2 旦那様はこんなお顔だったかしら?

 ジェリー侯爵家から正式に求婚されたと言った父の顔はまだ化かされていないか必死に疑っているようだった。

「あれ、夢じゃなかったんだ」

 随分おかしな夢を見たと思っていた。自信作とは言え頭に蜂の巣を乗っけた変人あたしに噂の美形、ジェリー侯爵が求婚してくるなんてあってはいけないことだ。ただでさえ彼は倍率が高い。社交界のお嬢さん方ハンター達はみんな彼を狙っていたはずだ。あたしは興味なかったけど。

「是非にと繰り返されるばかりでなぜお前なのかはわからないが……まぁ、チャドの友人だ。悪い人ではないだろう。悪い噂もないし……なおさらなぜアンジーを……」

 父は頭を抱える。そしてそれからよその家で問題を起こしてくれるなと釘を刺してくれた。

「父上、彼は既に幾度もアンジーに迷惑を掛けられているはずなのにそれを受け入れて下さっています」

 ユージーンがまだ信じられないといった表情で口を挟む。

「あー、アンジーに額を蹴られたと言っていたな……嬉しそうに」

「こちらとしては求婚を断ったばかりで申し訳ないところにさらにあの一件ですからね……」

 二人揃って頭を抱えている姿を見ると問題児のあたしだって少しは悪いことしちゃったかなとは思う。

「あら? この前の客人の【ジル】という方がジェリー侯爵だったの? 蹲っている姿しか見なかったからわからなかったわ」

 額を蹴ってしまったから相当痛かったのではないかとチャドが言っていた気がする。

「ああ。そのジェリー侯爵がなぜかお前に求婚してきてるんだ。それも複数回。そして今夜はお前が承諾したからとそのまま我が家に乗り込んできた」

 なんで承諾なんかしたんだとユージーンに責められる。

「夢だと思ったのだもの。あんな噂の美形優良物件があたしなんかに求婚すると思う? 普通は思わない。頭に蜂の巣乗っけてたのよ?」

 真顔で言い返せば兄は「だよな」と納得してしまう。

「とりあえず彼が特殊な趣味なのだろうということはわかったが……アンジー、お前が承諾したことになっている。断れない。くれぐれも問題を起こさないでくれ」

 父に更に念を押された。

 どうやら、あたしは本当にあの優良物件の美形に嫁ぐことになるらしかった。




 結婚の準備は恐ろしいほど素早く行われ、三日後にはお迎えが来た。けれどもご本人は来ず、代わりに彼からの手紙が馬車の座席に乗っていた。


 アンジェリーナ、結婚を承諾してくれてありがとう。君を大切にすると誓うよ。私はあまり君と共に過ごせないかもしれないけれど、屋敷の中では好きに過ごして構わない。壁の色が気に入らなければ塗り替えても構わないよ。必要な物があればアーノルドに用意させよう。君が快適に過ごせることを願っている。


 これからよろしく。ととても綺麗な字で綴られている。

 あまり共に過ごせないと言っても結婚初日すら顔を合わせられないのだろうか。正直、美形だなーくらいしか記憶にない。

 思わず溜息が出る。

 窓に映るツートーンヘアは一応結婚式があるだろうから身なりを整えるべきだと思い、昨日染め直した。右は白、左は黒のツートーンはここ三年くらいあたしのお気に入りだ。前はピンクに染めていたこともあるけれど、ツートーンの方がいろいろ合わせやすい。今日はハートに見えるように結ったけれど、ねじればソフトクリームみたいになるのも気に入っている。けれども家族からはあまり歓迎されてはいない。

 少なくとも、あたしの求婚相手ジェリー侯爵はこのあたしを気に入ってくれていると解釈して良いはずだから問題はないだろう。もう一つ不安要素と言えば、今のあたしが本当に異性愛者ストレートかってところくらいだろうか。なにせ前世の記憶持ちだ。前世は男。ちょっとヒールを履くのが好きなだけの、女性と結婚していた男だ。しかし、今は女性として生きていることに特に問題を感じていないし、そもそも前世から恋愛感情が希薄だったからだろうか。特に他人に意識が向くこともなくアンジェリーナ・ハニーとして十九年を過ごしている。まぁ、夫婦の務めに関しては夫の方に任せてしまえば良いか。

 思考を放棄して、もう一度手紙に視線を戻す。

 鳥の絵が美しい便箋だ。好きに過ごしていいと、壁の色が気に入らないなら塗り替えても構わないと彼は言っているのだから、折角だ。壁に鳥の絵でも描こうかな。どんな鳥がいいだろう。クジャクは華やかだけれども、ずっとあると飽きてしまうかもしれない。白鳥なんかは美しいけれど、壁に描くには少し地味だろうか。大型の鳥が好きだ。けれどもあたしの夫は小さな鳥が好きなのかも。彼の趣味も少し考えた方がいい。夫婦生活にはそういう歩み寄りが必要だと聞いたことがある。前世では失敗したけど。どうも女性の扱いはわからなかった。しかし、今のあたしは男だった記憶がある。他の令嬢方よりその辺りは優位かもしれない。

 随分と考え込んでいたらしい。道中なにか絵を描こうと画帳を持ち込んだのに、使わずに到着してしまった。

「お待ちしておりました」

 馬車から降りた瞬間、沢山の使用人が整列して頭を下げているのを見た。が、人の顔を見た瞬間硬直している。

「アンジェリーナよ。よろしくね。えっと、必要な物はアーノルドって人が用意してくれるって書いてあったけど……肝心のジュリアン様はいらっしゃらないのかしら?」

 お行儀良くなんて言われていたかもしれないけど、とっくに行儀なんて捨ててきた。

「私がアーノルドです。旦那様はまだ客人に捕まっていまして……アンジェリーナ様、急ぎお召し替えを」

 どうやら休憩もなしに式の準備をさせられるらしい。どれだけ急いで終わらせたいのだろう。

「髪は昨夜ちゃんと染め直してきたの。一応自慢のドレスも用意したのだけど」

「ドレスはこちらで用意させて頂いています」

 アーノルドはあたしの話を聞いてくれる気はないらしい。

 むしろ一瞬で敵視された気がする。

 今日はできるだけ控えめな服装にしてくれと兄に泣きつかれたので変態メイド服で妥協した。自慢じゃないがあたしは容姿には恵まれている。中身が問題児なだけで。ジュリアン様がどんな趣味かはわからないが、大抵の男は「メイド服」や「谷間」に弱いはずだ。それに歩いていない割にはお尻の形だって美しい。まぁ、たまに足でも絵を描いているから足の筋肉だってそれなりにあるはずだ。つまりアンジェリーナ・ハニーの外観は中々美しい。奇抜なメイクやドレスが好きなだけで、素体はとても良いのだから少なくとも、使用人には嫌われても旦那様は満足してくれるはずだ。

 かなり寄せて強調した胸に締め上げたくびれ。お尻はパットなし。編み上げで背中を見せる黄色のメイド服は非現実的ファンタジツクでとても楽しい一日になりそうだと思ったのに、メイド達は必死に視線をこちらに向けないようにしているし、アーノルドは無言で先を進み続ける。

「あたし、なにかまずいことした?」

 とりあえず訊ねてみる。

「……失礼を承知の上申し上げるのでしたら、その服装と髪型と化粧でしょうか」

 全部か。

「あたしに求婚してくれたジュリアン様はこれが気に入ってるんじゃないの? それにこれ、あたしのスタイルの良さがよくわかるから、初日のアピールにはいいかなって」

 スタイルがわかれば彼から服装の提案もあるかもしれない。歩み寄る一歩になる。もしくは夜に思いを馳せてくれてもかまわない。そっちは彼に任せることにしたし。

 しかしアーノルドは気に入らないらしい。深い溜息を吐く。

「旦那様は……とても繊細なお方です。あまり心臓に負担の掛かるようなことをされては困ります」

「あら? 旦那様は病弱な方ですの?」

 それは大変。少し配慮をした創作活動をしないと死亡事故に繋がるかもしれない。

「とても繊細ですので、状況に理解が追いつかなくなると固まってしまわれます」

 それは、父と似たような感じだろうか。

 ハニー伯爵はあたしの問題児っぷりに慣れるまでの間、一気に痩せたり塞ぎ込んだり忙しかった。

「こちらです」

 案内された部屋はなんというか、とてもフェミニン。エレガントな雰囲気で、多分母はこんな部屋を好むと思う。残念ながらあたしの趣味じゃない。こんなに可愛らしいローズ柄のカーテンや白い家具なんかはあたしの趣味じゃないのだ。けれどもジュリアン様の手紙には「気に入らなければ塗り替えても構わない」と書かれていた。物的証拠お手紙がある。

「ここ、あたしの部屋?」

「はい。奥の扉から寝室に繋がっています」

「そう。じゃあ、まずこれ要らない」

 ドレッサーに並べられた化粧道具はいかにもフェミニンな色合いで気に入らない。ネイルカラーのセットもパステル系ばかりであたしの趣味じゃないからどさっと箱に詰め込んでアーノルドに渡す。

「あとね、カーテンも趣味じゃないから後で付け替えるね。それとカーペットも気に入らない。外して床塗っちゃおうかな。壁も気に入らなかったら塗り替えて良いってジュリアン様のお手紙に書いてたもの。床も塗り替えてもいいよね?」

 物的証拠があるぞと手紙をアーノルドに突き出せば、彼は流し読みをしてから溜息を吐く。

「……ご自由に」

 諦めたらしい。

「ドナ、アンジェリーナ様のお召し替えを」

「は、はいっ」

 緊張した様子でメイドが入ってくる。ちょうどあたしと同じくらいの背でスタイルも近いかもしれない。まぁ、お胸が薄いけれど。見事なお尻だ。

「あら、素敵なお尻」

「え? なっ、なにを……」

「良い形ね。パット入れなくても綺麗なんて素晴らしいわ」

「あ、ありがとうございます?」

 彼女は困惑している。体のパーツを褒められても嬉しいより恥ずかしい方が大きいようだ。

「アンジェリーナ様、メイドにそのようなことは」

「あら、女同士だからいいじゃない。褒められたんだから喜びなさいよ。体型も近いし、あたしの服、貸してあげても良いわよ」

 自慢のドレスだもの。もちろんあたしが一番似合うけれど、他の人にだって貸してあげるわ。

「さすがにそれは……」

「遠慮しなくて良いのに。流行を発信するのはあたしよ。最先端を楽しめるわ」

 しかしメイドはあまり気が乗らない様子だ。

「ドナ、頑張りなさい。私は旦那様の方へ」

「す、すみません……」

 頑張りますとメイドは言う。

「うちのメイドも二人連れてきたの。アナとベティよ。ベティは髪を染めるのがとっても上手なの。アナはとっても器用だからドレスが間に合いそうにない時は縫うのを手伝ってもらっているわ」

 簡潔に二人を紹介する。

「ドナと申します。奥様、よろしくお願いします」

 彼女は少し震えながら礼をした。そしてドレスを手に取る。

「お召し替え……ドレスと、お化粧と、髪型を整えるようにアーノルド様から申しつけられております」

「それ、全部じゃない。あたしの三時間掛けてセットしたこの自慢のヘアスタイルをジュリアン様に見てもらえないのは残念だわ」

 ハートに見えるように結うのは結構時間が掛かったのに。

「お嬢様の髪はがっちり固めていますから……一度しっかり洗わなくてはいけません」

 ベティが言う。

「ではバスルームがあちらに。お化粧も落としますのでこの際全身を」

 まさかの浴室にご案内だ。なんだろう。罰ゲームかなにかだろうか。気合い入れてメイクしたのに一番見せたい相手に見せる前にこんな目に遭うなんて。

「あたし、騙された? 好きに過ごしていいってジュリアン様の物的証拠があるのに!」

「お嬢様、結婚式は余所の方もいらっしゃるのでしょう? 今日一日我慢してください。明日にはいつも通りお嬢様の好きな服装で、好きな画材で、好きな場所で絵を描けますから」

 アナが静かに説得する。うん。言うことはわかる。

「でも、初回の第一印象って大事でしょう?」

「ジュリアン様は既にお嬢様の蹴りを食らってもお嬢様が良いとおっしゃってくださった方です。一日くらい平凡でつまらない格好をしてもお嬢様を気に入ってくださるはずです」

 まるで平凡でつまらない格好をしたら捨てられてしまうかの様な物言いではないか。

 少し納得はいかないが、これ以上はアナを困らせてしまうので渋々メイド達に委ねることにした。




 白いドレスなんて落ち着かない。純白のドレスは繊細な刺繍で飾られてはいるけれど、色味が足りない。しかも靴まで白。色があるのはあたしの髪の黒い部分くらいかしらと思ってしまうほど、どこもかしこも真っ白け。それにベールなんて被せられたら顔もなにもわかりゃしないんじゃないだろうか。

 それに化粧が気に入らない。なんというか地味。限りなくすっぴんに近いと言うか、色味が少ない。確かに男はあんまり派手ではない化粧の方が好む場合が多いけれど……もう少し盛ったってよかったのに。まぁ、素体もそれなりに良いのだけど、少しアンジェリーナ・ハニー要素が足りない気がするわ。

 なんて考えながら、見世物花嫁姿になって【旦那様】の横に立つ。こんなに背が高かったかしら? 確かに夜会で会ったときはあたしのヒールはかなり高かったしちょっと浮いてたからあまり身長は気にしていなかったけれど思ったよりも大きい気がする。

 少し浮けば、見物人の中からユージーンが「やめなさい」と口パクで告げる。居るならこのダサい格好をなんとかやめさせてくれればいいのに。

 【旦那様】はあたしになにを言うわけでもなく、前に突っ立ってなんだか長ったらしい口上を述べているハゲかけた男性を見ている。普通もう少し花嫁の方に意識を向ける物なんじゃないだろうか? 不満を抱きつつ、彼を凝視すれば僅かに目が合い、すぐに逸らされた。

 一体何なんだ。お前があたしを嫁に欲しいと言ったくせに。

 やっぱりこの地味な格好が良くなかったんじゃないだろうか。せめてピンクの聖典ケースくらい用意してあのハゲに渡すべきだったんじゃないだろうか。

 もやもやしていると、急に【旦那様】が肩に触れ、あたしをそちらに向かせる。ベールに手が伸びかけ、少し躊躇うように止まる。

「ジル、頑張れ! あと少しだ! 美人の嫁さんまであと少しだぞ!」

 空気を読まないチャドの声が響くが空気を読まないのはあたしも一緒か。ここは空気を読まないアンジェリーナ・ハニーとして自分でベールを外すべきなんじゃないだろうか。

「丁度うっとうしかったのよね」

 ベールを外し床に投げ飛ばせば【旦那様】は硬直する。それだけじゃない。見物人達がざわめいている。

「アンジー……流石にそこはジルに外させてやれよ……」

 チャドの大袈裟に呆れた声。

「え? やり直す? だってじれったかったんだもん」

 とりあえず結婚式なんて婚姻届にサインさえすればいいんでしょと半ばヤケクソになってハゲの手元にある書類を奪う。

「えーっとあたしの署名欄は……こっちか。ペン貸して。こんなに長く立ってたの久しぶりで足がしびれてきちゃった」

 文句を言えばハゲは動揺しつつペンを差し出してくる。

「あれ? 旦那様まだ署名してないの?」

「あ、ああ……」

 彼は無表情で歩き出し、それからペンを受け取る。

「えっと……私の欄は……すまない……文字が見えない……」

 若く見えるのに視力が悪いのかしら? 以前会った時も眼鏡は掛けていなかったと思ったけれど……。

 ペンを持つ手が震えている。

「ジュリアン様、ゆっくり息をして落ち着いてください……いえ、結婚を考え直すのでしたら今がチャンスです。まだ署名していないのですから今ならまだ考え直せます」

 ハゲが【旦那様】を説得しようとしている。

 まぁ、別に構わないけれど、その時はその時であたしのお気に入りを返してもらうことになるわ。

 【旦那様】は深呼吸を何度か繰り返す。そして震えの治まった手でペンを握り直した。

「……文字が入ってこない……私の欄はこのあたりか?」

「本当によろしいのですか?」

「求婚したのは私の方だ。今更なかったことにはできまい」

 淡々とした声でそう言い、なんとか署名を済ませた【旦那様】はやっぱり無表情であたしを見る。夜会で求婚してきた人とも手紙の主とも別人に見えてしまう。

「あなた、本当にジュリアン様? 以前お会いしたときは……もっときらきらしていた気がしたけれど……」

 もっと美しい笑みで……穏やかそうに見えた。けれども今目の前に居る男性はなんというか、冷たい。無機質な印象だ。

 彼は硬直したままなにも言わないので、ハゲが代わりに「この方は間違いなくジュリアン・ジェリー様です」と答える。

 普通はこのあとなんやかんやがあるのだろうけれど、【旦那様】はチャドのよって強制退場させられてしまい、あたしはぽつんと見世物のまま置いて行かれてしまう。

「……結婚式って思っていたのと大分違うのね」

 誰のせいだと兄の声が聞こえた気がしたけれど、きっとそれは幻聴だ。



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