。たぶん彼女とは一生理解し合えないと思う。むしろ彼女の婚約者のクリスの方がまだ付き合いやすい。彼女はそれなりにあたしに敬意を払ってくれているもの。

 コートニーの婚約者、クリス・ランチ侯爵令息はランチ侯爵家の次男として生まれたけど体は男で心は乙女のトランスウーマンで同性愛者だ。少しややこしいけれど、彼女はレズビアンという自分を受け入れてコートニーのことも愛している。コートニーには拒絶されているけど。とても勿体ないと思う。

 問題のコートニーは自分の婚約者のクリスよりもあたしの大事な【旦那様】にご執着なのよね。確かに、世間一般では相当整った容姿だし、お金持ちだし、あたしの前じゃなければ硬直したり取り乱したりしない穏やかな色男だもの。惚れるのも無理はないと思うわ。でも、【旦那様】はもうあたしと結婚したのだからさっさとクリスと向き合えばいいのに。そう思うあたしは間違っていないはずよ。

 踊っている最中、つい、意識がクリスに向いてしまったからだろうか。【旦那様】の動きが鈍る。

「お疲れでしたら終わりにしましょう? 飲み物を持ってくるわ」

「いや、もう一曲付き合って欲しい。それとも、アンジェリーナは疲れてしまったかな?」

 思ったよりも力強く手を握られ驚く。

「あたしは平気よ。浮いてるから疲れ知らず」

 勿論浮いていたって疲れることはあるけれど、今のあたしは【旦那様】に振り回されて動いているだけの状態だから、実際よりもダンスが上手に見えるはずだ。

 体を密着させるスローな曲。あたしはもう少しアップテンポの方が好きだけど、【旦那様】とぴったりくっつくのはなんだか新鮮ね。

「アンジェリーナ、着飾った人がたくさんいるけれど、今この空間で一番きれいなのは君だよ」

 耳元で囁かれ驚く。心臓がばくばくしてしまう。驚かせるのはあたしの方のはずなのに、こんな不意打ちはずるい。

「あたしはいつだってあたしが一番よ」

 そう答えると【旦那様】は笑う。

「そうだったね。君のそういうところがすごく好きだ」

 きっとリップサービスだ。そうに違いない。もしくは外で仲がいいアピールをしておかないといけないのだろう。うん。だから無理をして服薬してまであたしをここに連れてきたんだ。

 考えているとむかむかしてきて、二曲目が終わったタイミングで【旦那様】から離れる。あまり遠くに行ってはいけないとは言われたけれど、テラスくらいなら許されるはずだ。

「あら、アンジェリーナじゃない」

 気が強そうな声。すごく聞き覚えがある。

 コートニーだ。青いドレスに機械仕掛けのギミック付き。悔しいけど、ちょっと欲しいと思ってしまう。だって電飾でぴかぴか光るドレスよ? 羨ましいに決まってる。それに、素材はセロファンみたいな透明で光沢のある素材。高級品だ。流石にプリンターをおねだりしたばかりのあたしはおねだり出来ない程度には高価な素材だ。

「相変わらずお金の掛かったドレスね。コートニー。素材と光るギミックだけは褒めてあげる」

「あいっかわらず上から目線ね。ジュリアン様がどうしてあなたなんかに求婚したのか未だにわからないわ」

「あたしだって知らないわよ。アンジーがとってもかわいいから以外の理由なんて思い浮かばないわ」

 そう答えるとコートニーに睨まれる。系統は違うけれど、彼女も美人と言えば美人だし、自分の外見に自信を持ってそれを利用するタイプの女性だ。

「どう見たって私の方が美人だし賢いし綺麗だし優雅だし身分だってあるんだから私を選ばないなんてあなたに脅迫された以外考えられないわ」

 酷い言いようだ。そもそもあたしは現実だとは思わなかったから断らなかっただけだ。

「一体なにをどうしたら頭に蜂の巣挿した変態に求婚するのよ」

「それはあたしも思った。きっとすごく酔っ払ってたんだろうなって。でも、結婚式の時にハゲが思いとどまるように説得したけど言うこと聞かなかったよ」

 あのハゲはハゲでいろいろ失礼だったわ。

 うんうんと思い返しているとコートニーが呆れた顔をしている。

「あなたにはなにを言っても無駄ね。でも絶対ジュリアン様だってあなたなんかと結婚したことを後悔しているはずよ。どうせすぐに追い出されるんだから早く私に譲りなさいよ」

 どうやら既婚者の【旦那様】にまだご執着のようだ。

「いや、でも旦那様があたしがいいって言ったんだから……親からも結婚を諦められていたあたしとしては断る理由がなかったというか」

 断る理由がなかったという消極的な返事だったのに【旦那様】はあたしとの結婚を選んだ。理由はわからないけれど……少なくとも、伯爵家の財産ではなさそうだ。ジェリー侯爵家はお金には困っていないみたいだし。

「断る理由がなかったでジュリアン様っていうあなたのそう言うところが気に入らないわ」

 コートニーは怒って去ってしまう。怒るなら最初から話しかけなければいいのに。

 風が頬を撫でていく。少し冷たい。そろそろシャーベットが美味しい時期が終わってしまう。そう思うと寂しいわ。でも、きっと【旦那様】ならおねだりしたらいつでも美味しいシャーベットを用意してくれるわね。苺のシャーベットも美味しかったなぁ。またあのカラフルなシャーベットの盛り合わせが食べたいな。

 そんなことを考えていたから、後ろから声を掛けられていることにも気がつかなかった。

「アンジー!」

 少し呆れた声。慌てて振り向けば、白にペパーミントカラーの刺繍の入った礼服を着たクリスが居た。

「あら、クリス。コートニーと一緒じゃなくていいの?」

「一緒じゃなくていいの? って……アンジー、僕がコートニーに婚約解消された話聞いてないの?」

 更に呆れた顔をされる。

 婚約解消? クリスがコートニーに? このクリスが?

 確かにクリスはお顔は世間一般では残念な方かもしれないけれど、優しいし身分だって悪くない。そこそこ好条件だ。お顔が少し馬に似ているけど。

「知らない。あたしずっとジェリー侯爵家で旦那様にかわいがってもらってたから」

 実際は可愛がってもらうための戦いをしていただけど、細かいことはこの際どうでもいいわ。

「それ、コートニーに言ったらアンジーを刺しに来るよ?」

「それは困るわ。今日のドレスは自信作なんだから」

 折角【旦那様】のお顔入りなんだから。

「アンジーならてっきり自分の顔のドレスにすると思ったのに、本当にジェリー侯爵が大好きなんだね。アンジーが幸せそうで良かった」

 クリスの言葉に驚く。彼女はこんなにも優しくて、いい子なのにコートニーはどうしてクリスではだめなのかしら。

「あたし、クリスが婚約者じゃなかったことがすっと残念だったのよ? クリスとならずっと楽しくやっていけると思ったもの」

「ふふっ、ありがとう。アンジー、無理に慰めてくれなくてもいいよ。僕の顔が馬面って言われていることにも慣れてるし。美形が好きなコートニーははなから僕を相手にしようなんて思っていないよ」

 クリスは少し疲れたように笑う。クリスは本当にコートニーが好きだったし、彼女にとても尽くしてきたと思う。それこそ、宿題を代わりにやらされたり、流行の店の行列に並ばされたり、予防注射を代わりに打ってきたとかよくわからないこともしていた気がする。それなのに、コートニーは全く彼女を相手にしなかった。それはとても悲しいことだわ。あたしだって【旦那様】に素通りされたら悲しいもの。クリスだってコートニーに邪険に扱われたら悲しいに決まっている。

「アンジー、君にお願いがあるんだ」

 クリスに同情していたから、その言葉にすぐに飛びついてしまった。

「もちろん。なんでも言って!」

 そう、答えたはいいけど、あたしにできることなんてたかがしれている。

「アンジー、僕を、絶世の美女にして欲しい」

「うん。任せて」

 クリスの為ならなんでもやるわとがっちり手を握ったところであれ? 今なにかおかしなことを言われた気がする。

 絶世の美女に? 美形男子じゃなくて? コートニーに振り向いて欲しいんじゃなかったの? あれ?

「そこ、美女でいいの?」

「コートニーより美女になって見返してやるわ」

 きりりとした目。珍しい。いつもはおどおどしているのに。

「じゃあ、胸張っておんならしく歩きましょう」

 いいわ。とっておきの美女にしてあげる。かつてのあのさえない男がアンジェリーナ・ハニーに生まれ変わったように。

 そう、胸を張って歩き出した瞬間、なにかに捕らわれてしまう。

「私の妻に、なにか用かな?」

 にっこりと笑みを浮かべた【旦那様(泥酔)】がクリスからあたしを引き離そうとしている。

「旦那様? またお酒を飲んだの?」

「ほんのグラスに三杯程度だよ。アンジー。このくらい平気さ」

 しっかり腰に手を回している【旦那様】を平気とは思えない。これが素面に戻ったらどうなるのだろう。

「彼は君の友人かな?」

「彼女はあたしの幼なじみのクリス……いいえ、今日からあたしの妹のクリスティーナよ」

 絶世の美女にすると約束したもの。あたしの妹として生まれ変わらせてあげるべきよね。

「妹? 君に妹は居なかったはずだけど……それに、彼はどうみても男性だよ。アンジー、余所で他の男と二人で会うなんて感心できないよ」

 静かに諭すように言われる。だけどもあたしは反論したい。

「クリスは女性よ。彼女は心と体がちょっと間違えちゃっただけ。あたしは彼女を女性として接しているつもりよ。だから、旦那様にもそうして欲しいと思っているわ」

 正直、コートニーよりもずっとクリスの方があたしの理解者だ。

「いいんだよ。アンジー。わかってる。僕は男として生きるべきだって。父も兄もそう言う」

「でも、自分には嘘を吐けないわ。それに、男だってハイヒール履いてもいいじゃない。あたしだってパンツスタイルも好きよ? 煙草は苦手だったけど。ビールも美味しくなかった……でも、好きなものを好きで居ることは悪いことじゃないから、クリスもクリスらしく生きればいいのよ」

 誰かのせいで自分でいられなくなるなんて、そんなのは辛すぎる。

「アンジー……ありがとう。あなたのその強さは私の永遠の憧れだわ」

 クリスにそんな風に言われるなんて思わなかった。

「アンジー、あまり彼と親しそうにしないでくれ」

「彼女よ」

 自分でも驚くくらい【旦那様】に反発してしまっている。きっと、前世のせいよ。ヒールを履くのが好きなくらいでオカマ扱いされたトラウマのせいだわ。あの頃はちょっとヒールを履くのが好きなだけで、自分の顔に絵を描いてみたら美女になっちゃっただけのさえない男だったけれど、今はちゃんとアンジェリーナ・ハニーという女の子だもの。いつだって自分でいることが大事よ。

「……わかったよ。けど、彼女と二人で居るのはよしておくれ。そうでないと、私の心はとてもざわついてしまう」

 仕方なく妥協したという様子の【旦那様】にも納得ができない。けれども、彼と結婚してしまったのだ。ある程度は従う必要がある。

「ごめんねクリス……詳しい話はまた今度聞くわ。メイドがたくさん居る場所なら旦那様も平気だと思うの」

「ありがとう。アンジー、気持ちだけで十分嬉しい。でも、出来たらそのメイクの秘訣も教えて欲しいわ」

 メイクの秘訣、ね。理想を自分の顔に描いたらあたしになるっていうだけよ。

「理想の女を自分の顔に描けばいいだけよ。元の顔は関係ないわ」

 そう答えるとクリスは目を輝かせる。

「大丈夫。旦那様も驚くくらいの美女にしてあげるから」

 それで、その後はどうするのかしら。コートニーより美女になりたいクリスは、絶対にコートニーより美女になれる。けど、その後は? 女性として生きるのか、それとも、このまま他の誰かと結ばれるのか。予想は出来ない。

 でも、それでいいのね。だってクリスはクリスで自由だもの。

「アンジー、君のその美しい視線は私だけに向いていて欲しい」

 顎を掴まれ、上を向かされる。

 しまった。泥酔した【旦那様】を忘れていた。酔っているときは普段と別人過ぎるのに、今日はお薬を飲んだ後の酔いだ。どうなるかわからない。

 撫でてくれたり、抱きしめてくれたりは嬉しい。でも……酔っていない【旦那様】に触れて欲しいと思うのは間違いかしら? なんて馬鹿なことを考えてしまう。

 お顔が近いわ。どきどきする。唇になにかが触れた。

 なにが起きているのだろう。

 硬直してしまうのはあたしの方だった。









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